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2010年2月28日 (日)

1963 自転車合宿 大食いの朝

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写真・佐々山厚

1963年の夏、8月3日から10日までの珍道中もどきの自転車合宿の毎日は、擦り傷程度の怪我はあったものの、たいした事故もなく成功裏に終り、このパフォーマンスが稔って、それまでの、ワンダーフォーゲル部の同好会から、サイクリング部に昇格しました。

この写真は合宿の中日、8月7日の朝、佐久市臼田町にある私の伯母(父の妹の嫁ぎ先)の家での朝飯の様子です。たいへん古い武家屋敷で現在もセットバックしたものの健在です。臼田に到着するまでは規則正しいユースホステル、民宿を泊まりながらでしたから、ここで始めてのゆっくりした朝を迎えました。前の日の夕食も田舎ながらのもてなしで地元食材一杯の食卓でしたが、この朝も地元の野菜や果物をたっぷりといただき、これまでの疲れを吹っ飛ばすように全員、しっかりと平らげるのでした。人生で最も食欲のある年頃でしたから、かなり多めに炊いた釜炊きご飯のおにぎりは、あっさりと底を尽き、炊き出しのように集まった町内の伯母さんたちは自宅に駆け出してはご飯を持ってくるという按配だったのです。

前日の8月6日は菅平を朝9時前に出発し、上田市、小諸市を経て小海線に沿った快適な舗装道路を快走し臼田に到着しましたが、途中、中村君のパンクあったり、集合時間の錯誤もあったりと、もたつきながらの走行距離63キロでしたから、臼田では腹いっぱいの食事に満足し、のんびりとした午前を過ごし午後三時過ぎに出発。この日は8キロほど離れた八千穂村で初めてのキャンプでしたが、蒸し暑さと蚊に襲われキンカンの出番が多く、テントの中はキンカンの臭いで眼も痛くなるほどでありました。

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2010年2月27日 (土)

本の典型・その颯爽たる姿

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本のサイズというものは概ね決まっているものの、例えば、文庫本と同じサイズであっても、装丁に手抜かりない緊張感があり、おまけにしっかりした箱入りとなると、まったく別の印象となってしまいます。

先月、中目黒から目黒川に向かい、松浦弥太郎さんがプロデュースするCOW BOOKSに入って、棚に並ぶ本の流れに、独特の因数分解手法があるように思い、しばし眺めているうち、三月書房のコンパクトながら凝縮された存在感のある一列が眼に飛び込んできました。著者も花柳章太郎・奥野信太郎・池田弥三郎・福原麟太郎・岡本文弥・池島信平・安藤鶴夫などなど、江戸・東京の変遷を実学として体感された名うての町っこが多く、タイトルを眺めるだけで病みつきになってしまいます。とくに、昭和の太平風俗をすぱっと云いきる切れ味とリズミカルな韻を踏む池田弥三郎さんの文体は、せっかちな私の性格にぴったりですが、手に馴染む文庫本のサイズは立派な装丁なだけに、卓上に置きっぱなしなどと、おろそかにはするわけにはいきません。

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2010年2月26日 (金)

湯町窯エッグメーカー 1950年代

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バーナード・リーチ、柳宗悦等の指導により、日本全国の民衆工芸産地や職人は作り手として誠実さという志の大きな影響を受け、現在も連綿としてそのDNAを引き継いでいるように思ってました。

最近、両親の荷物をしまった箱の荷解きをしていると、私が子供の頃、よく食卓に登場していた湯町窯のエッグベーカーが出てきました。昭和30年頃のものと思いますが、先日、駒場の民芸館に寄り、ショップで販売している同じものを見ると、その色具合から、絵付けのバランスなどなど・・・、全くの別物でありました。私の手元にあるものは、卵との質感の相性が抜群で、イギリス的なスリップウエアを越えた、素晴らしい素材感にみちていますが、現在作られているものは、はっきりいって色も褐色に近く、蓋に施された絵付けの姿、皿に描かれた同心円の感覚も違い過ぎて、残念ながら食卓で愉しむ器としてのオーラがありません。

こと左様に、日本の小さなものづくりの現場は一子相伝、口頭伝承的なところがあって、何かの拍子に伝承情報がぱたっと途絶え、そこからは二度と魁として作り上げた品位と気骨を取り戻すことも出来なくなってしまうのです。それは、どの現場にも凡そ存在することで、何らかの手法、例えば図録・指図書・絵解きなどを作成して自社製品の製造マネージメントを監理していないと、このような時代を経て、似て非なるものが平気で販売されてしまうのであります。因みに、湯町窯エッグベーカーで検索しますと、現在のものが分かり、その質感と釉薬の差は歴然なのです。http://amarantine2.blog46.fc2.com/blog-entry-216.html

