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2010年4月30日 (金)

ヒルサイドパントリー代官山・ツナサンド

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松浦弥太郎さんの著書『日々の百』には松浦さんが日頃愛用している様々なアイテムが登場し、簡潔な文章と潔いカメラワークスが小気味良いのです。

その中に登場するのが、ヒルサイドパントリー代官山http://www.hillsideterrace.com/shop/shop_g_pantry.html のツナサンドです。実は私も此処のツナサンドを一度食して以来、その旨味の深さにはまってしまい、今もときどき買いに伺います。

このお店、以前よりも店内構成が洗練され、その分、デリカテッセンのような和む雰囲気はなくなってしまいましたが、上質なカジュアル感という意味では今も光っていますし、棚の隅々までが清潔感を保っています。

松浦さんの随筆を読むと、このツナサンドの美味しさの秘密はツナペーストで、自家製マヨネーズに蜂蜜が隠し味となっているようです。

日々の100 Book 日々の100

著者:松浦 弥太郎
販売元:青山出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2010年4月29日 (木)

社員食堂のメニュー。

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Rimg28028写真提供:Casa BRUTUS

いつの頃からか、社員食堂のメニューが多様化し、ありきたりの定番食堂から美味しく魅力ある環境の中で過ごせる方向へとシフトしてきたとはいえ、この写真のような、時代を先取りしたメニューを毎日いただける会社は、そうそうあるものではありませんね。

東京は、清澄白河にあるヨーガンレール本社の社員食堂は、建物の中でもっとも気持ちよい場所にあるそうで、さんさんと入る陽射しを浴びながらのランチはさぞ開放的であり、健康的でありましょう。

ランチメニューは、完全無農薬の野菜を主としたベジタリアンコンセプトですから、みなさん、仕事の方も穏やかにされているに違いないのです。

上は火曜日のメニューで、大根と豆腐のサラダ・人参とゴボウのクリームパスタ・グリーンサラダ・キャベツの蒸し煮・ターウムのバターソテー・はるみミカン・スープ・玄米ご飯。

下は水曜日のメニューで、車麩と根菜の炒め煮・ホウレンソウと小松菜のおひたし・さつまいもの甘辛煮・きんぴらサラダ・厚揚げの白和え・リンゴと人参のサラダ・トマト入り味噌汁・玄米ご飯・・・、と羨ましい限りのヘルシーランチです。

ヨーガンレールさんのカリスマ性は些細なところまで行き届き、ここまでくると企業アイデンティティの教科書のようです。でも元気なスタミナ系社員には、いささか物足りないかもしれませんね。

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2010年4月28日 (水)

春は石塀から・・・。

Rimg27896 自転車を走らせていると、ふとした景色でその季節の気配を感じることがあります。ドロップハンドルですから、うつむき加減で前をみているので、流れていく脇の気配には比較的無頓着となりますが、たまに、このような石塀の脇を抜けるとき、何ともいえない春の温もりを感じてしまいます。

ずいぶんと歴史のありそうな石塀ですが、午前中の陽射しと凹凸の影の按配、そして木々から映り込む木漏れ日、なかなかベストな構成です。

文京区にはこのようなきちんとした石塀が多く残されていて、その脇を抜けるとご機嫌な気分に満たされます。今年も、春らしさがようやく巡ってきて、防寒対策を気にせず、快適に走行できる時季となりました。

さて、自転車用のウエアも進化し続けてますが、この時季に欠かせないのが、アームウォーマーは当たり前として、何といってもウインドブレーカー機能のダウンベストです。小回りの効くアイテムとして大活躍し、これ一枚を後ポケットに差し込んでいれば、急な冷え込みもなんのそのであります。

私は春になるとこのメロディーを口ずさみます。http://www.youtube.com/watch?v=VPQZTS5Rax8

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2010年4月27日 (火)

1953年。家の改築

1953c 1953a 1953b 戦前からあった久我山の家を父が改築したのは、1953年(昭和29年)のことです。私はまだ6歳でしたからその当時の事情は分かりませんでしたが、大工さんは全員、父の故郷・信州の方々がわざわざ東京まで出向いてくれたのでした。その後に父から教わったことですが、その皆さんが棟梁以外は、本業は村で農業を営む方が殆どで、大工仕事はあくまで余技だったのです。材木は全てではありませんが、尾州・檜のすーっとする香りがかんなで削られたくずや木っ端から放たれて、その自然のもつ香りの豊かさにはじめて触れたときでもありました。

父の故郷では、そもそも、専業としての大工さんなどいなかったそうで、村の家を新改築するときなど、村中総出で、男衆のボランティアだったそうですから、ここには古来よりの日本の村・町・地域を支えるひとつの 「かた」「お約束」 が存在していたのです。

うっすらと記憶にあるのですが、10人近い皆さんは久我山の敷地内に解体した廃材を使って、即座に仮設小屋を建て寝泊りしていて、私はそこで皆さんに遊んでもらうのが楽しみでありました。信州の人間ですから酒のたしなみも半端でなく、毎晩の宴会のような騒ぎに、周りの住民の皆さんも集まって盛り上がり、正に、家を建てるのは、お祭りであったのです。

現存する写真は僅かで、お祭り騒ぎのスナップはないものの、現在お元気な方でも90歳はとっくに越えているであろう風貌からは、厳しい農業で鍛えられた剛毅さが伝わってきます。

