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2010年5月31日 (月)

NIPSの郵送デザイン。

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銀座・伊東屋で扱っていた他所では見ない商品の中に、何らかの都合で販売をやめてしまったものが最近多くなり、祖父の代から贔屓にしていた私としては、残念な話であり、伊東屋でさえも、算盤優先になってしまい、例えば一階のイベントスペースも、自主編集企画がなくなってしまいました。伊東屋の面白さは、銀座らしく、流行品だけでなく、拘ったモノ、伊東屋の目利きが厳選したモノが各階に分散していたからで、最近の展開は取引先優先となった感があるように思うのは私だけでしょうか。

私は仕事柄、プリントアウトした資料などを郵送することが多く、その都度、愛用していたこの商品も、ついに伊東屋で扱いをやめてしまいました。NIPS http://packend-gute-ideen.com/index.php?id=16&L=1 という会社の製品で、ちょっと見た目にはHeavy Dutyなアメリカ製と思ってしまいがちですが、ドイツの製品です。販売をやめたのは、両面テープが店頭在庫する間にめくれてしまい、商品同士で貼り付き、クレームがついてしまったのかも知れません。それでも、私はこの無印良品に似て非なるスッピンの感じと紙の質感が嬉しく、郵送する際には、賑やかなメッセージテープを貼り付けて送ります。しかしながら、もう残りはこれしかなく、自宅保存するしかありません。

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2010年5月30日 (日)

広重・投げ込んだ瞬間(利根川ばらばらまつ)

Photo 広重が名所江戸百景をスタートした1856年(安政3年)http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1856.htmlの作品です。

クリミア戦争終結・アロー戦争勃発・ハリス来航など世界の動きも慌ただしくなりだした時代ですが、花のお江戸はノーテンキのごとく、風雅を遊んでいます。現在の江戸川を当時は利根川と呼び、点在する松並木の様子をばらばらまつ(ばらばらな松)と呼んでいたそうです。

この投げ網の一瞬を捉えた表現は、広重でも、繊細な技術を要したのでしょう。帆掛舟や遠くの岸との重なり具合など、単純な刷物でありながら、複雑な効果が生まれます。

間の空きすぎた空間を埋める広重の定番テクニックとして、鳥を飛ばすのは常套手段ですが、白のみで表した二羽が効果的です。この鳥の角度が少しでも緩ければずいぶんと間の抜けた空間となったところです。この絵も刷られた時代によって、天辺の藍ぼかしの色が赤であったりと、自由気ままなところが浮世絵なのです。

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2010年5月29日 (土)

BOSTON 1949

Boston_harvard_square_13 1949(昭和24年)のボストンです。

Mass AvenueからHarvard Squareを望む光景ですが、街並と車並の一体感は何なのでしょう。

今の車にもうひとつ魅力さが欠けているとすると、車の空気力学と妙な造形トレンドを追うばかりで、環境にマッチしているデザインの少なさでしょうか・・・。この写真を観ていると、ある時代の情景に過ぎませんが、街の魅力は永遠ではないことを改めて感じさせてくれます。

現代は都市環境自体の魅力が商業中心に動き、美しいと思う環境の寿命も流動的で、生活も見えなくなってますから、せめて、車のデザインは先端技術と環境配慮とがリンクしたエコカーに社運を賭けるしかないのでしょう。それでも、ガソリンを湯水のごとく使わざるを得ないこの時代の車を、若い世代が運転しているのを時たま見かけることがありますが、単純に、そのカタチの魅力に唸ってしまうのです。

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2010年5月28日 (金)

赤坂見附も明るかった頃

1955

1955年の赤坂見附の様子です。

戦後十年経った頃ですが、赤坂は依然としてアメリカの風俗文化のにおいぷんぷんとしていた頃でしょうから、写真にもアメリカの車が多く見られます。

永田町側から撮影されたものですが、この9年後には東京オリンピックとなって、此処からのアングルも青山通りの上を車道が跨ぎ、首都高速道路が空を塞ぎと、短絡的発想により悲しい姿になってしまいました。

此処を走っている路面電車は都心の景色を楽しむのにはうってつけで、麹町方面から父と一緒に初めて乗ったときは春爛漫の頃でしたから、車内に桜の花びらが入ってきて、子供心にも季節を感じることの楽しみを知ってしまいました。

今でも春になるとこの路面電車の走っていたルートがそのまま、私の都心自転車徘徊ルートの定番となっています。

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2010年5月27日 (木)

広重・真崎より望む水神の森

Photo_2 白椿の香りは繊細ながらも奥深いもので、傍を通るだけで、その霞むような上品な香りは、昨今の化粧品会社のそれなど比較にならぬほどの風雅さが格別です。

広重が得意とする空間切断法として、これは丸窓とかすかな障子を使い、みごとなまでの奥行きを強調しています。左にかすかに覗く満開の白椿とシルエットだけの花器の表現は、モダン過ぎるほどの簡潔さであります。お得意の筑波山と手前の帆掛舟の配置も、相当悩んだのでしょうが、収まるところに収まった・・・、と安堵している広重がこの画面の手前で苦笑いしているようです。

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2010年5月26日 (水)

目眩するだけです。

Rimg24498 これまで足が宙に浮くような経験をしたいなどと思ったことはないものの、日頃の仕事が宙に浮いてばかりでありますから、何をか云わんや・・・、であります。

どうも人間の嗜好性というものは計り知れないものが多く、その中でもこのような「岩場好み派」http://www.youtube.com/watch?v=Iy42ndIUHrA&feature=fvw ともいうべき皆様の神経には、付いていけません。手前の垂直な壁を目指してスタンバイしている同好の士がうごめいているようですが、私はとてもお付き合いかねる状況であります。