父が購入し、50年以上経ったかと思われるこの器は二客しか残っていないものの、朝のトーストと珈琲に欠かせない、毎日のモーニング・マスターピースであります。ガスレンジの火力を弱にし器を暖めたら、底と内側にバターをやや多めに塗り、そこに卵を入れ、待つこと一分ほどで火を止め、後は蒸し焼きです。このとき、ほんの少し蓋をずらしておくと白身に気泡が入ることなく、実に美味しいトロ味の半熟が出来上がります。この触感と味はこの器の独壇場なのですから、せめて、その姿も、美しいものに戻していただきたいのであります。

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2010年2月25日 (木)

桃褐花(つきそめ) 赤坂・塩野

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下の写真・小石川植物園 2007

今年の春の気配は例年より早いようで、皇居・平河門の向かいにある旧・一橋家跡地の角にある河津桜も綺麗に咲いています。針葉樹の木々からも芽が出始め、そしてあっという間に新緑、そして花の開花となって春爛漫となるわけですが、その季節の移ろいを桃の花を象徴して表現したのが、赤坂・塩野http://www.siono.jp/の桃褐花(つきそめ)という美しい季節の生菓子です。間もなく雛祭りですが、そのお内裏様とお姫様の姿をも採り込んでいるモダンな造形は、赤坂という地域が辿ってきたモダン感覚の推移の象徴のようでもあります。

さて、赤坂はライブハウス何でもありのオープンマーケット全盛時代から淘汰され、素晴らしい顧客が定期的に主催するライブのクローズマーケットとなっているようで、つい最近同行させていただいた「ステージワン」http://www.live-stage1.com/などは、70歳代から80歳代までの戦後最良最高の時代を謳歌された紳士淑女でぎっしり。青春時代をジャズに惚れ込んだ皆さんの演奏はもう枯淡の境地ながら、洗練された立振舞いにはまだまだ見習うべきこと多く、たいへん収穫のあった一夜でありました。しかし、ジャズばかりでなく、アコースティック系のジャンルも他所のライブハウスでは見られないセンスと練習の確かさが見られます。とりわけ今週土曜日、「カントリーハウス」http://www.countryhouse-tokyo.com/では『メロン』http://bookcafe.jp/book_m/melon.htmlというブルーグラスバンドが大人のスキルとセンスを全開します。ブルーグラスの騒がしい音と甲高い歌を嫌う皆さんにも是非、聴いて頂きたいバンドです。

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2010年2月24日 (水)

1947年・向島界隈

19472 私の生まれ育った杉並区・久我山は1960年代後半になるまで、それは素朴な光景の残るのんびりとした郊外の町でした。

南北を人見街道が分断し、二大勢力といわれた大地主さんがその街道を分けて仕切り、商店街の交流もさほどなく、トータルな町のもつ面白みはありませんでしたし、洒落た店があるわけでもなく、せいぜい日々の生活の消耗品を間に合わせる程度の役にしか立たない店ばかりでした。

やがて、井の頭線の南北でサミット・ピーコックが登場し、俄然、便利にはなったものの、ちょっと気の効いたものとなると、吉祥寺か渋谷に出かけるしかありませんでした。

昔は人見街道は道路幅が狭く、おまけにバスの往来が激しく、通行するにも後ろを向きつつ安全確認をしながら歩いていました。今もたまにこの街道を通ると、電信柱やガードレールに目移りしてしまいします。

この写真は昭和22年の向島を撮ったスナップですが、この雰囲気は当時の久我山・人見街道のそれとよく似ています。人見街道を西に向かうと、間もなく三鷹市牟礼となり、周辺は農家ばかりで、広々とした景色が展開してました。春一番の頃ともなると、強烈な黄土色の埃風が舞い上がって、自転車に乗っていてもまともに正面を向けず、暫く収まるまでは、街道筋の材木屋さんや、立派な造りの酒屋さんに逃げ込んでいました。

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2010年2月23日 (火)

デュフィのフラッグ

Dufy5 こんな絵を飾っているお家というのは、ご主人が海運か、ヨットに関係している家庭が多いのでしょうが、率直に、気持ちよい海風が家中に吹いているような気分に満たされるのです。

大きく綺麗に描かれた旗ひとつずつがインターナショナルな共通信号としての意味を持ち、これを覚えるのも、海に関わる人間の必須条件なのでしょうが、この旗を付けているのは軍艦なのか、大型客船なのか、それとも、ヨットなのか、計り知れない部分であります。デュフィは一連の旗の流れを、室内装飾家の経験もあることから、画面の装飾として徹底しています。

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2010年2月22日 (月)

DISFARMER The Vintage Prints

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どたばたした、この一週間でしたが、神田に出かけた日に偶然とはいえ、かなり新品レベルの写真集が店頭にありました。 

写っている皆さんが愉快に洒落まくっていて、その姿が「俺は、農民なんかじゃねー」といった風貌で、その都会派もどきな風俗からして、DISFARMERとは上手いタイトルだなあ・・・、などと思いつつ帰り、自宅のPCで検索してみると、おっと、この写真を撮影した本人の名前がタイトルだったとは・・・。