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2010年4月26日 (月)

根津神社真っ盛り!!!。

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18日に根津神社のつつじを観ようと、早朝から気合をいれ、自転車で駆けつけたものの、まだ早すぎた感がありました。そこで、24日に再度出かけてみると満開寸前の実にタイミングがぴたりと合いました。先週より到着時間が遅く10時近くになり、また入口で長蛇の列なのか・・・、と思ってましたが、ご覧のような閑散としていて写真スナップにはありがたい状況でした。

満開のつつじは色彩の狂乱となる感があり、また葉と花が補色関係に近いこともあって下品になりかねないですから、下品になる寸前をゆっくりと堪能しましたが、この神社の上には洋風住宅が並び、写真を撮るにもベストアングルであればあるほど、この洋風住宅が邪魔します。住宅を視界から消そうとローアングルから狙えば、手前のつつじが迫ってきますし、苦労しましたが、グリーンとピンクのバランスが程よい配分となっている場を見つけ、そそくさと世田谷まで戻りました。

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2010年4月25日 (日)

木漏れ日の中を徘走してました。

03 写真:今森光彦

春から夏にかけては風光明媚そのまんま、という日があって、場所が里山であろうが都心の住宅地であろうがその光と風の按配が最高なハーモニーを持った瞬間に出くわす偶然の愉しみ・・・、そんな瞬間を追い求めて、今日も銀輪徘走をしているのです。

今森さんの写真には、私世代には記憶の片隅にきちんと情景として刻まれた押さえどころが登場するので、ときどき、本をめくっては只でさえ、薄れてきている季節の移り変わりの空気感を愉しんでいます。

さて、東急・田園都市線が走り、ちょっとスノッブなベッドタウンと化した、たまプラーザあたりも40年前はどこを自転車で駆け巡っても行けども行けども、このような光景が続いていました。新緑の頃は輝くような木漏れ日に感動しつつも。木々の樹液が顔面にかかり、その粘りには閉口したものです。おまけに服にも容赦なくはりついて、これが気になりだすと、集中力・自転車操作にも支障をきたし、何度か道の石に足元をすくわれたりしたものです。

それでも、当時出たばかりのトランジスタラジオから聴こえてくるFEN放送のカントリーミュージックの明るい歌声と軽快な演奏が心浮き浮きとさせてくれ、早朝から快晴を約束してくれる青空を確認すれば、家の用事を言われるのが億劫ということもあり、そっと玄関を出て、ぱっと飛び出していきました。

当時、人気のあったHank Snow http://www.youtube.com/watch?v=K3Z_TcYoz3A

Hank Lockrin http://www.youtube.com/watch?v=lJY7doE3IX8

Marty Robbins http://www.youtube.com/watch?v=zD8MnvyAi6I  の三人の歌声は毎日いやというほど聴こえていましたから、歌詞はおぼつかないのですが、メロディは今もしっかりと覚えています。

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2010年4月24日 (土)

高校サイクリング部・後輩のスナップ

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Icrity 1963年から1965年にかけての高校時代は、風雨以外はほぼ毎日の自転車通学でしたし、週末は東京サイクリングセンターに集まる先輩などにくっついては、五日市方面から多摩丘陵と駆け巡り、単独ランとグループランの面白さを堪能していました。1963年、サイクリング部を創部し、後輩たちも増え、春・夏とかなり遠征したツーリング合宿を実施していましたが、元来、単独ランの好きな私は合宿からはなれていきました。というのも、私はサイクリング部に属してはいたものの、演劇部の舞台装置・照明スタッフとして関わってましたし、2年生後半になるとフォークソングバンドの秘密練習などもあり・・・、大学受験の実技特訓・・・と、それなりに忙しく、徐々にサイクリング部から撤退を余儀なくされました。

それでも、後輩の皆さんは、しっかりとツーリングを重ね、伊豆半島・紀伊半島まで出かけていたたのです。先日、後輩の右近義隆さんからお借りしたこの写真が、そのときのものかどうか分かりませんが、格好からして春の伊豆半島あたりでしょうか。ずいぶん、貫禄ある後輩ですし、奥の切通しにいたっては景観的にもおみごとです。

ところで、この掲示文言は1963年・文化祭のとき、ワンダーフォーゲル部から独立したサイクリング部として私達が作ったものです。文章一本で勝負しているところなぞ、若きウェルテルの悩みなどこれっきりもない、潔さがうかがえますね・・・。自転車に対する心得も、おそらくは、東京サイクリングセンターの板倉修氏の影響もあろうかと思いますが、若くして枯淡の境地でありますから、愉快です。

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2010年4月23日 (金)

安野光雅・乾いたスペイン

1809 しっとりと湿度感のある画趣を得意と思っていた、安野光雅さんですが、このようなからからの渇ききった風景も、自分のものにしています。

此処は、スペインの田舎町ですが、この土地から採られたであろう、家の壁の素材感がみごとですし、後から塗られたペンキのような塗装の質感もリアルです。

さて、建築家の描かれるドローイングには古今東西、ピンからキリまであって、人に見せることを意識したものから、自分の試行錯誤の過程を記録するためのものまで、千差万別です。以前、千駄ヶ谷のGAギャラリーでみたドローイングの展覧会では、安藤忠雄さんの神経質そうな鉛筆一本の詳細なスケッチが印象に残っているものの、安野さんのような、周りの空気感までを描ききっているとは言えませんでした。

