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2010年5月 5日 (水)

1969 八方尾根 春スキー

19696 東京造形大学で専攻したインダストリアルデザインは課題の多さと高度な見識、現実的なマーケット性など不条理なものの要求が絡み合い、教授陣との世代間の感覚差も徐々に現れ、おまけにコンセプトと模型かスケッチ・図面どまりで、実際には商品を作れないわけでしたから、そのリアリティのない日々のストレス発散に好都合なスキーに、春休みとなると、まるまる一月を費やしていました。

この写真は、難しい辻まことさんの直伝スキーからやっと独り立ちし、KSGスキーグループとの冬・春合宿も終え、辻さんの口利きで白馬村細野・八平荘に半ば居候で寝起きし、のんびりと八方尾根で強烈な春スキーの陽射しを浴び、兎平で一息いれているスナップです。撮影は秀山荘のお客様で、世界に誇るスキー写真家であり、今日までの世界の競技スキーの栄枯盛衰を微に入り細に入り掌握されている、志賀仁郎さん http://shiga-zin.com/index.html です。このショットは偶然、兎平でお会いしたときに撮っていただいた一枚です。

この頃、銀座・秀山荘でアルバイトしながら溜めたお金はすぐ店頭の商品購入となってしまい、何のためのアルバイトなのか、父にもこっぴどく叱られてました。例えばこの秀山荘オリジナル・アタックザックなどは蝋引きの帆布製でじつに丈夫に出来ていました。このザックはわたしが50歳近くまで使いこなし、蝋もすっかり失せて、しなやかになり、街にでかけるにも一緒だったものです。向後さんという職人さんがひとつづつ手縫いされた逸品で、今、このレベルの製品を作れる職人さんは、ほんの僅かではないかと思います。また、スキーパンツはドイツのボグナー社製で、その伸縮性は滑っていても柔らかく、上品でありました。ビンディングはドイツのGETZE、今も過去最高の機能と美しさを兼ね備えたビンディングとして伝わってますが、まさに、その美しさはそれまでの機能丸出しでなく、ヘンリームーアの彫刻のような美しさが輝いていましたが、うっかり、エッジで傷つけ、その痕がフォンタナのアートのような刀傷となってしまいました。

また当時は、長いスキー板が流行っていたのです・・・、この板などは195センチ以上でしたから、TOKOのワックスなど塗るとその加速度が強烈で、八方尾根でうっかり転倒などし、ラングリーメンが切れてしまえば、そのまま細野の村まで飛んでいってしまうほどでした。実際、一度この板が流され、偶然にも近場で見つかったから良かったものの、もしも、人にでも当たれば大怪我では済まなかったのです。また、ストックの長さが半端でないのも板の長さと関係していて、なるべく遠くにストックを突き、大きく大きく円弧を描くように回転するイメージも持ってないと、この板を使いこなすわけにもいかなかったのです

さらに今のようなipodなどありませんでしたから、SONYの携帯ラジオをこのザックの中に容れて楽しもうとしましたものの、地元の放送局すら受信せず、全く役に立ちませんでした。

それでも、コッフェルとバーナで沸かした珈琲を、兎平や黒菱でドピーカンの陽射しのなかで独り飲む気分は、渋い愉しみでありました。

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