臆病だった50年以上前の私は、小学校の水泳訓練の初日、うっかりプールの両脇にある僅かな足がかりから滑り、深いプールに落ちてしまい、それ以来、水への恐怖感を取り除くのに相当な時を経ることになりました。この体験からか、様々な足元の不安な場所でも同じトラウマが働き、当然、ロッククライマーの図太い神経などにはついていけないのであります。

しかし、「お前、そんなこといっても、自転車だって足元は不安定なのでは・・・」、と云われるでしょうが、こと自転車に関しては、どういうわけか何の心配もありませんから、人間は勝手なものであります。

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2010年5月25日 (火)

野生感覚が戻る!。

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Rimg28778 春爛漫の花の乱舞も一段落して、まもなく、鬱陶しい梅雨の時季がやってきます。自転車がご機嫌な気分を満喫できるのも、年間を通して限られていて、まして、私のような東京都心のヒルクライムを中心に走っている者にとっては、、そのご機嫌な日はさらに減少しますから、光・風がともに穏やかで体にあたる季節の薫りを満喫できた満足感は、些細であるものの、嬉しいひとときであります。

この日も相変わらず世田谷から目黒通りを経由、桜田通りから皇居を三周し、一気に本郷通りに向かおうと思っていましたが、気が変わり、水道橋から白山通りを北上、西片一丁目信号を左折し、新緑で眩しいであろう小石川植物園 http://www.bg.s.u-tokyo.ac.jp/ に向かいました。9時5分着でしたから、園内は誰一人いなく、もうトレッキング気分であります。ここは由緒ある植物園で、木々一本一本にもその由来と沿革などが書かれていて、お勉強もできるのです。正門から坂を上らず、左手に行くと私の好きなメタセコイアばかりの一角があって、朝の陽射しを受けた木漏れ日の具合が野趣に富み、そのようすが嬉しいのです。この時季の朝の空気は木々から振りまかれる樹液の効用もあってか、多少、頭部に樹液がかかるものの、良好なアロマの香りに覆われます。ここを真っ直ぐ行けば日本庭園があり、緻密な和の造園美を楽しむ環境でありますが、却ってその箱庭庭園が陳腐に観え、いつも私はこのメタセコイア森林の中にしばし佇み、そそくさと銀輪快走に戻ります。ここのサツキ・紫陽花もまもなくでしょうから六義園とともに、堪能することができます。

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2010年5月24日 (月)

その傘はオレのだ!。

Rimg28708 自由が丘のインテリアショップの入口にさりげなく置かれていた傘のカバーですが・・・、日本の皆さんは1970年代の電話カバーやドアノブカバーに始まり、こういう類が好きなのですよ・・・。

モノの氾濫により、整理整頓も覚束なくなり、識別する手法として携帯デンワからティッシュに至るまで、何でも被せたがるこの国の潔癖さは、デザインが洒落ていると、ついつい手が伸びてしまうのです。やがて、自転車のサドルカバーに発展するのも時間の問題かも知れません。

私5年前に丸善のクラシックな傘を某レストランで紛失して以来、廉価な傘ばかりを購入していますが、傘を「自分の分身としての道具」として刷り込まされた世代ですから、いまいち愛着度に欠けるものの、そのお気軽さの故、無駄遣いの連続でもあります。この傘カバーも、おそらくビニール傘との相性を狙った感性がポップであるものの、却って目立ち、逆に持っていかれる頻度も高いのでは・・・、などと勘繰ってしまいます。http://www.youtube.com/watch?v=5yljD8WoLNM

それでも、ソリッドカラーとストライプ・カムフラージュとの構成が潔く、何故かありがちな花柄の皆無なところが嬉しいのであります。企画した会社http://www.nolcorp.co.jp/item/brand/shrug-design.htmlのセンスは他の商品にも反映されていますし、価格の激安感も今の気分であります。

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2010年5月23日 (日)

チョコレートにも山の姿が。

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PHAIDON社http://www.phaidon.co.uk/store/から刊行されているPIONEERSはデザインに関わる領域のモノで埋め尽くされた一冊ですが、その範疇たるや・・・、人間の欲望のおよぶ範囲をほぼすべて網羅しているかのようです。その時代の先端技術や革新的アイディアによって大衆の生活向上に貢献した様々なモノたちは、今も光彩を放っているモノも多く、ページを捲るたびに唸ってしまうものが満載です。著名なデザイナーから無名の職人の仕事までが一堂に結集しているのですから、その本のボリュームもご立派で目方は3キロほどあり、検索するにも容易ではありません。

さて、このTOBLERONE http://www.kraftjapan.jp/kraftjapan/page?siteid=kraftjapan-prd&locale=jpja1&PagecRef=651 というスイスのチョコレートは100年以上経っている有名なお菓子ですが、この形にもお国柄が出てますね。もし日本で富士山のチョコレートを作るとしたら、きっと、花鳥風月模様を散りばめ、平面処理で生産効率・在庫効率のよい納まりとして商品化されたでしょう。その点、さすが創業者John Toblerの息子と製造責任者は堂々とマッターフォルンそっくりとはいえないものの、山型に処理し、ハイキングしながらでも、片手で折れそうなデザインは秀逸ですし、アーモンドと蜂蜜を入れたヌガー(オリジナルはイタリアの伝統菓子)をチョコレートに採り入れたアイディアは、今も、スキーやトレッキングの疲労回復の友として世界中で愛されています。

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2010年5月22日 (土)