建築が建物だけの時代に終わりを告げ、周辺の景観までも、守備範囲に入れざるを得ない状況とはなったものの、自分主義・土地本位のこの国では、自分の住まう場所にのみ精一杯でしょうから、周囲の環境にまで、神経が行き届かないといったところが、現実でしょう。せめて、地域の人との交流などは、以前にもまして盛んなようですから、頻繁に宴を催して、地球環境の将来を肴に、喧々諤々、おおいに盛り上がって欲しいものです。

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2010年4月22日 (木)

北斎・原宿キャットストリートのその昔

Photo 富嶽三十六景の内、『隠田の水車』と題された一枚です。

現在のキャットストリートは暗渠となってますが、その昔というより1964年・東京オリンピック前まで渋谷川の流れる長閑な場所だったのです。現在も地元商店街は隠田商店街となっていて、住民の生活支援の機能は小さいながらも保たれています。キャットストリートとの角地にある八百屋兼果物屋さんも4代にわたる商売を続けているそうですが、店の前の渋谷川で取れたての野菜を洗ったりしていたそうです。

北斎の浮世絵にもこの地の生活感溢れた画趣が遺されていて,いかに渋谷川沿いが生活の場であったことが分かります。此処が、ほんの20年前まではこんな賑やかなファッション界隈になるなど考えられなかったですし、せいぜい、小さな趣味的な店ばかりが点在していたに過ぎませんでしたが、今では、大手アパレルから隠れブランドの店までが連なってしまいました。

しかし、このデフレスパイラルの真っ只中、明治通り側に相次いで出来たファストファッションブランドばかりに客を奪われ、キャットストリートからいっときの勢いは失せたような気配ですが、又、昔のストリート感覚溢れる散策に最適な道筋が戻ってくることを願わんばかりであります。

隠田の江戸・明治・現在の推移は以下のようです。Xfjhxzj Xjjxk Gckic

ついでに、1947年(昭和22年)の米軍撮影による神宮前の姿も・・・。Dxzjuh

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2010年4月21日 (水)

アノニマスデザインの大将・砂糖入れ。

Rimg24558 デザイナーが関与していないデザインの方がむしろ多かった時代の商品には、秀逸なロングセラー・ロングプロダクツが多いというのも皮肉な話ではありますが、まったく、その通りなのでもあります。作為の微塵も無く、正直一筋で考案・開発されたモノには商品というよりか、誠実そのものが伝わり、日本の民芸と相通ずるのも然りであります。

この、砂糖入れ、アメリカのファミリーレストランなどで多く見かけたものですし、日本でも、ちらほら目にすることのある商品です。いや商品というよりも製品といったニュアンスの方が合っているかも知れません。

初めての海外出張がニューヨークであった1979年、当時のトレンドでHigh Techというものがあり、営業用の家具・什器・照明・備品などをインテリアとして取り込むスタイルでした。流行の発端はSOHO地区のアーティスト・俳優・ファッションデザイナーなどが比較的安価で丈夫でスタイリッシュな生活を望むのにうってつけだったからです。友人を介して、電通ニューヨークのデザイナーにSOHOやVILLAGE界隈の流行発信店やギャラリー、さらに、住んでいる皆さんの部屋まで覗かせてもらいましたが、絵に描いたようにHigh Techの独壇場でありました。

さて、この砂糖入れですが、1975年頃に出版されたMade in U.S.A Catalogに掲載され、ひと目で気に入ったものです。当時、国際返信用切手を送り商品を購入することが流行ってましたが、私はそちら方面の興味がなく、ニューヨーク出張の時にごっそり買い込みました。さらに、運よく円高のタイミングも後押ししたので、これ以外のステーショナリー、ボタンなど他愛ないものばかりを買ってしまい、帰国して家人にさんざん酷評されたのでした・・・。

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2010年4月20日 (火)

春は盛りとなりだした!。

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Rimg28142 日曜日は、早朝からの快晴となり、自転車俳走には気温・風向きともに春の気分満点という予報でしたから、7時過ぎに世田谷を出発、まだ少し寒いものの、快適に都心に向かいました。駒沢通りから槍ガ崎の上りもトレーニングのおかげで、すいすいと上ることが出来たのには独りニンマリでありました。明治通りに出て広尾商店街に入り、外苑西通りを左折、そのまま六本木通りを越し、青山斎場を左にみながら青山通りを直進、外苑東通り・権田原交差点を右折。東宮御所と明治記念館にはさまれたこの一画の朝は陽射しを正面に浴び、冷えた体も温まり、一服するのにちょうど良いスポットです。そのまま、四谷から靖国通りに向かいます。この界隈、新緑の芽吹きが真っ盛りで逆光を通して、煌めく光が美しい景色を作ってくれています。市ヶ谷見附から飯田橋に向かう靖国通りは、桜の木が緑色と桃色が絶妙に溶け合い、桜満開の時期とは違った、渋い光景が延々と続き、そこに中央線が走ってくると、都心では唯一といってよい、美しい景観が始まります。そのまま水道橋交差点をを左折、春日通りを右折し、本郷通りまでのきつい上りを一気に駆け上がると、まもなく本郷三丁目に出ます。

