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2010年3月 5日 (金)

広重・四ツ木通用水引船

048 四ッ木通用水は、もともと本所、深川方面へ飲料水を供給するため、元荒川の瓦曽根溜井を水源として、四ッ木村を通って向島まで引かれた古い上水である。
 この上水は、水源の水量が不安定であったり、江戸湾が満潮になると塩水が混ったりして、飲料水としては不向きであったため、最終的には廃止されてしまった。
 それ以後、農業用水として、さらにまた四ッ木村と亀有との間の28丁(3km)は、人力による引舟の交通路として利用されるようになった。この引舟を四ッ木通用水引ふねといい、14艘ばかりの舟が往復していた。
 四ッ木村辺り一帯は湿地に近い平地で、用水の流れは緩慢であったが艪を漕ぐ舟には不向きであった。そこで、舟の舳先のやや後方に棒を立て、これに結び付けた綱を人間が引いて舟を動かした。引手は近くの農民で、副業として男ばかりでなく女も舟を引いたという。
 この用水の堤を水戸街道の脇道が通っており、亀有で千住大橋を渡って来る本道に合流していた。そのため、水戸へ行く人や柴又の帝釈天へ詣でる人が引舟を利用したという。
 落語家春風亭柳好は、「むかしゃ、あの引舟ってのを通って、お金持は舟であがる(江戸へ行く)、私たちゃ歩いて堤の上を行った」と述懐している。
(堀晃明『広重の大江戸名所百景散歩』)

水の都であった江戸の頃は幾重にもこのような風情の景色が重なっていて、それは今から観れば羨ましいようなパノラマであったに違いありません。なにしろ時間がゆったりと過ぎていったわけでしょうから、効率のよい道路計画など立てずに、生活路としての川が有効的に機能していたのでしょう。

春先に浜松町から浅草までの水上散策を楽しみますが、岸のみっともなさといったら、どうしようもなく、さらにステンレスのパイプが目に付き始め、その反射が春の爛漫としたのんびり加減を逆撫でするようであります。

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