1953 初めての写真機?
父が久我山の家を改築に着手した1953年http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1953.htmlの工事現場で、大工さんたちが右往左往している中、チョコチョコと動いていた私を父が撮影したものです。
どういう経緯かわかりませんが、大工さんは全員、信州の農業を主としている人たちで、当時の私には、どうして農家の人が家を作れるのか不思議でなりませんでした。
大工さんたちは父のアトリエに寝起きし、毎晩、酒盛りとなって大騒ぎしていて、その雰囲気に興味があったのか、私も中に入っては、うろうろしていました。みなさん、信州に伝わる民謡から流行の歌謡曲まで、留まることを知らないほどの歌好きで、テレビのない時代でだからこそ、歌と戯言の濃いコミュニケーションが主流でありました。また、解体した廃材であっという間に作った仮設小屋が食事場・休憩場となり、そこで母やご近所の皆さんが食事の煮炊きをするといった按配で、子供にとっては毎日が知らぬことばかりで面白かったのです。大工さんたちは何でも自分たちで作ってしまうのが得意で、服を掛けるハンガーから靴箱まで、手早く器用に作ってしまうのでした。
さて、私が生意気な格好で写しているカメラが何処のメーカーのものか分かりませんが、このブログをご覧の方で、お分かりの方がいましたら、コメントをいただければ嬉しい次第です。
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