普段ですと、このような面倒なルートは通りませんが、この時季は、場所によって春の兆しの味わいが異なるので、わざわざ、このルートを抜けるのが私の選択です。

今日は、根津神社から谷中界隈を散策し、皇居・天守閣址などで春の様子を愉しみましたが、根津神社のつつじは、今週中頃から見頃でしょうが、この日のような三分から五分咲きでも却って、華やかさが控えめで人も少なく、上品な空間が展開しています。東京大学・構内の八重桜も桜マニアの方々には有名なスポットですが、咲きっぷりのみごとさと道路に写る影と桜の花びらとのコントラストが愉しめました。皇居・天守閣址は、何故か、外国人に占拠されたも同然といった状況でしたが、快晴・無風のおかげで、体も冷えず、のんびりと散策しましたが、春の和菓子のネタとも云われる此処の築山の按配が最高でしたし、もう少し花が開花してしまうと、上品さが失せるため、グッド・タイミングでありました。

この日は谷中を最後に、帰路につきましたが、東京の不思議感として、午後二時を過ぎると、急に、風が強くなることです。ウインド・ブレーカーを持たなかったので体の正面が冷えだし、自宅に着いて、すぐ、珈琲の準備にとりかかりました。走行距離・77キロと頑張りすぎました。

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2010年4月19日 (月)

広重・大磯

1101 和菓子・鰻・蒲鉾など隠れた名店の多いことで知られる湘南・大磯は、明治時代になると湘南リゾートの発祥の地となって、それに伴い有数の別荘地となりましたが、江戸時代までは宿場町として栄えたものの、本来は地味な漁村だったようです。

広重独特のデフォルメされた茅葺屋根が、軒を連ねた宿場町の隆盛を象徴しているようで、当時もこの版画をはじめとする東海道旅の絵巻を通して、伊勢詣りに代表される旅に出たくなる気持ちを、町人に喚起させてくれたのでしょう。

さて、西行の鴫立庵・松林・伊藤博文邸跡・・・など、派手な観光名所があるわけではなかったものの、1957年(昭和32年)に大磯ロングビーチが出来て以来、それまで比較的静かな大人の静養地であったのが徐々にヤングジェネレーションの巣窟となり、やがて団体バス御用達の定番ルートとなったりと、その西武の観光センスについていけない戦前からのクラス意識のある良識古典派の皆様は次第に此処を離れていった経緯があります。このロングビーチは堤義明氏の大学卒業論文をほぼそのまま実現させたコンセプトに則っているそうですから、なんともはや・・・であります。極論してしまうと『箱根山戦争』http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1121310021 の余波はここまで広がっていたという証なのかも知れません。

さて、少しずつではあるようですが、今、戦前のような落ち着いた町づくりへ行政も真摯に取り組んでいるということですから、願わくば、お洒落で落ち着いた伝統湘南の誇りを取り戻してもらいたいものです。

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2010年4月18日 (日)

昭和20年代・吉祥寺井の頭線ホーム

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小学校に入学して、何より嬉しかったのは、毎日の電車通学でした。京王井の頭線・久我山駅と吉祥寺の間でしたから、それこそ、あっという間に着いてしまうのですが、電車内から観える長閑な光景は、自然と四季の変化が鮮やかで、さらに、神田川沿いの藁葺き屋根の住居から昭和20年代後半に流行りだした平屋の新・和風住宅までがうまく混じりあい、独特な雰囲気が穏やかな丘陵に何箇所も点在していました。とくに、久我山周辺の高い丘陵からなだらかになる三鷹台の一画は、建売住宅が神田川沿いを占拠してしまう前でしたから、瀟洒な立教女学院の校舎と調和が取れ、明るい雰囲気に満ち溢れていました。又、井の頭公園の線路沿いにも洒落た木造住宅が点在していて、電車内からもモダンリビングな生活ぶりが覗けるほどの大らかさでした。

小学校2年生までは、吉祥寺駅に到着すると、友達等と競って全速力で北口に出て、歩いて学園まで通っていましたが、やがて、車中心の交通環境に移り、事故に巻き込まれないようにという配慮からか、バス通学となったものの、行き帰りの散策三昧の愉しみを既に覚えてしまったものですから、極力、歩いては大正通り・昭和通りの人・店・街・町のようすを愉しんでいました。

上の写真が昭和20年代の井の頭線・吉祥寺駅でこの雰囲気は今も記憶に鮮明です。

下の写真は1947年(昭和22年)・米軍航空写真のデータですが、白の点線が井の頭線です。小学校に通い始めた1954年頃と全く変わってない線路周辺の環境に驚きですが、1950年代後半から60年代前半には宅地で埋め尽くされはじめます。電車内から周辺の景色を観ていた時代の様子が鮮明な写真を通し、蘇ってきます。

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2010年4月17日 (土)

小池三郎さん・読売巨人軍とともに

Rimg27950 素晴らしいフォルムと理想的なラインの一言ですね・・・、多摩川べりで1951年グランド小池商店を創業、来年で60周年という古い歴史をもっているお店の大将・小池三郎さんの横顔です。のり移ったのかどうかは、分かりませんが、あの川上哲治さんに完璧なほどそっくりなのです。大正10年 http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1921.html 生まれの89歳ながら毎日、店に出て若い世代の体育会の輩と接しているので、黄金時代の巨人軍の語り部も人生講話の一仕事で、奥に引っ込んでいる暇などなく、ご覧のような眼光の鋭さです。

