赤坂見附も明るかった頃
1955年の赤坂見附の様子です。
戦後十年経った頃ですが、赤坂は依然としてアメリカの風俗文化のにおいぷんぷんとしていた頃でしょうから、写真にもアメリカの車が多く見られます。
永田町側から撮影されたものですが、この9年後には東京オリンピックとなって、此処からのアングルも青山通りの上を車道が跨ぎ、首都高速道路が空を塞ぎと、短絡的発想により悲しい姿になってしまいました。
此処を走っている路面電車は都心の景色を楽しむのにはうってつけで、麹町方面から父と一緒に初めて乗ったときは春爛漫の頃でしたから、車内に桜の花びらが入ってきて、子供心にも季節を感じることの楽しみを知ってしまいました。
今でも春になるとこの路面電車の走っていたルートがそのまま、私の都心自転車徘徊ルートの定番となっています。
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