撮影したMike Disfarmerさん(1884~1959)は米国、アーカンソー州ハーパースプリングスで写真館を営み、この町や周辺地域の人々の記念写真や、第二次大戦に出征していく兵士等を撮影し、なかなかの繁盛店だったそうです。

この本には、多くのカントリージェントルマン&レディー&キッズが登場し、そのファッションはDISFARMERさんの写真館の貸衣装なのか、ご自分のものかは定かでないものの、一井の写真館の小父さんとして、ひたすら対象を純粋に撮っていたリアリズムの執念が観る者に訴えかけてきます。さらに、Vintage Clothing大流行の今日、ファッションを企てる側にも服の細部までもよく分かるなど、相当なネタ本であります。

因みにこの本からインスパイアされた、Bill Frisellの音楽 http://www.youtube.com/watch?v=jfWlnnyqoiM がなかなかの渋さです。

さらに、Arkansas州といえば、トラディショナルなマウンテンミュージックとして有名な「Arkansas Travelars」があります。 http://www.youtube.com/watch?v=ko1HODuTav0(ブルーグラスギターの教則映像で二回目からリズム速度を落として弾いてくれます。) http://www.youtube.com/watch?v=mzVYIqTiIkc&feature=related(いかにも南部の可愛い歌姫が気だるく歌います)

気だるく歌ったWil Maringさんのサイトは http://www.wilmaring.com/フォークシンガーとしての品位とシンプルさに満ち、なかなかの雰囲気があって、この曲もついでといっては何なのですが・・・。http://www.youtube.com/watch?v=lpmMwriDt1I&feature=related

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2010年2月21日 (日)

非電化製品・携帯ライト

Img_7484 西麻布にある『SPORTS TRAIN』 http://www.sportstrain.jp/は、油井昌由樹さんが1972年に始めたアウトドア・ショップのはしりでした。当時はマガジンハウス社の雑誌を通してアメリカのアウトドア商品を食い入るように見ていた時代でしたから、この店には掲載された本物が、それもログハウスの室内にいるような快適なお店の中で手に触れることが出来、さらにいつでも誰かが蔓延っていて、此処で知り合った人とはその後ずいぶんと長いお付き合いをさせていただいています。

その頃、ここで買い求めたのが手動式携帯ライトです。白いハンドル部分を握手するように動かしますと、その間は電気が付いて明るくなるという代物であります。若い頃は気にならなかったのですが、久しぶりに手先を動かすと案外と疲れがすぐやって来るのには、正直、がっかりしました。

今や時代は輝度の優れたLEDライトの天下となってしまいましたから、こんな化石のような豆電球の出番はないのでしょうが、バッテリーを使わずに光が生まれるこの非電化道具には、いつでも・どこでも・確実にという安心があり、それ故、捨てられない永遠性があるのです。

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2010年2月20日 (土)

1958 宮城県・石巻

1958 1958年、この写真には、日本の経済復興の隆盛期を向かえ、活気を呈する東北地方の姿がありますが、明治維新以降、薩長を中心とする政治権力に無視され、賊軍の地域と勝手に区分けされ、まだ全国レベルでみても、格差のはっきりしていた生活に辛抱していた頃です。

当然、東京に憧れる若い世代が多く、多くの集団就職の供給地域でもあった東北の時代の証が写し撮られているようで、最近の昭和30年代を背景とした邦画のプロローグを観ているようです。

中央を走るオート三輪車は、この頃の日常経済を支えていた輸送・運搬の車で、私も吉祥寺の学校帰りに、大正通り界隈の石炭屋・牛乳屋さんの店に寄っては、跨がせてもらいました。以外に運転席がコンパクトで、低い屋根に、親しい友だちのような感覚をもっていた記憶にあります。

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2010年2月19日 (金)

日本橋 横山町 1953

1953 付加価値商売の最たるものといえば、ファッション産業、その中でのアパレル業界は極めて、ハイリスクな世界であります。

幸運にも時代・縁故・感性などの条件が偶然にも合致すれば、何年後には自社ビルも建った・・・、などというのはバブル期の伝説でありますが、ここ横山町はそのような風俗の最先端とは関係なく、まして、付加価値を読み取る人材の必要もなく、ただひたすら、顧客の注文を何とか凌いで生き続けている、しぶとい繊維・服飾雑貨を中心とした問屋街であります。

1953年の横山町の写真には、ようやく敗戦から一段落して、朝鮮戦争のおいしい味もたっぷり味わった後の、ノンビリした空気感が漂っています。物流も日本通運の独占状態だったでしょうし、まだまだ大手百貨店からの直接注文などもあって、最後の佳き時代の風俗です。右手の木箱に入った月星ゴム(現・月星化成)の地下足袋がこれだけどっさり店先に積み重ねられているからには、建設業の注文も半端ではなかったでしょうし、各現場では棟梁をはじめとする鳶職の皆さんが、しっかりと仕切っていたのでしょう。