輝く棚田。

04写真:今森光彦

一面に光を浴びて新緑色に輝く初夏の棚田の光景も、今ではこのようなパノラマ展開で見かけることも少なくなりました。

1960年代の中頃迄は、自宅のあった久我山からちょっと自転車で遠出し、調布方面から多摩川を越え、読売カントリークラブの上り坂を越えるとそこらじゅうがこのような光景に満ちていました。残念なことに、当時の記録として写真を残しておけばよかったと、今になって思うばかりであります。東叡社のブルーバードというキャンピング仕様の自転車に乗っていた私は、ロードレーサーにさほど興味がなく、スピードよりのんびりと景色を観ながら、大好きなカントリーミュージックをフロントバッグに忍ばせたトランジスターラジオを通して聴くのが趣味という、10代にして既に、渋好みであったのです。この頃はジム・リーブスという美声の持主の人気絶頂期で、FENからはしょっちゅう、この曲が流れていました。http://www.youtube.com/watch?v=nECoA-uVGfw

多摩丘陵界隈の棚田はこれほど段差のある立派なものではありませんでしたが、柿生界隈には、田圃の脇に立派な茅葺屋根の農家が点在していて、春の麗らかな日など、カントリーミュージックより聴く機会の少ない軽快なブルーグラスミュージックhttp://www.youtube.com/watch?v=Yiqpk4aX828が聴こえると、そちらに気がいってしまい、うっかり迷い込んでしまった一軒の農家では逆に珍しい自転車姿の故か、歓迎していただき、お茶とお菓子の一服をさせていただくなど、大らかな皆さんに巡り合う機会も多く、この時代は、まだまだ長閑で優しい空気に社会全体が満ちていました。

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2010年5月21日 (金)

デュフィーの晩餐会

Dufy7 デュフィーがフォーマルな晩餐会を描くと、堅苦しさが消し飛んで、そこには優雅さと楽しさが聞こえてくるようです。カートリッジペーパーのような水彩絵具が浸透しにくい紙に描かれたようですから、日本人好みの滲み効果は全くなくて、シャープな筆勢が、モダンな感覚となっています。

デュフィーの絵には何といっても、贅沢ではないが、ちょっと豊かな生活をエンジョイしている空気感が漂っていて、これは画業から養われたものでなく、パリ・南フランスのあらゆる階層の人々の生活を凝視していたからに、他ならないのでしょう。ちょっとした細部にも、手を抜かずに描かれていますから、さらっとした全体の画風の中にもフォーカスポイントがあり、この辺りのテクニックは、グラフィックデザインを営んでいた頃に身に付けたのかも知れません。

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2010年5月20日 (木)

ブルーグラスも1970年代前半に変化の兆し。

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1960年代後半のいわゆる自然回帰志向は、当初、都市の比較的インテリ層から広がっていきましたが、1970年中頃にもなれば、此処ヴァージニア州・カルペッパーのブルーグラスフェスティバルの水上ステージで演奏するEarl Scruggs Revueの演奏もなんのその、解放気分でリラックスした若者が目の前でご機嫌です。

ブルーグラスミュージックというかなりアメリカの守旧派層の贔屓が多い音楽の世界にも、1972年頃から正統な価値観を捨て去った新しい波がやってきて、その斬新な歌いっぷり、スリリングな楽器演奏の斬新さは、日本でもレコードを聞きながら、伝わってきました。

アールスクラッグスさんという、バンジョー楽器をそれまでのリズム一本やりの脇役から華やかな音の嵐のような主役にしてしまったご本人は、元から革新的志向性があったのですから、こんな場面でも穏やかにそれでいて、アドリブの斬新性も織り込みながら、新世代の聴衆とも馴染みながら先達の技を散りばめています。

この写真は1974年に出版された、小森谷信治さんの名作写真集『Blue Ridge Mts Friendly Shadows』よりお借りしました。

さて、恒例のYou Tubeより、御大Bill MonroeとEarl Scruggsとの楽屋のジャムセッション。ビルモンローの癖の強いハイテナーも、アメリカンオリジナルということもあって、最近やっと理解できるようになりました。http://www.youtube.com/watch?v=sUq5_EeMmHo

続けて1961年8月のテレビ中継より。ほのぼのして、のんきな雰囲気の中、アールスクラッグスの独特な構えで弾くギターのフィンガーピッキングがたまりません。 http://www.youtube.com/watch?v=wE73TjcXIXM&feature=related

もうひとつ、この頃新しいブルーグラスのトレンドを背負っていたサムブッシュのバンド、ニューグラスリバイバルから、スリリングなバンドパフォーマンスを、http://www.youtube.com/watch?v=1AYl8VBfzH4&feature=related

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2010年5月19日 (水)

石班沢の冷や汗ドキドキ。

Photo 装飾性と構成主義を併せ持つ克葛飾北斎の「石班沢」には、北斎の部分に対する執着と粘着が垣間見れます。

広重の盛り蕎麦のようなサッパリした画趣は少なく、これまでかこれまでかといわんばかりに描きこむ性格が表れています。

象徴化されたシンプルフラットな富士山を受け、漁師を頂点とし、投げ込んだシンプルな網の線と岩場のくどいほどの具象性による三角形の相似構図をとっていて、画面に奥行きが生まれます。岩が今にも波に化けてシンクロしそうな時間差を隠し味にした技法表現が、平面に異時同図効果を生み、今にも波が岩場に呑み込まれそうな効果が秀逸です。

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2010年5月18日 (火)

