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2010年5月17日 (月)

二階の屋根に出てみると・・・。

19571802 久我山にあった家は雑木林に囲まれ、北の崖を下れば江戸時代と何ら変わらない土手の続く神田川というカントリーロケーションでありました。父の兄もここで昭和18年まで生活してましたし、その前はアトリエ部分を中野から移築して建てたそうです。ですから、ずいぶんと古い建物に違いないとこどもながら思っていました。元々は純日本建築でしたが1953年に父が改装して不思議な和洋折衷なスタイルになりました。リビングとダイニングを船底天井で区分けして、ワンルームの中にメリハリの効いた空間が落ち着いた雰囲気を醸しだしていました。

この絵は1957年、10歳のときに二階の寝室から瓦屋根を伝って、屋上に座って描いたものです。画面の気配からして晩秋のようですが、夏以外でも無風で陽射しが強いと三州瓦が焼きつくように熱く、箱に容れたクレパスも溶けてしまうほどでした。緑色の樹は青桐で、専ら木刀の打ち込みとして苛めていましたが、傷口から染み出る独特の樹液のにおいが好きになれませんでした。手前の鉄平石のテラスの目地は、私が暴れるのもあってしょっちゅう剥がれ、その度に父が補修してましたが、思うように修理できず、そのうち剥がれた枚数の方が多くなり隙間もほったらかしとなり、蟻が巣として遣うほどでした。

秋田犬のタローは、地面に座って庭をゆっくり観ている毎日でした。秋田犬としてはおとなしく、ほとんど吼えたことなく18歳という長寿でありました。この界隈は犬の放し飼いなどごく当たり前でしたから、タローも近くに出かけては散策三昧でありました。

庭にはちょっとした和風趣味な場所があって、そこだけ盛り土され、小さい頃は遊び場として最高なものでしたが、高学年になると広い庭に憧れだし、家よりも近くのグランドに行って野球三昧でした。父は植栽の剪定が億劫だったこともあり、この絵を描いた二年後には庭を平にしたところ、見違えるような広さとなりました。

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