この月星の地下足袋は、いわゆる座敷足袋にゴム底をくっつけて1922年に生まれたもので、噂ですと平和記念東京博覧会をはじめ、東京・大岡山、洗足池、玉川一帯の宅地開発で一儲けしようとして、捻り出したアイデアということなのですが・・・?。余談ですが、この月星化成は1873年に熊本県・久留米市に槌屋足袋として創業。1877年の西南戦争では討伐軍の足袋20000足を受注したものの、その後、物資の納品をめぐり軍とひと悶着あって、結果、大損を被ったなど・・・、面白そうな話がまだまだ埋蔵されていそうであります。

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2010年2月18日 (木)

スイス国鉄・1957

Swiss214Design : Peter Birkhauser

スイスのポスターの中でも、かなり構成主義的作品でありますが、そのあまりにもストレートな表現によって、路面電車・汽車を大切にしているスイス国民の気持ちを代表しているようであります。

スイスに行って、一番はじめに気づいたことは町の落ち着きと、どの町でも見かけた路面電車の美しさでした。今はずいぶんとモダンな外観になったようですが、それでも、日本国内で最近見られる妙なデザインをした路面電車よりは、形が町を邪魔することなく溶け込んで、こんなところにも健全な都市生活思想がバックボーンにあるようです。

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2010年2月17日 (水)

不思議な絵 広重・大久手

Photo_2 201なんともいえぬ、不思議な絵です・・・。広重のアドリブともいえる直感には世界の画聖も到達出来ない、空間離脱のようなものがあって、観る側はこれがひとつの愉しみでもあります。

崖から今にも崩れそうに辛うじて存在している岩の形を受けて、村人が運ぶ背負子の枝束も同じ形になっています。これだけならば、かなりシュールな現代アートのような趣きですが、そこを広重は村人の間延びした顔つきと、なよっとした松の木の描き方によって風俗画に仕立てています。

以前にご紹介した、深深と寒さの染み入る『蒲原 夜之雪』にも同様の手法がなされていて、こちらは民家の屋根と遠くの山並みが同じ形であります。

広重はこのような遊びと裏技を駆使している画家ですから、まだまだいろいろな発見がありそうです・・・。

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2010年2月16日 (火)

1972年・伊勢丹広告

197007 1972年秋、生まれて初めて、広尾・麻布スタジオで新聞広告撮影に立会い、伊勢丹宣伝部広告制作担当者とカメラマンとの厳しいやりとり、その助手・そして何でも使い走りのアシスタントのみごとなチームワークとフォーメーションに感激してばかりいました。制作はライトパブリシティ、写真は秋元茂さんです。

伊勢丹が『こんにちは土曜日君』のテーマの下、台頭してきた週休5日制のライフスタイルを先取りし、得意のファッションから食品・リビングの縦割りの垣根を取っ払い、複数の横断調整担当者を介して、フリータイムの生活シーンを売場作りから広報・宣伝・イベントまでトータル展開していった第一弾だったかと思います。そのまとめ役の一人に、誰がどう間違えたか、まだ入社2年目の私がなり、商品選択・商品説明の素案からスイスフォンデューのレストランとの折衝など、知らぬことばかりの積み重ねを経験させてもらいました。

この家具は、1970年代定評のあった伊勢丹オリジナル家具で、製作は文京区にあった青林製作所です。伸長式のテーブルは胡桃オイル仕上げのマホガニー素材で、ベストセラーとなった商品です。当時はチーク素材が人気のピーク時期であったにもかかわらず、やや暗めの紫壇風の味が受けたのか、色々な雑誌でも採り上げてくれました。ところで、当時の伊勢丹オリジナル家具は巡りめぐって、最近流行のリサイクル家具店や、ナチュラル感覚のオーガニックカフェなどでもたまに出くわすことがありますが、青林製作所の職人の腕の確かさなのか、今も陳腐化することなく、正統な姿は際立っています。

この撮影では四谷・左門町にあったスイス・シャレー(?)というスイスホンデューのお店に協力していただき、本格的な料理のオンパレードとなったものの、カメラマンの駄目出しの連続と、照明の強さということもあって、モデルさんらは繰り返しのワイン乾杯に酔い始めましたが、逆にそれが功を奏し自然体なショットとなりました。

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2010年2月15日 (月)

マチスのカジュアル感覚

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木版画のようなテクスチュアと見間違えてしまうそうなマチスの絵画ですが、画面全体における色彩配分が絶妙で、緑色の場所がちょっと移動してしまえば、ダサイの一言で一喝されそうなギリギリの構成です。小顔のモデルの納まりも、デフォルメセンスが真っ盛り!、顔と腕の太さとのバランスなども気にならないのは何処かに錯覚トリックでも使っているのでは・・・、中央の植物のボリュームサイズに答えがありそうですね。