簡素広告・スーパーレジェーラ 1957

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イタリアモダン建築、国際様式の先駆者、建築・デザインの初の本格的専門誌「ドムス」の創立者、テーブルウエアからエスプレッソマシン、家具、インテリアに至る優れたデザイナー。その業績を列挙すればきりがない、名実共にイタリアモダンの巨匠、ジオ・ポンティ。その代表作のひとつがスーパーレジェーラ。カッシーナ社が、初めて社外にデザインを依託して開発された記念すべき製品でもあります。その名のとおり、超軽量で、椅子の機能と美を極限まで追求した作品として、発売以来、半世紀以上にもわたり人気の衰えないロングセラーとなっています。座の籐は、現在では貴重な技術とされる手編み。フレームを組み立てた状態で工場から籐編み職人の工房まで移送、籐の座をフレームに編み込んで、再び工場へ戻すという手間のかかる工程を経て、ひとつひとつ丁寧に作られています。

様々な制約のある家具デザインの中で、1957年発売以来、現在も生産され続けられるこの椅子の新発売期の広告です。一切のコピーなどなく、「見れば分かる」そのまんまの直球広告です。ひたすらじーっと見るしかありません。さて、この名作椅子にもアイディアの源となったイタリアの伝統椅子があり、ちゃんと検索できるのですから便利な時代です。http://www.yokoyamakagu.com/meisaku/chiavari.htm

ジオ・ポンティ(1891~1979)
ミラノ生まれ。建築家・家具デザイナー。
ミラノ工科大学卒業後、1923年から1930年まで陶磁器メーカーのリチャード・ジノリ社に勤務。1928年建築デザイン雑誌「Domus」を創刊。1936年から1961年までミラノ工科大学で教鞭を執った。代表作は、家具では超軽量な椅子スーパーレジェーラ、建築ではミラノのピレリ・ビルなど。戦後のイタリアデザイン界を代表する存在として「イタリア建築デザイン界の父」と称される偉大なデザイナー。

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2010年5月17日 (月)

二階の屋根に出てみると・・・。

19571802 久我山にあった家は雑木林に囲まれ、北の崖を下れば江戸時代と何ら変わらない土手の続く神田川というカントリーロケーションでありました。父の兄もここで昭和18年まで生活してましたし、その前はアトリエ部分を中野から移築して建てたそうです。ですから、ずいぶんと古い建物に違いないとこどもながら思っていました。元々は純日本建築でしたが1953年に父が改装して不思議な和洋折衷なスタイルになりました。リビングとダイニングを船底天井で区分けして、ワンルームの中にメリハリの効いた空間が落ち着いた雰囲気を醸しだしていました。

この絵は1957年、10歳のときに二階の寝室から瓦屋根を伝って、屋上に座って描いたものです。画面の気配からして晩秋のようですが、夏以外でも無風で陽射しが強いと三州瓦が焼きつくように熱く、箱に容れたクレパスも溶けてしまうほどでした。緑色の樹は青桐で、専ら木刀の打ち込みとして苛めていましたが、傷口から染み出る独特の樹液のにおいが好きになれませんでした。手前の鉄平石のテラスの目地は、私が暴れるのもあってしょっちゅう剥がれ、その度に父が補修してましたが、思うように修理できず、そのうち剥がれた枚数の方が多くなり隙間もほったらかしとなり、蟻が巣として遣うほどでした。

秋田犬のタローは、地面に座って庭をゆっくり観ている毎日でした。秋田犬としてはおとなしく、ほとんど吼えたことなく18歳という長寿でありました。この界隈は犬の放し飼いなどごく当たり前でしたから、タローも近くに出かけては散策三昧でありました。

庭にはちょっとした和風趣味な場所があって、そこだけ盛り土され、小さい頃は遊び場として最高なものでしたが、高学年になると広い庭に憧れだし、家よりも近くのグランドに行って野球三昧でした。父は植栽の剪定が億劫だったこともあり、この絵を描いた二年後には庭を平にしたところ、見違えるような広さとなりました。

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2010年5月16日 (日)

桜田門の石垣

Rimg28609_copy 週末の朝6時過ぎに世田谷をスタートすれば、青山通り経由で桜田門に到着するのに、35分前後というのが普通ですが、三軒茶屋の交差点で出くわした同好の士と自転車談義に盛り上がってしまえば、さらに近場のカフェなどで話しに尾ひれがつき、戯言ばかりの時間が過ぎ去ってしまい後悔ばかりしています。

中高年のサイクリストには、私のように一時離れたものの復活した方々から、散歩では物足りなくなって始めた方々まで、いらっしゃいますが、日曜日の皇居周回コースにも中高年の皆さんが多くなりました。今や、連休はもとより、週末でもバスや車を連ねて皇居ランニングに勤しむ全国のランナーも目立ち、土地勘のないことからか、よく、何処でランニング出来るのか・・・、などと聞かれることがあります。

早朝ランナーの皆さんの集結地でもある桜田門は、冷え切った体を忘れさせるような陽射しを浴びた石垣が輝き、さらに石夫々の色彩構成が美しく、ここで暫しの休息タイムをとります。

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2010年5月15日 (土)

初めて、デザインに感動した!。

Rimg24563 1960年に登場したSONY PORTABLE TV TV8-301を見たのは中学1年生の時、下校中、吉祥寺のダイア街http://www.daiyagai.com/arcade/shodai.html の電気屋さんだったかと記憶しています。自転車通学を始める前の頃でしたが、さっさと家路に着けば良さそうなものを、小学生の頃からの「真っ直ぐ帰れない症候群」なのか、ずーっと徘徊三昧だったわけです。当時のダイア街は今以上にワクワクする店が多く、まだ駐留軍放出品の店などもあり、母などもしょっちゅう買物に久我山から出かけていました。一寸脇に入るとハモニカ横丁の歌川模型店があり、その傍にはアメリカ放出ジーンズ店などもあったように覚えています。歌川模型にはほぼ毎日通い詰めといった状態で、1962年、東京サイクリングセンターの創業者・板倉修さんに出会うまで、模型世界の薀蓄をしっかりと叩き込まれました。狭い店内にぶら下がった不思議な部品のひとつひとつにもそのだいじな役目があることを教わり、その後の自転車というものに開眼する発端ともなったのです。

