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2010年1月20日 (水)

とらや・曙

Rimg26232Rimg26239「とらやの登場」

お客様からよくお受けする御質問に「虎屋はいつ頃創業したのか」「いつ東京に出てきたのか」ということがあります。虎屋は、京都出身の和菓子屋です。

歴史上、古文書などの資料で虎屋の存在がたしかめられるのは、1500年代後期のことです。その頃の天皇に後陽成 (ごようぜい) 天皇という方がいらっしゃいます。豊臣秀吉と大変深い関係をもたれた方です。

虎屋は、この後陽成天皇の御在位中 (1586~) から朝廷にお菓子をお納めしてまいりました。朝廷の御用を勤めさせていただく店は、京都という町で、二、三代と世代を重ねて、社会的信用のある技術力の高い老舗が勤めています。

虎屋も1500年代の京都で老舗という評価を得ていた菓子屋だったのでしょう。後陽成天皇の御在位中からさかのぼると少なくとも1500年代の前半には菓子屋として商いをしていたと思われます。480年を超える間、日本を代表する菓子屋のひとつとして経営を続けてまいりました。

しかしながら、この当時の虎屋の具体的な姿はなかなか浮かびあがってまいりません。ただ歴史的な事件に虎屋の名前が出てきたことがあります。

1600年に天下分け目の関ヶ原の戦いがおこりました。犬山城主石河 (いしこ) 備前守 (宗林) は豊臣方の西軍に属していましたが、戦に敗れ落ちのびました。備前守は京都に隠れひそんだのですが、この人を徳川方の厳しい探索からかくまったのが虎屋の主人でした。名を黒川円仲 (えんちゅう) といいます。虎屋ではこの人を中興の祖と呼んでいます。

ご存知とらやの季節の生菓子、今月末までのひとつ、『曙』であります。太陽の光が赤々と雲間から広がり始めるさまを表し、春の朝の華やぎを感じさせるという解説どおり、みごとな意匠です。中の餡は太陽の光を象徴するかのごとく紅色で、黄身餡の間からかすかに見える彩りの調和は日本の細やかな神経の賜物です。使われている上等な和三盆糖は煎茶を上手に入れないと、その奥ゆかしさの味わいを感じませんから、やや低めの温度がよろしいようです。

ややもすると、上等過ぎて、敬遠しがちなとらやの和菓子ですが、その表現力は古くもなく、新し過ぎることもなく、絶妙な時代に対する菓匠としての距離感は、作り手としての勉強にもなります。

さて、撮影するまで気付かなかったのですが、出来上がった画像を観ると、曙の素材感と器の天目模様がみごとに決まっているのに、些細なことにも関わらず、ちょっぴりと自己満足感に浸りました。

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