この画面全体を覆う赤がさほど気にならないのも、壁、床の更紗模様にファジーな黒系の輪郭線が引き締めているからでしょう。

マチスの職人芸が散りばめられた、カジュアル感覚な作品です。日中、日陰になりがちな一角にこのような明るい一点を飾るだけで、空間がまったく違った空気感に包まれますから面白いものです。

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2010年2月14日 (日)

ラスティックな帝国ホテル

196507 「建築工法も進化しているものの、その伝わってくる格調のようなものはむしろ退化しているなー!」などと先日、池尻大橋の居酒屋で近くのテーブルで楽しんでいた一団からの声が聞こえてきて、思わず頷いてしまったのです。

基礎が打たれたかと思いきや、あっという間に天に向かって伸びだし、出来上がってしまうのですから、本当にこの建物は安全なのか?などと思ってしまうのも不思議ではありません。

日比谷にできたPen・・とかいうホテルの外観もこれまた、何とかしてくださいよと土下座してしまうほどのお粗末さであります。日比谷の皇居に至近して、一昔前であれば不敬罪で打ち首ものといっても過言ではない意匠のお粗末さが、一日中太陽に当たって輝いております。

さて、この写真、今の若い方は全くご存知ないようですが、日比谷通りに面した帝国ホテルの以前の姿であります。大谷石を、日本帝国の象徴素材として大胆に採り上げたフランクロイド・ライトのこの建物に何度か行ったことがありますが、独特の採光と影の操り方により、空間に立体が増幅していることが分かり、建築のもつ豊かさに感激しました。

昨今の建築がなにかフラットばかりが目だって、存在感の希薄なものばかりという、まるでデジタル・カメラとライカ・カメラとの出来栄えの差のように比較しては何ですが・・・似たものを感じるのですが。

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2010年2月13日 (土)

北斎・佐野の冬

4 今年の大雪は全国凄まじい状況ですが、ふた昔前の信州・上越のスキー三昧の頃に積雪が戻ったような景色が毎日報道されていて、長い暖冬の時代がプツンと途切れた感じです。それでも新潟市内の記録的豪雪のテレビ報道を観ている限り、世界の気象の変化が如実に表れた感は歪めません。

このような武者震いするような中、北斎の上州佐野の冬景色をご覧いただくのもセンスなく、平にご容赦願います。

東北自動車道を北上して行くと、左上の山並みとそっくりな景色が地平線に見えて来ると、其処は間もなく佐野インターであります。手前の川は渡良瀬川でしょうか。当時からこの川を渡るのも、雪であれば風も凄そうですから、遠慮したくなるような場所であります。北斎にしてはかなり構成的にバランスの良い作品で、山間の茶系と藍色との配色バランスが絶妙な出来っぷりです。漆黒の空はこれから深々と降り続ける雪でも暗示してるのでしょうか、一瞬、雪の止んだ場景と思いがちな感覚を、揺さぶりかけてくれます。

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2010年2月12日 (金)

情報を紡ぐ愉しさ。明治初期の横浜

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横浜と新橋が鉄道で繋がった頃の地図をネットから検索して登場したのがこの絵地図ですが、鉄道は右下の海上を走っていたとは知りませんでした。さぞ、絶景だったでしょうし、左上の根岸から磯子に下って行くヘアピンカーブの坂道などは、ベアドが撮影した写真と比較するとアームチェアー・トラベラー気分満点であります。

インターネットのおかげで、様々な情報を多角的・多面的に比較検証できることとなり、想像力さえも膨らむいっぽうで、それはそれでありがたいことです。それでも、根気と直感を研ぎ澄ませておきませんと、ちょっとした検索用語のインプットの差が、まったく異なった情報を登場させたりと、まだまだこのマシーンは魔界でありますし、インプットの感性、即ち、イマジネーションのスケール感がどうも分かれ道のようでもありますね・・・。

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2010年2月11日 (木)

今風の器

 

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東京ドームで開催された、器の祭典http://www.tokyo-dome.co.jp/tableware/を観て回ったものの、会場の広さと混雑さに圧倒され、ゆっくり観て回ろうとした思惑は消し飛び、スタジアムのベンチで休憩する頻度が多くなってしまいました。何しろ、国内産地はもとより海外ブランドまで、規模と中身の濃さで女性客を惹き付けた実績が動員数にも表れています。私は、ひたすら新感覚の流れを掴むことに焦点を絞ってましたが、ピンときたのがこの皿です。作り手は丹波篠山の若い作家・市野雅利さんhttp://www.eonet.ne.jp/~cocochi-ya/ですが、料理にも一家言ありそうな感覚がこの皿一枚にも表れています。さらに、今風のざらっとした素材感が上品に仕上がり、乱雑な作品の多い若手作家の中、ひときわ、光彩を放っていました。