そのダイア街の電気屋で見たこの未来を告げるようなスタイリングこそ、私がデザインに関心を抱くきっかけとなった商品で、実際、手に触れる事となったのが、この年の暮でした。その場所は、久我山に住まわれ、父とも懇意にしていた葉さんという台湾系のお家で、日本との貿易をされていた葉さんは、久我山でも飛びぬけた優雅な生活をされ、新製品と呼ばれるものは殆ど最初に購入されていたと、噂がたつほどでした。手前のボタンを押すと暫くして画面がフアーッと明るくなり、番組が写り出すと画面を食い入るように見ていました。葉さんの家には二台の大きなテレビがありましたが、このポータブルテレビで見るほうが画像もきれいで、優雅な感じがしていました。

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2010年5月14日 (金)

Jaguarが勢ぞろい・ホテルオークラ

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今年の2月から意を決し、毎週三回の銀輪疾走トレーニングを自らノルマ化し、200キロ走ることを目標としたものの、40キロほど足りず、地団駄を踏んでいます。

東京の五月は爽快な天気に恵まれやすく、神田祭をはじめとする祭から愛好者が集まるイベントにいたるまで、其処彼処で、賑わっています。この日、早朝に世田谷を出発、定番の目黒通りから日比谷通りを経由、駿河台から本郷に向かい、そのまま一気に飛鳥山まで直行しました。いつも、駒込・六義園が私の北の臨界点でしたが、飛鳥山まではすぐということが分かり、それはそれでよかったのですが、飛鳥山に抱いていたイメージと現場があまりに違い、がっかりして、また、南下してしまいました。ひとつには京浜東北線に向かって傾斜しているため、本郷通りからの眺めがいまひとつであったことと、管理され過ぎて、散策の愉しみである小道が少なく、長閑さに欠けていたことです。

そんなわけで、帰路につく間、何処を経由して行こうかと悩みつつ、霞ヶ関界隈に出てしまったので、暫く抜けなかったホテル・オークラの上りを駆け上がり、ふっと左手正面玄関を見るとと、「嫌いでない世界」が目の前にありました。Jaguarをこの上なく愛する関東の皆さん、それも、Old Boysの皆さんばかりでしたから、Jaguar談義にも年期が入っているというものです。それにしても、手入れの行き届いた素材感にはびっくりであります。

環境配慮時代におもねる車が氾濫する中、Jaguarが過去最も輝き美しかった時代の実物がこのように勢ぞろいしていると一種の清清しささえ感じてしまいます。ビンテ-ジカメラ・ギターに共通する「道具であって、道具以上のもの・・・」この日は、いいものを堪能できました。

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2010年5月13日 (木)

六義園・サツキが間もなく。

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Rimg28559 この時季はつつじも一段落し、新緑一色となっている駒込・六義園が気持ちよく、サツキの開花が始まる前の一瞬、庭園は閑散としていて、ゆっくりと春の余韻と立夏の気配を味わうには最適です。

銀輪で、神保町から一気に本郷通りに向かい、そのまま北上すると15分ほどで六義園に到着します。午前9時の開園は有名な枝垂桜の頃ですと長蛇の列ですが、いまどきは、がらがらで、広い庭園を散策するにも撮影するにも、人影がなく、独り占めの気分は最高です。庭園内は六義園出入りの植木職人さんたちが、忙しなく剪定作業に追われ、サツキの美しい最高の状態を監理しています。六義園のサツキの刈り込みは里山のようなふくよかな曲面が独特で、朝の光を受けたカタチは、ピートハイン氏の提唱するスーパー楕円  http://www.echna.ne.jp/~bunden/suprelips.htm のようでもあり、モダンなのです。

今月下旬には、ご覧の緑の世界もサツキが開花し、一気に、鮮やかな風景に一変します。つつじより小ぶりながら、シャープな感覚のサツキを愛でる方々で、6月上旬は、また、大賑わいとなります。

1 2009年6月1日撮影

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2010年5月12日 (水)

軽快で洒落ている・・・。

Rimg24566 1963年4月、イギリスのトラック競技ですが、自転車は Alex Moulton 博士が創造したMoulton Bicycleです。http://www.dynavector.co.jp/moulton/  http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/000061.html小径車輪の自転車と選手のプロポーションが絶対といえるほどのグッドバランスですね。

選手のカスク(ヘッドギアー)といい 、ユニフォームのミニマリズムといい、もちろん、自転車のシンプリシティーといい、この時代が一番自転車に乗る人と道具のバランスが美しかったのかも知れませんね。

最近の自転車ウエアーや身につける用品の類の、過剰で不思議でアバンギャルドな滑稽感覚を見ているので、却って、新鮮さが鮮烈であります。しかし、このままスピードを増していって接触でもしようものなら、と空想すれば、全身打撲か擦り傷も半端でなさそうですから、ぞくぞくっとしてしまいますが・・・。

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2010年5月11日 (火)

卯の花 『さ々ま』の初夏

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さ々まの季節和菓子は江戸の風情満点で、その姿と色彩は渋いなかにもきりりとした潔さがあり、目で観る春夏秋冬の季節変化が愉しめます。

もう、季節は立夏となり、初夏のシンボルとも云われる「卯の花」が店先に並んでいます。

なく声をえやは忍ばぬほととぎす初卯の花の影にかくれて 柿本人麻呂・・・などなど、古来より、卯の花の蕾が米粒をイメージさせるといわれ、田植鳥との別名もあるホトトギスとの組合せが多いのも、田植えが近くなったこの時期だからなのでしょう。

