1962 大瀬崎 地獄の特訓
1962年http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1962.html、中学三年生の夏、西伊豆・大瀬崎の水泳訓練は、実力別にクラス分けされ、私は中級に何とか合格し、立ち泳ぎ・平泳ぎの基本動作に明け暮れていました。上級ともなれば、沖のほうまで連れて行かれ、しっかりと遠泳の訓練に終始していましたが、まったく泳げない輩もけっこういて、彼等はこのような屈辱的なバタ足練習でありました。
今であれば幼稚園の年代が教わる基礎中の基礎ですが、当時は15歳といえども、泳げない生徒にはこの仕打ちでありました。波打ち際にうつ伏せですから、褌の隙間から砂は入るし・・・、とかなりの痛さを耐え抜く訓練でもあったようです。
皆、辛抱強く耐え抜いているのは、夜の自由時間ともなると鬼に見えた水泳教官が、甘い声でウクレレ片手に大人のロマンティシズムを歌ってくれたり、映画の話や、恋愛の話などを面白おかしく話してくれるからで、この夏の学校では、いっぱしの大人に入門するための様々な社会勉強を、教官から教わるのでした。教官といっても、その殆どが大学のラグビー部・水泳部を中心とする先輩で占められてましたから、よそよそしさもなく、けっこう明るく、真面目な自由時間でありました。
というわけで、この年に発売された整髪料・バイタリスヘアーリキッドは中学3年生にも一気に飛び火し、あっという間に男子生徒の髪型が大人びてしまいましたし、テレビも全国に50%まで普及し、『ピンクムードショー』など風俗番組を家族が寝静まってから、こっそり起きて、居間で息を殺して観ていた中学三年生の夏です。
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