器・テーブルコーディネートの世界にも新感覚の流れはジワジワと押し寄せ、この会場にもその気配は点在していましたが、所謂、ゴージャス感覚は却って野暮臭く観え、反対に野趣に富みながらも、クラシックな世界を熟知したまとまりに新鮮さを覚えるばかりでありました。

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2010年2月10日 (水)

広重・亀戸 梅屋敷

Photo_3 大胆な構図により19世紀後半の西欧洋画家を仰天させた傑作でありますが、率直に、梅の木の迫力と梅の開花を遊ぶ町人のゆるい姿がコントラストの核心であります。源氏雲が迷彩柄にも見立てられる梅屋敷の囲いなど洒落すぎですね。大胆な赤と緑のコントラストなど斬新過ぎで如何なものかと陰口がそこらじゅうでたたかれた雰囲気に満ちた、浮世絵の凄さを世界に発信せしめた貢献度一番の作品です。

つくずく感心するのが、この画面にこれ以上考えられないと思わざるを得ない位置に点在する白梅です。姿・形・ふくらみも個個練り上げたもので、写実スケッチを日々練習していたのでなければ、平面技法でここまでの遠近感を表せません。

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2010年2月 9日 (火)

広重の雪景色に震える!

1832 広重の風景画を観る気持ちよさは、空気感にひたることである。空間感覚といってもいい。その場の風や匂い、温度、湿度、空気の透明感、下を見てひやりとする感じ、間近の物にぬっと感じる圧力、といったものが、絵の中にありありと描かれていて、その感触にはっとしてしまう。(赤瀬川原平)

広重の『比良の暮雪』、一度観ただけで、ノックアウトですよ。

構成の大胆さ、白から灰色・藍黒にいたる階調がリズムを刻み、体の芯まで冷え切るこの画面を格調あるものにしています。体を丸くして風を防ぐように前進する旅人はこの山村で泊めてもらえるのか気がかりになる絶妙な位置に描かれていて、この辺りが広重のセンスの並でない所以です。

この一枚を凝視していると、エアコンでは物足りなく、炬燵に潜りたくなるほど心象的に、いや、心身ともに冷え切ってしまいます。

比良の暮雪
琵琶湖西にそびえる比良山系は武奈ヶ岳1214m、比良岳1051m、打見山1103m、蓬莱山1174mなど秀麗な眺めを見せる1000mを超える山並みである。 冬には湖北の伊吹山と共に、いち早く冠雪の姿を見せる。現在は登山道やハイキング道が整備され、新緑に包まれる春、百花咲き乱れる夏、紅葉の見事な秋、冬はスキーと四季折々の風情を演出してくれる。対岸の湖東から眺める比良山系の魅力はやはり冬である。 雪に覆われた山頂が朝日に映え真っ赤に輝く姿、夕暮の厳しい冬山を思わせる雄々しい姿が素晴らしい。 琵琶湖では3月も終わり頃になると比良おろしが吹き荒れる。この季節風を「比良八荒(ひらはっこう)」と言う。

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2010年2月 8日 (月)

1933・久我山 宮下橋

2Rimg16665 写真提供・高井戸第二小学校

1970年頃の護岸工事で、それ以前の美しい神田上水が季節の移ろいも感じることの少ない、無味乾燥なインフララインとなってしまい、子供たちの楽しみであった川遊びも縁遠いものとなってしまいました。

この写真は昭和8年の現・高井戸第二小学校六年生女子の卒業写真です。場所は久我山稲荷神社の南側を流れる神田上水に架かっていた『宮下橋』です。

私の育った久我山では昭和30年代前半まではこのような田園風景が、駅のプラットフォームからも一望できました。おまけに井の頭線・線路脇からいきなり畦道・田圃でしたからその郊外農村風景としてもなかなかの雰囲気をもっていました。朝、学校に通うのに駅で電車を待っている間、何の看板の類もありませんでしたから、前面に広がる朝靄の立ちこめる雰囲気は子供ながらに、しみじみと凝視していました。

そんな静かなプラットホームの雰囲気も到着する電車の扉が開くと一変し、どっと降りてくる岩崎通信機工場の従業員や、国学院付属久我山高校の生徒らの圧倒する勢いにたじろいでいました。

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2010年2月 7日 (日)

染物の屋根表現。

Rimg12099 日本の意匠を語るとき、必ず対比的に論じられるのが装飾過剰な世界とシンプリシティな世界との関係ですが、最近はそんなことよりも『君は琳派派か、それとも民藝派か・・・。』などというもっと全体を巻き込んだ比較の話が潮流のようであります。

私は、テレビアンテナが屋根・物干し台の脇に林立する以前の、美しい屋根並みをうっすらと記憶しているのですが、夕日を浴びて、銀鼠色が赤みを帯びる一時の妖しい雰囲気に見入っていましたし、そのシャープながらも自然な姿に、眩しさと優しさを感じとることが出来たのです。今や、そんな一時を味わう必要もなく、映像に任せれば訳ありませんし、インターネット検索でも簡単に愉しむことが出来るようになってしまいましたが、時間の経過とともに微妙に変化していく光と色を、全身と五感をもって焼き付けることは出来ません。