さ々まの「卯の花」を観ると、日本人の自然界に対する繊細な感性を受けとることができ、紫陽花が展開されるまでの夏の予兆を味わえます。

この撮影では、あえてモダンなアラビア陶器製のバレンシアというシリーズに載せてみました。この皿は両親が日々使っていた古いもので、色合いも今のバレンシアと深みが異なります。このディープブルーが夏そのものということもあり、また、妙に紫陽花らしくもありと・・・、独り合点であります。

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2010年5月10日 (月)

さじみさ さんのガラス展

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ガラス工芸作家の世界に、それほど詳しいわけなどありませんが、2年前、神保町さぼーるの隣にあるGallery 福果 http://www18.ocn.ne.jp/~fukka/ で偶然観た、さじみさ さんの仕事が、可愛らしさ・繊細さ・エレガンスの響き合う心地よさに満ちていて、すっかり、とりことなってしまいました。

というわけで、7日から同ギャラリーで始まった、さじさんのガラス展に、自転車仲間であり世田谷区上町でG・Galleryというガラスの店を経営している、小川次郎さんと連れ立って観てきました。

ガラス工芸の製造過程は、昔、上越クリスタルという会社で見たことがあり、その環境と徒弟制に、私のような軟弱な人間の務まる世界でないことを認識しましたが、さじさんの作る作品からは、まったくそのような気配が感じられず、ひたすら美しい、なのです。二年ぶりの作品をゆっくりと観させていただきましたが、失礼ながら技術的研鑽の軌跡がはっきりと分かり、モザイクガラスの構成における配置と間の取り方に、独創の独走・・・、ひとつの流れを創られ、これこそ一流というものです。

初日の早々伺ったので、もしかしてご本人にお会いすることが出来るのでは・・・、などと、邪心満々でしたが、期待は裏切られ、今年もお会いすることが出来ませんでした。

この一連の作品を作られる方ですから、とびっきり、美しい方に間違いないのです。

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2010年5月 9日 (日)

さ々ま・岩間つつじ

Rimg28486 咲き誇っていたつつじも最盛期は終りに近くなり、いよいよサツキの時季となってきます。艶やかなつつじよりも小ぶりできりりとしたサツキを愛好する皆さんも多く、今月下旬あたりから、六義園 http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/info031.html なども賑わってくるでしょう。

さて、和菓子の老舗・駿河台下の『さ々ま』では、まだまだつつじの余韻を味わえるようにと、老舗各店も挙ってこの時季展開している岩間つつじが販売されています。うらごしで表現するきんとんだけの簡素な意匠ですが、そこは凛とした、さ々まのこと、つつじの表現など他店ほどの具象性を無視し、大胆なほどの抽象性に徹しています。

私は岩間つつじについて詳しいわけではありませんから、岩の間からかすかに咲いているつつじの様子なのか、岩山に点在しているつつじの姿なのか、それとも歳時記の季語なのか、皆目わかりません。

おまけに、何処の和菓子屋さんも岩の表現に真っ向から勝負している店の皆無なことなども、何か曰くありげでありますし、何らかの言い伝えがあるのかも知れません。

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2010年5月 8日 (土)

安野光雅・エジンバラの絶景

709_2 実際は、岩肌の荒々しさが荒涼としたパノラマなのですが、安野光雅さんは、日本的な霞がかった、柔らかい表現を以って、この絶景を捉えています。

安野さんは、萩生まれのせいか、その穏やかな環境で育った感性を世界の何処に出かけても、貫いていて、得意の水彩に、その真骨頂がたっぷりと、注がれています。

日本の生活環境で、この絵を飾ろうとすれば、確かに、実際よりも柔らかい感性と技術で完成された、この画趣の方が、間違いなく、周囲に溶け込みますから、安野さんはそのあたりのことも認識した上で表現したとすると、単なる画家ではなさそうですね・・・。

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2010年5月 7日 (金)

大人の活劇絵巻

Tintin801 昨今のアニメが風俗文化の尖兵の時代とは違い、この挿絵を描いたHERGEが生み出したTINTINは、絵本というかたちを採りつつも、そのスリル・サスペンスともに子供向きというより、大人の鑑賞に耐え得るひとつの立派な冒険活劇の絵巻物であります。表参道の裏通りにもTINTIN Shopと称されるキャラクターショップがあるものの、此処は全くの子供相手のお土産屋さんですから、私など「一度行ったら二度と行かない」という類の店であり、作者の描こうとした世界を理解していない会社が運営してしまうと、同じモチーフを扱っても錯誤が生じてしまうのです。

ことさように、日本のキャラクターショップが想定する客筋が観念的過ぎて、時代の推移とともに、変化していることに気付かないのか、気付きたくないのか、よく分かりませんが、少しお粗末過ぎるというのが率直な感想であります。

この挿絵は1925年、HERGEが17歳の年に描かれたものですが、この一瞬を捉えた素晴らしい構成からも、何ともいえない不安な予感というものが感じられ、観る側のインスピレーションのレベルを試されているようでもあります。

ところで、この複葉機に使われているドットの面があまりにも均一的なので、私などは、あのLettra Setにもあったドットのシートを思い出します。

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2010年5月 6日 (木)

1970年代の商品

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いわゆる、老舗呉服系百貨店とは一線を画していた伊勢丹は、小菅丹治社長の方針からか、アメリカのファッションデパートメントストアの考えを採り入れ、都市生活者をコアな客層の中心に据え、決め細やかな商品分類・男女子供のサイズ研究・商品試験の徹底化などを地道に構築していました。商売の中心となる婦人服分野ではいち早く研究所でパターンの取り組みが始まり、それは今日の国内のサイズの標準化に大きな貢献の足跡を残します。

