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2010年3月27日 (土)

型ガラスのシャープさを再認識!。

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今の時代気分は、緩い感覚、頑張らない生き方、手作りの復権などなど・・・、スローな気分にさせてくれる流れに傾いてますが、人間というものは勝手なもので、振り子のようにバランスを取りたくなるのか、最近は1930年代から1960年代あたりのきっちりした工業用品などを見直す風潮が、トレンド好きな皆様に顕著なようです。

そんなことを云ってる私も実は、工業製品のもつアノニマス性を信奉している者ですが、長年、何処に行っても見つからなかったのが、日々、筆記具・ハサミなどを容れる器だったのです。それがある日、自由が丘mieurx http://www.mie-ux.com/ の白い棚に雑然と置かれていたガラスのジャム瓶を見つけ、やっと永い間探していた苦労が消し飛んだも同然でした。

夫々の筆記具には、かなり愛着とこだわりがあって、毎日机上で目に入るものですから、それに相応しいものを探し求め、これまで陶磁器のマグカップ、紅茶の缶、木製の筒などに容れてきたものの、中の筆記具を透過しつつも目移りせず邪魔にならないガラス素材がベストという偏見に到達し、多くのガラス瓶などに差し込んできましたが、この型で抜かれたガラス瓶ほど美しいものには出合いませんでした。

1930年代のフランスのジャム瓶ですが、エッジの立った鋭い角に西日が当たると、縦に光が走り、この手の瓶にありがちな気泡も皆無に近いベストコンディションです。目方もしっかりありますから、ひっくり返ることからも解放され、やっと安心できる机上の友がやって来ました。

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