昭和の記録写真や、宮本常一さんの遺された民俗史料としての記録写真にも、美しい日本瓦の光景が残っていますが、このプリントされたファブリックの方が、日本のコントラスト意匠を象徴しているように見えるのは皮肉なものです。人間の感覚と技術がある一定以上の表現を可能にすると、実物以上の存在感を際立ててくれます。この作家はおそらく生まれ故郷で、この屋根並みをじーっと見入っていた感がありますね・・・。

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2010年2月 6日 (土)

CHICなPONKOCHICK

Rimg26387 所ジョージ命名するところの、PONKOCHICK(ポンコツのような)な趣きは遂に、リノベーション・ショップの範囲にまで増殖した感があります。これを一時のトレンドと思われる方はかなりの近視眼かも知れませんよ。何しろ、エコ・サスティナブルなどなどなど、環境に関わる世界にも胡散臭い団体の台頭もあって、これまでの歴史を辿れば、この国で戦争から投機までメガトレンドに一番敏感なのはその筋と呼ばれる皆さんなのですから・・・。その皆さんがビジネスチャンスとしてフォーカスし始めたのがリノベーションオフィスやリノベーションショップなのだという善からぬ噂をきいたのが最近のことです。

噂の真相レベルの与太話は擱いといて、普通の住まいを自分たちの手作りでリノベーションさせ、手作りとリサイクルの商品を複合展開している店の多い目黒川界隈は、商売以上に、その志と表現技術にアンバランスはあるものの、次代のファッション潮流の一翼を担う気配はかなり濃厚であります。既に、大手の覆面ショップも点在し始め、彼等は採算のメドが立たなくなれば閉店するだけですが、後続は順番待ちといった一時の原宿キャットストリートの様相になりつつあります・・・、というよりなっているようです。

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2010年2月 5日 (金)

1953・ 東京駅

30 Img_2658_2 駅が主人公的役割をする映画は古今東西ありますが、それも一昔前の列車の出入口や回廊が恋愛ドラマの組み立てに一役買うからで、今のような事務的設計車両となると、映画のテーマはハードな空間では成立せず、それよりもソフトな時間表の錯誤から展開する人間の欲望・犯罪ドラマに移行するのは自然な成り行きかも知れません。

さて、父と一緒に初めて名古屋に特急つばめに乗った前年、1953年の写真です。最後尾は今で言うVIP用だったか、特等車だったか定かではありませんが、このようなお別れの儀式の舞台としても恥ずかしくない様子が観られます。名古屋まで6時間ほど掛かったように記憶してますから、のんびりと景色を観つつ、素晴らしき日本の四季の移ろいを享受できたわけですし、この十一年後には新幹線が出発するなど想いもしなかった頃です。

父にせがんで譲ってもらった、帝国ホテル運営の食堂車のテーブルに置かれた、ガラスの文鎮が美しく光を浴びて輝いていたのが印象深く、白いテーブルクロスが子供の眼にもずいぶんと豪華な列車という感がありました。

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2010年2月 4日 (木)

父の挿絵原画が神田に・・・。

Rimg25265 だいぶ前の話ですが、伊勢丹時代にお世話になった池原清夫さんから電話があり、「お父さんの絵が神田の○○○にありました・・・。」と連絡がありましたので、出掛けてみました。

神保町は柏水堂http://r.tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13000635/裏手にあるこの店には、版画を中心とした軽い傾向の作品が置かれていましたが、この父の挿絵原画はいつ頃の仕事であったのでしょう・・・、おそらくこの画趣からしてドイツ表現主義の影響をまともに受けているようですから、ドイツ・ベルリンから帰国した1933年頃でしょうか。生活も安定せず、稼ぐために手っ取り早い流行雑誌にでも掲載されたのかも知れません。墨あるいは黒インクで描いた後、白のグアッシュで修整したり加筆したりしてますが、その作業経過も残っている等、私には嬉しい出会いでありました。偶然にもこの店には父の兄の絵もあり、こちらもたいへん珍しい中国西方の寺院と思しき風景画でありました。

神田徘徊の好きな私ですが、出かける場所はいつも決まっていて、この日訪れた場所は、初めての場所ということもあり、夫々の店の趣きはすずらん通りなどより泥臭く、洗練されていない分、ディープな探索三昧の宝庫が其処彼処にありそうでした。

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2010年2月 3日 (水)

早川謙之輔さんのウルトラライトな欅盆

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早川 謙之輔(はやかわ けんのすけ、1938年- 2005年)は日本の木工家。