一方、日常生活に関わるリビング分野でも、オリジナル商品開発の強化が図られ、まだまだ、生活用品の品質・デザインともにひどかった中、かなり先進的デザインが生まれだしました。インダストリアルデザインの魁のおひとりであられた小池岩太郎氏の肝いりで誕生した、「伊勢丹研究所・インダストリアルデザイン研究室」が旗振りとなり、売場担当者とプロジェクトを立ち上げ、店頭の商品を徹底的に洗い直し、共感する取引先とタッグを組んで誕生した中のひとつがこの卓上用品シリーズです。当時,高価だったアクリル樹脂を使い、精度の高い成形技術によって陳腐なガラスもどき、陶磁器もどきの商品であふれていた分野に、プラスチックの特性を正面から取り組んで商品化されたものです。

いかにも受けそうな観念的「女性好み」を商売の核に据えることはいつの時代も不変ですが、そんな些細なことよりも、美しく快適な日常生活を支えるデザインとして商品化されたのには現場の英断も大きな役割となり、これ以外のリビングトータルデザインの一連の活動と成果により、1969年の第15回・毎日産業デザイン賞『百貨店における商品デザインの組織的研究』を獲得することになりました。

それまで、モノのカタチの先進性を中心にノミネートされていた毎日デザイン賞で初めて「独自の思想・社会性」の考え方そのものが評価され、受賞となったのです。

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2010年5月 5日 (水)

1969 八方尾根 春スキー

19696 東京造形大学で専攻したインダストリアルデザインは課題の多さと高度な見識、現実的なマーケット性など不条理なものの要求が絡み合い、教授陣との世代間の感覚差も徐々に現れ、おまけにコンセプトと模型かスケッチ・図面どまりで、実際には商品を作れないわけでしたから、そのリアリティのない日々のストレス発散に好都合なスキーに、春休みとなると、まるまる一月を費やしていました。

この写真は、難しい辻まことさんの直伝スキーからやっと独り立ちし、KSGスキーグループとの冬・春合宿も終え、辻さんの口利きで白馬村細野・八平荘に半ば居候で寝起きし、のんびりと八方尾根で強烈な春スキーの陽射しを浴び、兎平で一息いれているスナップです。撮影は秀山荘のお客様で、世界に誇るスキー写真家であり、今日までの世界の競技スキーの栄枯盛衰を微に入り細に入り掌握されている、志賀仁郎さん http://shiga-zin.com/index.html です。このショットは偶然、兎平でお会いしたときに撮っていただいた一枚です。

この頃、銀座・秀山荘でアルバイトしながら溜めたお金はすぐ店頭の商品購入となってしまい、何のためのアルバイトなのか、父にもこっぴどく叱られてました。例えばこの秀山荘オリジナル・アタックザックなどは蝋引きの帆布製でじつに丈夫に出来ていました。このザックはわたしが50歳近くまで使いこなし、蝋もすっかり失せて、しなやかになり、街にでかけるにも一緒だったものです。向後さんという職人さんがひとつづつ手縫いされた逸品で、今、このレベルの製品を作れる職人さんは、ほんの僅かではないかと思います。また、スキーパンツはドイツのボグナー社製で、その伸縮性は滑っていても柔らかく、上品でありました。ビンディングはドイツのGETZE、今も過去最高の機能と美しさを兼ね備えたビンディングとして伝わってますが、まさに、その美しさはそれまでの機能丸出しでなく、ヘンリームーアの彫刻のような美しさが輝いていましたが、うっかり、エッジで傷つけ、その痕がフォンタナのアートのような刀傷となってしまいました。

また当時は、長いスキー板が流行っていたのです・・・、この板などは195センチ以上でしたから、TOKOのワックスなど塗るとその加速度が強烈で、八方尾根でうっかり転倒などし、ラングリーメンが切れてしまえば、そのまま細野の村まで飛んでいってしまうほどでした。実際、一度この板が流され、偶然にも近場で見つかったから良かったものの、もしも、人にでも当たれば大怪我では済まなかったのです。また、ストックの長さが半端でないのも板の長さと関係していて、なるべく遠くにストックを突き、大きく大きく円弧を描くように回転するイメージも持ってないと、この板を使いこなすわけにもいかなかったのです

さらに今のようなipodなどありませんでしたから、SONYの携帯ラジオをこのザックの中に容れて楽しもうとしましたものの、地元の放送局すら受信せず、全く役に立ちませんでした。

それでも、コッフェルとバーナで沸かした珈琲を、兎平や黒菱でドピーカンの陽射しのなかで独り飲む気分は、渋い愉しみでありました。

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2010年5月 4日 (火)

1965 御茶ノ水・コペンハーゲン

196502 記憶力の衰えはどうすることもできず、この写真の集まりが何であったのか、定かでありませんが、木村伊兵衛・辻まこと・岡田桑三・田村茂などの戦前から活躍していた写真家、映画関係の多いことから、父の上海時代(報道班員として中国戦線に従軍)に関わりあった名取機関(写真家・名取洋之助が仕切っていた日本陸軍のプロパガンダ組織)と関係ありそうなのです。

ギターを抱えた私は後列左から4人目・バンジョーを抱えたクラスメートの橋本竹夫さんが私の右にいます。後列左から私の父、一人おいて木村伊兵衛さん。後列右から2人目が辻まことさんです。辻まことさんの左はレタリングデザイナーとして一家を成し、グラフィックデザイナーの職業・地位向上に貢献した高橋錦吉さん。田村茂さんは前列の左から三番目で首を左に傾けていますし、戦前の映画俳優でもあった映画監督の岡田桑三さんは橋本竹夫さんの右隣にいます。