小池商店 http://sohske.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-04b9.html はジャイアンツファンにとって、店内のお宝写真やサインバット・サインボールの類は感涙ものばかりですし、今も週末ともなれば此処を懐かしがって訪れるお客さんで忙しくなります。

私も、多摩川自転車徘徊の度に一服するお店で、ここの「おでん」を一皿いただくのが殆ど慣わしでもあります。目の前の多摩川堤は目線よりぐっと上にあって、その先、見えるのは往来する車と空だけで、ここにいると店内のお宝からか、懐かしい気分になれます。

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2010年4月16日 (金)

逞しく穏やかな岡本文弥さん。

Rimg27992 松浦弥太郎さんと、ひょんなことからお会いして以来、経営されているCOW BOOKS http://www.cowbooks.jp/newtop.html に頻繁とお邪魔することになり、そこで手に取った三月書房の本にのめりこみ、気付くと、数冊が書棚に小気味良く収まっていました。

池田弥三郎・奥野信太郎を数冊買って以来ご両人の文体の品格に改めて惹かれ、PCで慣れきった自分の文章構成を恥ずかしく反省していますし、文庫本寸法ながら装幀の確かさも魅力で、最近のデスクトップで生まれるデータ処理指向の出版物からは味わえない薫りを愉しんでいます。

岡本文弥さん http://www.taitocity.net/culture/bunkazai/sinnai.htm の随筆もそのひとつです。ずいぶん昔になりますが、永六輔さんが岡本文弥さんのことを「権力に抵抗する剛毅なようすなどいっさい見せず、しゃらりと生活するその様は正に、江戸の町人のそれである・・・、」などとラジオで喋っていたことを妙に、頭の隅っこに覚えていて、偶然、三月書房からその姿の良い造本と装幀を見つけてしまいました。

『芸渡世』『ひそひそばなし』、二冊とも、岡本さんの日常周辺に起こるできごとや、芸能、ちょっと昔の町に関わる四方山話などなどが盛り込まれ、その流れるような文体を通し、粋で控えめなのに切れ味の鋭い、随筆の鏡のような珠玉の宝庫です。

どの内容もひょうひょうとしてますから、読むごとにふぉんわかとして、やわらかく成りだしたこの時季だからこそぴったり合うような気がいたします。

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2010年4月15日 (木)

1962 成蹊学園の航空写真

196202 中学校を卒業した記念にいただいたアルバムに当時(1962年)の成蹊学園全体の写真がありました。

これを観ると武蔵野の林に囲まれた長閑で牧歌的な環境が記録されていて、学園構内よりむしろ、周辺の住宅が郊外の学園都市の理想的景観を呈しています。現在は密集してしまい、マンションも林立していますが、この時代は住宅のスケールも大きく、生垣で囲われた住まいが殆どで気分の良い環境でしたから、学校の帰りには、この周辺を自転車で回り道して、散策しながら久我山まで帰っていました。学園の周辺には不思議なお家もあって、その代表例が濱徳太郎氏邸でしょう。お住まいの隣に大きなガレージがあり、其処にはクラシックカーと呼ばれるイギリス・アメリカ・ドイツの車がずらりと並んでいました。その車の風貌と緑に囲まれた環境とがみごとにマッチしていて、しょっちゅう、覗き込んでいました。

この学園から久我山の家までは直線にして4キロ程度でしたから、自転車で裏道・抜道を駆使していけば、あっという間に帰れたのですが、『真っ直ぐ帰りたくない症候群』のせいか、自然環境に恵まれたルートを通る癖があり、、石神井公園・井の頭公園・深大寺方面にまで出かけて家路に着くということも、多々ありました。そのせいなのかどうか、長閑な郊外環境があっというまに分譲宅地化していく過程も眼にすることが出来たのです。雑木林が徐々に消えていくことが一番残念でしたから、家路に着くまで、最も自然環境の良さを味わえる玉川上水の脇を抜けて帰る頻度が多くなりました。

この年1962年、アメリカではキングストントリオが大ブレークしていて、その噂は中学生の私も知っていました。フォークソングのシンプルな曲趣とバンジョーという乾いた男っぽい楽器に惹き込まれた頃です。 http://www.youtube.com/watch?v=Lz0DySippak

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2010年4月14日 (水)

Mac Wiseman の、まんまる姿

Rimg24370 The Voice With a Heartと呼ばれ、ブルーグラスミュージシャンを越えたその人柄が人気で、佳きアメリカの平均的価値観をもつ一人の人間でもあったマック・ワイズマンの1965年のペンシルバニア州・サンセットパークのステージです。歌うはブルーグラスの名曲[Jimmy Brown the Newsboy]  http://www.youtube.com/watch?v=sI-6F5mqD3Q です。

このマルマルとした立ち姿こそギターを抱えるに相応しく・正しいかたちなのです。つるりとギターがお腹の上を滑っても、この可愛く堂々たる姿から生まれる優しい心の歌を通して、聴衆は感激するのです。