やや遅い23歳になってから家具作りを始め、父が営む木工所から独立して「杣(そま)工房」を創設、家具等木製品の制作を行った。

略歴

1938年 岐阜県恵那郡(現 中津川市)付知町に生まれる。

1962年 黒田辰秋の知遇を得る。

1969年 杣工房設立。

1974年 東京青山・ギャラリーアメリアにて個展「盆」開催。

1980年 白井晟一設計石水館(静岡市立芹沢銈介美術館)の天井張り等の内装を行う。

1984年 東京青山・ギャラリーアメリアにて個展「チェスト・椅子」開催。

2005年8月27日 脳梗塞のため死去。享年67。

昔、早川さんのお盆を頂いた記憶があり、十年以上行方不明でしたが、ひょんな処から再登場しました。従兄が信州で木工に関わっていたことがあり、そのご縁で回りまわって、私の手元に辿りついたのであります。1970年代の中頃に作られたこの欅のお盆は信じられないような軽さで、それまでの、欅は重いという先入観を払拭するほどの衝撃的な感覚でした。横40センチ縦25センチの大きさは実に使い良く、日々、出番の多さでは筆頭といってもよいでしょう。木をとことん知り尽くした早川さんの手になると、木目の流れの美しさがさらに立体感をつくり、このかたち以外在り得ない・・・、という姿にまで昇華されています。

毎朝の一服のお茶をこの立派な道具と共に過ごせる至福のひと時は、長閑ななかにも身の引き締まるときでもあります。

余談ですが、早川さんはあの伝説ともなった1969年・中津川フォークジャンボリーの実行委員でもあったそうで、高石ともやとナターシャセブンにも何曲か作詞しています。

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2010年2月 2日 (火)

不思議な茶碗の宇宙。

Rimg12093 人間は不思議な感性の持主であると思います。一方では秩序だった統一感に安心を求め、又、片一方では振り子のように、違和感のある組合せをも好んでしまうという性向が、特に都市生活を享受している人種に顕著なようであります。

その両極をすべて包含している世界が、茶碗の世界、いや、しいて言えば、お茶の世界とでも申しましょうか・・・。

人間が創造・想像・制作・所作出来得る極限の真・善・美を象徴するこの世界は、大空間などではなく、限られた閉塞空間の中で開花し、しかも、其処に縁あって同席している人間同士のままならぬ深読みさえも要求されるという、まことに辛辣な意味をも、まとっているのです。

習い事の横綱でもある茶道などはまだまだ新参者。この日本には1000年以上連綿として続く、不思議文化が多々あって、この世界は習い事とは別に、実に、地味妙量、人間模様の宝庫でもありますから、たかが○○など・・・、と侮っていると、本当の日本伝統文化は永遠に身につきません。

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2010年2月 1日 (月)

荒ぶる集団・町田 柿島屋にて

Rimg26578 Rimg26576 Rimg26587 ブログを始めて4年目に入りましたが、その間、多くの皆様との繋がりが生まれ、私もこのネットワークの摩訶不思議さを充分に堪能させていただいています。http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/001151.html

ブログを始めて間もなく,Daniel Rebourさんの自転車テクニカルイラストレーションの記事http://sohske.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/daniel_rebour_e419.htmlを読まれた秋山東一さん http://landship.sub.jp/stocktaking/ http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/000661.html http://wiredvision.jp/archives/special/hack/200304150100.html http://www.be-works.jp/blog/ http://gwald.com/blog1/との縁が縁を呼び、とうとうこのような大きな集団の宴会を開くまでになりました。石原信さんhttp://shinmemo04.exblog.jp/ http://archi-ship.com/ ・中島健二さん http://www.profile-windows.com/ ・五十嵐進さんhttp://madconnection.uohp.com/mt/ ・鈴木亨さん http://www.suzuki-koumuten.co.jp/        ・佐貫井尚さん http://shoh.sub.jp/architects/ ・河皓介さん  http://www.inax.co.jp/architects/kawa/index.html をはじめ全員、良質・良心な建築に関わる方々ですが、本業以外にもセルフビルダー・自転車・都市徘徊・アースダイビング・新製品マニアなどなどの遊びが、皆さんを人生の達人のようなふくらみの在る風貌に仕立て上げています。

この日、町田市の120年以上続く馬肉屋『柿島屋』http://r.tabelog.com/tokyo/A1327/A132701/13010306/に午後六時に全員集合、馬肉の美味さではピカイチといわれるこの店の馬刺しと馬肉鍋、馬肉のミンチカレー、生ビール、黒ホッピー、日本酒、焼酎とメタボなどなんのその、荒ぶる馬並にいきり立った中高年の集団は、与太話と建築界の新潮流に関わる高い志の話に興奮し、ハイピッチで酔いまくりました。そのパワフルな姿と高尚な談笑は柿島屋の中でも段違いであり、この夜の様子は正に、サミュエル・ウルマンの『青春の詩』http://www.rik.ne.jp/itai/seishunnoshi.htmそのまんまでありました。

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