この日のために、前もって父から若い感覚の音楽をやってくれと言われ、この年の秋、フォークソングバンドを高校で演奏した仲間の橋本さんを誘い、お歴々の前で演奏したのです。曲目は[This Land Is Your Land][500Miles][Four Strong Winds][Where Have All The Flowers Gone]だったかと思います。集まった皆さんの中で熱心に聞き入ってくれたのは辻まことさんだけで、あとの皆さんは酒豪ということもあり、又、世代が世代だけに藝術論などに激論の格闘技が続く中、自分たちの声・音さえ聴こえないまま歌と演奏を終えたのです。

この場所は御茶ノ水のコペンハーゲンという洋館の中庭にあるサーカステントのような場所で、中は広い空間でありました。現在の何処かといわれても、全くわからないのが哀しい話ですが、洋館の部屋も全てレストランになっていて、その洒落た姿に強い憧れを持ったのです。

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2010年5月 3日 (月)

1956 運動会

623195603 今と違って、小学校の運動会が勝ち負けに拘っていた時代でしたから、前の日などは勝ちに拘る父の方が気合が入っていたように思います。

この写真は、小学校3年の春の運動会の様子ですが、長い三角の紙製の被り物を作るのに苦労した記憶があります。ご覧のように走るにくそうなのも当然で、頭のサイズとぴったりに作るのが至難の業で、最後の接着作業はは父が苦労して仕上げてくれました。自由なデザインを施してよかったものですから、父はよく目立ちそうな円の形に色紙を切り取り、水玉のような構成で貼り付けてくれましたが、どちらかといえば女の子好みのデザインになり、運動会当日、この大きな被り物を持って井の頭線に乗るのが恥ずかしかったのです。

この前の年、父は写真家・田村茂氏から譲り受けたLEICAをことあるごとに携帯し撮りまくっていましたが、なかなか上手な写真をとるに至らなかったのですが、この写真は偶然にも、リアリティのあるショットとなりました。

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2010年5月 2日 (日)

多摩川快走便り。

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先月の東京の平均気温の寒暖差の合計(日々の平均気温が前日の平均気温と何度違うかを三十日合計)が98,3度だったそうで、http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2010050190134945.html 過去50年間の4月と比較しても例をみないほど大きな寒暖の変動量を記録しました。過去50年の4月の平均が計64度ほどだそうですから、体調管理も思うようにならざるを得なかったのが当然であります。それでも連休が始まってからというもの、ご機嫌な天候がキープされ、土曜日も朝から好天・風も穏やかで、朝食は湯町のエッグベーカー http://sohske.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-06bf.html で卵を蒸し焼きし、一斤八枚切りのトーストにオレンジマーマレードという軽めでさっさと9時過ぎ、家を飛び出しました。

既に、玉川通りは渋滞で、車のマフラーから浴びる排気ガスもこの快晴気分に不適格ということで、裏道から瀬田の旧玉電通りから二子橋を抜け、登戸に向かい、快適な無風の中、前後リムに貼り付けたSEVという不思議な金属シールhttp://www.sev.info/index.htmlのおかげで、加速・直進安定性に格段の効果も絶大、年に似合わずの疾走でありました。途中、ウォーキングの集団に出くわせたものの、以前のような道路に溢れたマナーの無さは一掃され、こちらもイラつくことなく、順調でありました。登戸で一服し、忘れていたストレッチをきっちり済ませ、一気に下丸子方面に向かいました。いつも通る矢口の辺りには、あのフランクパターソンさんの挿絵http://sohske.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_f291.htmlに登場してもよさそうな姿の良い木陰場所があり、丁度暑さで一服気分ということも手伝って、休憩しました。

私が日々愛用しているRICOH Caplio GX1000には秋山東一さんご推薦のManfrotto 797 Modopocket http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/002015.html という実に便利なアイテムを装着してますが、ここで一枚撮ってみました。単独旅行などで自分以外誰もいなく、スナップをお願いすることの出来ない場所などで、気ままに自分の記録が撮れるという点で、大傑作アイテムですし、なにより、その正統な金属感が嬉しいのであります。

さて、多摩川堤周辺は桜の乱舞も落ち着き、輝く新緑のもと、地元のみなさんが三々五々集まり、木漏れ日の集いが始まったり、高校球児の甲高い掛け声に春の息吹が感じられました。この日の走行距離、57キロでした。

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2010年5月 1日 (土)

1970年代 伊勢丹の先進性

197011 1970年代は週休二日制の導入が大企業を中心に進められ、その影響は従来の売れ筋商品の動向にも変化の兆しが如実に反映されていました。

『こんにちは土曜日君』という週休二日制の流れを具体的に捉えた第二段階が、より現実的な『土曜日には汗をながそう』です。このような年間・季節別のシーズンストーリーを組み立てるきっかけがあって、その後、連綿としたシーズンテーマ・シーズンモチーフのプレゼンテーションが社内で頻繁に行われ、その面白いほどのノウハウは、広告代理店など絡みませんから、流出もなく、社内のだいじな伝承ノウハウとなって次世代に繋がっていきました。

この新聞広告などは、まだまだ守旧派の多かった経営者の中に、「何故、夢を売る百貨店が靴底を見せねばならんのだ・・・、」などという物議をかもし出した、名作(迷昨)かも知れませんが、日経・朝日などのメガ新聞にこの画面が登場して、時代気分の変遷を象徴していたのを鮮明に記憶しています。

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