外にも時代別の何曲かをお聴きください。・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=Et1dkOlOsrI

http://www.youtube.com/watch?v=ZNJkH2jvhYU

http://www.youtube.com/watch?v=G8HHFCDRFBk

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2010年4月13日 (火)

1962 ブルーグラスフェスティバル・ツアーバス 

Rimg24369 ブルーグラスという音楽がアメリカの特殊にして特定な音楽であることは今も変わりありませんが、この写真が撮影された1962年頃、都市においては間違いなく日本の方がアメリカよりも学生の信奉者が多かったのは間違いない筈です。

私でさえ既にこの前年、1961年にラジオ関東(現・ラジオ日本)から聞こえてきた五弦バンジョーの乾いた音色に吸い込まれるようになり、とうとう今日まで付かず離れず、ほぼ50年といった付き合いになりました。

さて、アメリカのブルーグラスミュージシャンさえ、それ専門で生活するのは容易でなく本業は地味な地図制作者だったりする人もいたりするのですが、大御所とよばれる限られたグループだけは、このようなツアーバスを駆って、毎日、ワゴントレイルのように各州をまわっていたのです。The Stoneman Family http://www.youtube.com/watch?v=t0fXdtVteaI もその選ばれし人気グループで、どちらかといえばエンタメ芸人系の色物に近い舞台が、週末をブルーグラスなどの音楽で憩うアメリカ東南部を中心にした大衆には、もってこいの元気をいただけるバンドだったのでした。

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2010年4月12日 (月)

掛時計のデザイン

Rimg27353 掛時計のデザインは機器のようなデザインからファンシーなデザインまで、他の商品と変わらないバラエティがありますが、昨今の、デノミスパイラルに巻き込まれるように、販売価格帯も下がり、それが生産コストを圧縮し、結果、素材感・質感の乏しい商品ばかりに成りかけているのが現状です。

それでも、良心的なものづくりを企業理念として連綿として構築しているメーカーもあり、そのひとつが富山県・高岡市に本拠を構えるタカタレムノスhttp://www.lemnos.jp/です。社長の高田博さんは、日本の大手が寡占化する保守的な掛時計界に、デザインクロックを市場に定着させられた功労者で、硬派な企業先導者の一面と音楽好きなベースマンとしての柔軟性を併せ持つ、大人物です。永い間、仕事を続けていただき、お互い、云いたい放題・喧々諤々で商品企画をしてきました。

掛時計にはじまり、関連会社の高田製作所の真鍮・錫素材を活かした商品開発など、まだまだ試練は多く、解決せねばならぬ課題もありますが、この秋には一通りの結果が市場にお披露目となります。

さて、この掛時計は昨年に発売されたものですが、やっと、掛時計とは影をデザインすることだ・・・、ということに気付いたのです。とくに、陽射しの加減による時計の奥行きサイズと影との関係は、今後のデザインに反映させたいものです。

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2010年4月11日 (日)

1954年・自転車自慢!

3111954 1954年(昭和29年)http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1954.html、小学校入学の祝いに両親から買って貰った自転車が嬉しく、まだ長閑で自動車の往来もほとんどないような久我山界隈を、ときには独りで走っていました。

前の年、1953年に家を改築した父は、それまでの生垣の一部を当時最先端の建材だったブロックにしたのですが、大工さんたちはこの建材の積み方も知らず、セメントで重ねていく部分などははみ出してしまい、目地の線がよれよれになっています。

それでも、最初に作られたブロックは頑丈であったという噂は正しく、その後、量産されたブロックは比較的雨などに弱いとされてましたが、1994年までこのままの姿で一箇所たりとも欠けたり朽ちることなく、上面には苔も付着し、経年変化の微妙な侘び寂び感を伴って、それなりの風情を味わうことができました。

さて、この自転車はたしかミヤタ製だったかと記憶してますが、隣駅の富士見が丘の自転車屋で買って貰いました。当時、久我山には自転車屋などなく、ちょっとした修理にも、富士見が丘まで出向くのは大変でしたが、この自転車屋さんのオヤジさんがたいへんなサービス精神の持主で、気さくに家まで来てくれて修理をしてくれました。その後中学に進学して、学校への往き帰りに自転車を使うことが頻繁となり、東京サイクリングセンターを発見して入り浸るまでまでの自転車は、この写真のものを含めて3台とも、富士見が丘の自転車屋さんのお世話になっていました。

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2010年4月10日 (土)

まだまだ楽しめる桜。

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19350220年以上前、地下鉄丸の内線をよく利用していた春の頃、四ッ谷駅に近づくと、右手に上智大学のテニスコートが見え、土手の桜のみごとな展開に、今乗っているのが地下鉄であることを一瞬ですが、忘れてしまうことがありました。グラウンドとして埋めたてられた以前は、そこが外濠であったなどとは、1935年の古い写真を観て初めて分かったりもしました。

さて、今年の桜は寒さの影響からか、色味が薄いような気もしますが、長持ちしてくれてるだけでも、嬉しい気分です。

快晴の午後、新宿から銀座に抜ける途中、四ッ谷駅から上智大学脇の土手を見物しながら弁慶橋に向かいましたが、山吹との響き合いが美しい色彩構成を展開してました。この土手の上は桜見物の皆様で賑わってますが、下から見上げると人影が写らず、写真を撮るには好きなスポットです。どこでも、桜の名所は多くのアマチュアカメラマンが押し寄せ、絶景スポットなどは、図々しく割り込みませんと、場所を確保できませんが、意外とこのアングルから狙っている人は少なく、不思議でなりません。桜はまだまだ頑張っていて、今週末まで楽しめますから、得した気持ちになれそうです。

