情報を紡ぐ愉しさ。明治初期の横浜
横浜と新橋が鉄道で繋がった頃の地図をネットから検索して登場したのがこの絵地図ですが、鉄道は右下の海上を走っていたとは知りませんでした。さぞ、絶景だったでしょうし、左上の根岸から磯子に下って行くヘアピンカーブの坂道などは、ベアドが撮影した写真と比較するとアームチェアー・トラベラー気分満点であります。
インターネットのおかげで、様々な情報を多角的・多面的に比較検証できることとなり、想像力さえも膨らむいっぽうで、それはそれでありがたいことです。それでも、根気と直感を研ぎ澄ませておきませんと、ちょっとした検索用語のインプットの差が、まったく異なった情報を登場させたりと、まだまだこのマシーンは魔界でありますし、インプットの感性、即ち、イマジネーションのスケール感がどうも分かれ道のようでもありますね・・・。
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