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2010年5月 4日 (火)

1965 御茶ノ水・コペンハーゲン

196502 記憶力の衰えはどうすることもできず、この写真の集まりが何であったのか、定かでありませんが、木村伊兵衛・辻まこと・岡田桑三・田村茂などの戦前から活躍していた写真家、映画関係の多いことから、父の上海時代(報道班員として中国戦線に従軍)に関わりあった名取機関(写真家・名取洋之助が仕切っていた日本陸軍のプロパガンダ組織)と関係ありそうなのです。

ギターを抱えた私は後列左から4人目・バンジョーを抱えたクラスメートの橋本竹夫さんが私の右にいます。後列左から私の父、一人おいて木村伊兵衛さん。後列右から2人目が辻まことさんです。辻まことさんの左はレタリングデザイナーとして一家を成し、グラフィックデザイナーの職業・地位向上に貢献した高橋錦吉さん。田村茂さんは前列の左から三番目で首を左に傾けていますし、戦前の映画俳優でもあった映画監督の岡田桑三さんは橋本竹夫さんの右隣にいます。

この日のために、前もって父から若い感覚の音楽をやってくれと言われ、この年の秋、フォークソングバンドを高校で演奏した仲間の橋本さんを誘い、お歴々の前で演奏したのです。曲目は[This Land Is Your Land][500Miles][Four Strong Winds][Where Have All The Flowers Gone]だったかと思います。集まった皆さんの中で熱心に聞き入ってくれたのは辻まことさんだけで、あとの皆さんは酒豪ということもあり、又、世代が世代だけに藝術論などに激論の格闘技が続く中、自分たちの声・音さえ聴こえないまま歌と演奏を終えたのです。

この場所は御茶ノ水のコペンハーゲンという洋館の中庭にあるサーカステントのような場所で、中は広い空間でありました。現在の何処かといわれても、全くわからないのが哀しい話ですが、洋館の部屋も全てレストランになっていて、その洒落た姿に強い憧れを持ったのです。

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コメント

駿河台がゲバルト学生運動家に荒らされ前の学生街のオアシスでした。JUNだVANだと若人のファションがやっと出始め日本も明るくなり始めました頃、大人の匂いを嗅いで背伸びしてました。

投稿: 白い塀はゴタゴタした下界を忘れさせてくるロマンあふれる、昭和モダン | 2021年5月11日 (火) 午前 11時06分

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