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2010年4月 9日 (金)

神田・さゝまの春模様

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Rimg27825春に限らず、四季の自然界のモチーフを人間の感性で象徴化することは、和菓子屋さんの創造力と店格を示すわけですから、腕の揮いどころなのでしょうが、最近はどの店も伝統的な様式美に頼るところが 多く、現代的な感覚には、いまいちと云った感が多くあります。

今日は、久しぶりの神保町に出かけ、文房堂で色鉛筆を購入し、その足でさゝまhttp://www.sasama.co.jp/top.htmlの暖簾をくぐりました。他店が華麗・雅な春爛漫の和菓子展開をする中、こちらは、頑なに、江戸の粋を守り、実に綺麗寂びなのです。

「吉野山」の桜の表現も素っ気ないといわれんばかりのものですし、菜種の表現も他店ではきんとんで作られるものが多い中、絶妙な求肥とカルメの組合せで思わぬ触感に驚きます。相変わらずの淡い甘さは午後の一服にお茶との相性もよく、神田に出かけると必ず、寄ってしまいます。

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2010年4月 8日 (木)

デュフィのクロッキー

Dufy8_3 小学校の高学年ともなると、図画・工作の授業内容も大人びてきて、立体にする授業内容の比率が上がってきたように記憶しています。それでもどちらかといえば平面で絵を描いたりする方が好みであった私は父のアトリエにあったセザンヌ・ピカソ・モネなどの木炭デッサンを見ては、対象を瞬時に掴む眼力に感心していました。今でも厚塗りの油絵よりは、さらっとした鉛筆デッサン系の作品に気持ちが揺らぐのはそうした子供時代の印象をいまだに引きずっている証拠かも知れませんし、性格的にやり直し(塗りなおし)の効く仕事より一発勝負の仕事に憧れているからかも知れません。

デュフィの素晴らしい『ロンシャン競馬場』の木炭デッサンというより、クロッキーといった方が的確な馬の姿には、動きを止めた瞬間の緊張感まで伝わって来るようですし、僅かな線で馬の筋肉のボリュームまで表わしていています。絵日記の欄外にでも描かれているような簡単な作品でありますが、全体の構成と重心のバランスがおみごとな一枚です。

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2010年4月 7日 (水)

広重・御殿山の桜

61853 品川宿の西側、崖地の上は御殿山と呼ばれ、一年中、その海を望む絶景スポットからか、たいへんな賑いだったそうですし、品川宿で遊ぶ前の散策コースとして、江戸の旦那衆から武家の皆さんにも、定番の場所だったようです。

一寸前の拙ブログに登場した大パノラマの浮世絵ではありませんが、浦安方面を望み、その先には筑波山と思しき山が具合のよい場所に描かれています。

おそらくは、品川宿のお姐さんが、今、崖を上ってくる大店の旦那でも待っているのでしょうか・・・、。いかにも楽しい江戸後期の遊び風俗が簡潔ながら描かれています。明治以降、富国強兵の国策と絡んで全国に広まったソメイヨシノとは違い、この桜は山桜でしょうか。その優しい咲きっぷりが、広重独特の画法によって手際よくまとまっています。

嘉永6年(1853)http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1853.html、黒船がやって来る百日ほど前の、鎖国三昧な一枚ですから、ペリー提督一行がこの眼下を黒船を引き連れて凱旋もどきのパフォーマンスをした艦隊パレードは、さぞ、見ものであったに違いないですね・・・。

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2010年4月 6日 (火)

これだと良く分かる、桜の俯瞰。

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写真提供:東京新聞

毎週日曜日の東京新聞で愉しみなのは、「都の空から」という大きな写真があるからで、その構図も美しく、自転車乗りにとって、都心の位置関係を掌握するにも、具合の良いものです。

4月4日・朝刊は皇居から靖国神社に亘るパノラマでしたが、自転車でよく走っている地域でしたので、親しみも一段と高くなり、虫眼鏡で街の様子を覗くことができました。前日、4月3日に北の丸公園から武道館に抜けたのですが、この日は法政大学・入学式と重なり、周辺は花見客と入学式参列者との交通整理もうまくいかず、いたるところで、管理スタッフとのいざこざが起きていたことも、このパノラマを見つつ、思い出しました。ついでに、3月28日の朝刊は上野公園のパノラマです。快晴で順光撮影ですからビルの反射で眩しい写真となってますし、三分咲の様子が桜の蕾の色の多いことからも分かります。

さて、東京新聞は父が生前、文化欄の内容の高質さからか、気に入っていた新聞でした。昨今は、情報即効性を携帯・ネットにお株を取られ、新聞も時代対応の有様を模索しているようですが、東京新聞は字の如く、東京ローカルのウエイトが高く、暮らし・地域情報も脚で稼いだネタが多く、私の好きな新聞です。他社よりも価格の安いこともあって、最近は人気がぶり返している噂であります。

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2010年4月 5日 (月)

マルチポケット・こんなのありました。

Multi_pocket 1970年前後、インダストリアルデザインの斬新性を表現するのに不可欠な、新技術・新素材が続々と登場し、デザインマーケットはそれまでの哲学的造形美を売り物としたドイツから、お流行好きなイタリアを中心に華々しく進化していきます。

その頃、この壁掛け何でもポケット・・・、と呼ぶしかないルックスの壁掛け収納が登場しました。多くの雑誌に採り上げられたものの、この美しさに対抗できる中身の小物が国産には乏しく、さりとて、海外のデザイン雑貨はまだまだ高価で、おいそれと手の出せる時代ではありませんでした。

しかし、作業に多くの道具を要する広告制作スタジオ・撮影スタジオなどは、この頃大忙しなご時勢でしたから環境にもスタイリッシュな所が多く、よく見かけたことがありました。

たしか、白・赤・黒の三種類があったように記憶してますが、素材となるABS樹脂の絶妙な成型美に、デザインの輝ける未来を確信していたのです。

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2010年4月 4日 (日)

1958年・小学校一年生歓迎会

104a51958_2 1958年頃通っていた小学校では、一年生が入学すると歓迎会を開くのが恒例でしたが、その練習たるや、実直な音楽担当の小島先生の厳しい指導がほぼ連日続き、『なかなかお家に帰れない』のでした。当時は、専ら野球が生きがいのようなものでしたから、あまり気が進まなかった音楽では、ただそっと、先輩の音に合わせて付いていくしかありませんでした。

1957年から父の無理やりな説得で始めた、フルートも何とかまともに近い音が出るようになり、この歓迎会でのお披露目でした。上段右に立ち姿が四人見えますが、左から二人目の緊張で凍り付いているのが私です。指揮棒を振る児島先生の実直・石部金吉の様子がこの写真から読めます。しかし、よくこの小さな台に立っていたとは・・・、それも、二段重ねですから、相当揺れもしたでしょうに・・・、今日までまったく気付きませんでした。先生は、ちょっとの音の間違いでも誰がやったか気付き、練習すべてが終ると、間違えた生徒を一人ひとり呼んでは、細かな指導をしてくれましたが、野球の練習日と重なっている日などは、そんなことは疎かとなり、いち早くグラウンドに向かいたい気持ちでいっぱいでありました。

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2010年4月 3日 (土)

道灌坂の花見。

01 日暮里・道灌山に向かう坂道を行き来する風俗も美しい広重の浮世絵は、江戸時代の優雅な季節の楽しみを描いています。当時も早く来て見晴らしの良い場所を陣取ることは盛んだったでしょうが、花見以外の和歌を詠むとか、教養の嗜みも併せ持っていたでしょうから、只の宴会で終らない文化があったのです。

この場所界隈も多くの浮世絵に登場しますが、広々としたパノラマとしてはこの一枚がベストですね。広角レンズで狙ったようなアングルの松ノ木と桜の木立の構成が、品の良い花見模様を演出しています。

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2010年4月 2日 (金)

広重・御殿山の花見

51834 Photo Photo_2 Photo_3 天保5年(1834)の広重による、美しすぎる眺望が現実にあったという証の一枚です。房総半島から三浦半島までを360度一望できた爽快さは、その品川沖から吹上げる海風とともに、春から夏にはご機嫌なスポットであったのです。

場所は御殿山(現在の北品川3丁目あたり)と呼ばれた、眺望絶佳・桜の名所です。それにしても眼下に展開する品川の宿場の賑いと宿場としての街並の姿など、無理を承知といえども、この時代・この土地に生まれてみたかったとつくづく思わせる、今となっては貴重な風俗資料であります。春の夕闇も迫れば品川宿からもれる灯りとのコントラストも堪らない艶っぽさがあったでしょう。この場所は今や、第一京浜を走る車が信号待ちする新八ツ山橋界隈でありますが、ちょっと裏手には天保時代の道がそのまま残されている箇所もあり、ちょっとうら寂しい感じではありますが、私の好きな銀輪徘走コースでもあります。

ところで、明治時代の地図をみると日比谷邸などは御殿山の地勢の面影もありませんが、この地を手にするにはそれなりの手練手管もあったのでしょうか・・・。

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2010年4月 1日 (木)

村上開新堂が届いた。

Rimg25453 Rimg25447 Rimg25448 突然届いた宅急便の梱包を解くと、中から、なにやら曰くありげな姿の箱が出てきました。何と京都・村上開新堂のクッキーです。これまで噂に聞いていたものの、現物を目の前にするのは初めてで、思わず、万歳三唱になりかけました。繊細な桜色の缶にぎっしりと敷き詰められたクッキーからは、正に和の風雅な香りが微細に漂ってきます。上げ底などという、せこい小商人の発想などあるわけなく、ぎっしり、ぎゅうぎゅう詰め込まれたクッキーは夫々の味と香りが異なり、デパ地下のブランド菓子とはまったく別格な姿でありますし、大きさも千差万別でありますが、舞妓さんがちょっといただくのに具合良さそうなサイズの多いことも納得であります。和魂洋才の典型として、傑作の逸品です。東京にも支店があり、若干の味の違いを指摘するお歴々も多いようですから、京都・東京、それぞれを何度かいただかねばなりませんね・・・。

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