« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

2010年7月31日 (土)

夏休み絵日記・1955

Rimg26007 この日記だけが、何故か日付と文章が分からないのですが、昭和30年代前半の久我山の雰囲気が良く出ています。

大地主さんは久我山駅の北と南に二つに分かれ、夫々の交流も無く、北の方面は水道道路の方まで宅地化が先に進んでいたのに、私の居た南側はまだまだ畑の多い長閑な環境でありました。西南の方角に岩崎通信機の工場が大きく観えていたものの、地平線なども認識できるほどのフラット状況は遠くに富士山も拝めるなど、なかなかの田園風景でありました。

近くの畑は夏のトマト・スイカなどが実り茂り、うっそうとした姿は暑苦しいほどで、ある日、朝早くから夕方まで毎日黙々と働く大地主さんのご当主の姿を観てると、突然手招きして呼ばれ、近づくと美味しそうなトマトを背負子に入れて、わざわざ、私の家まで一緒に運んでくれたり・・・などなど、地域のコミュニケーションも濃密であったのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月30日 (金)

水辺の一服。

I 炎天下のツーリングを体験した、1963年・夏の自転車合宿は、毎日、じりじりと両腕・両足が日焼けしていくのが分かるほどの強烈な陽射しに晒されました。渋川から吾妻渓谷を抜け、長野原に向かう街道は、まだ自動車の往来も少なく、所々未舗装で最悪な箇所とタイヤも吸い付かんばかりの抜群の舗装道路もありといった状況で、落胆と歓びが次々とやってくるなど、青春の心理そのままのように走り抜けました。吾妻街道に沿って流れる吾妻川も渓流のような姿の箇所もあれば、欝蒼とした樹木の中に溶け込んだ箇所もあったりと、移動していく場所によって、大胆な変化が付いて周り、その変化を味わうだけでも、愉しい経験でありました。

このフランク・パターソン氏の挿絵のような箇所も何回か登場し、私などは、その都度、そこで景色を眺めては、メンバーのひんしゅくをかっていたのですが、美しさの誘惑には堪えきれず立ち止まってしまうのでした。

治水・利水の名目でこのような天然な姿の河川の殆どが消えてしまいましたが、川を伝わってくる清風・涼風の柔らかさは森林のそれとは違うことも感覚的に体感するなど、風雅な感性も若い時代に養うことが出来たのは、今になって有り難いことであった・・・、と思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月29日 (木)

コーンウオール地方・Port Isaacの入り江

2

1

ロンドンで暮らしている梶原建二さん http://www.nealsyard.co.jp/ から、以前、送られてきたコーンウオール地方・Port Isaacの写真です。コンパクトで可愛い入り江の様子にぞくっとします。私の大好きなアルフレッド・ウォリスの素朴な絵を通してイメージしていたコーンウォール地方の港は、素晴らしい箱庭景観ですね。それぞれの住まいもこの地の材料を駆使して建てられた雰囲気に満ち、環境とシンクロしていて、まさに、教科書にでてくるような落ち着きがあります。現実の漁業を通した生活は苦しいのでしょうが、明るい漁船のカラーリングからは、楽しく仕事をするセンスがこの港の皆さんには伝統的に繋がっているのです。後背の丘から急に港となるロケーションにより、陸海空の三点セットがパッケージ化され、まさに、箱庭景観の世界遺産ともいえますね・・・。

You Tubeにも、Port Isaacがありました。http://www.youtube.com/watch?v=C3Hddc4NiUA

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月28日 (水)

夏休み絵日記・1955

Rimg26021

「7月28日。きのうのゆうがたぼくはきのひくいところにせみをみつけたのです。すぐあみをもっていってとろうとしたらにげられました。それからおそくなってからおきゃくさんが三にんきました。けさはやくおきゃくさんのくにおさんがあぶらぜみをとってくれたからぼくはうれしかった。それからべんきょうがすんでからとんぼやおにむしをとりました。おわり」

1955年の絵日記の続きです。従兄の高野都夫さん家族がやってきて虫取りをしてくれたようです。自然環境に恵まれていた久我山の住まいの周辺は、神田川の崖地の南側という条件もあって、植物・昆虫からリス・ムササビ・フクロウまでが共存していたところで、針葉樹の枯葉が何十年も堆積して箇所を歩くとクッションのように具合の良い感触が長靴を通して伝わってきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月27日 (火)

夏休み絵日記・1955

Rimg26023 「7月27日。きのうますながくんといとうさんとこやまさんがきました。そしておかあさんがしゃぼんだまをつくってくれました。こやまさんのはちいさいのばっかりでした。ぼくのがいちばんおおきかった、そしてぼくのしゃぼんだまはうちのじゅうたんのところへぽんぽんはねてぱちんときえてしまいました。それからぼくとますながくんとでぐらんどへぶらんこをのりにいきました。おわり」

小学校二年生の夏休みの宿題だった絵日記が、父の保管していた荷物からほぼ当時のままの鮮やかさで出てきました。この絵日記は、絵がしっかり描かれていて、文章よりも絵のほうに興味がわきだした頃を物語っています。当時、久我山にあった家は大蔵省印刷局グランドの隣で、子供の目にはグランドが広大な芝生の平原に映っていました。一人っ子のせいもあったので、友だちがよく遊びに訪れ、長閑な里山のような環境を十二分に堪能していました。グラウンドの小父さんは子供ずきで、一年中、遊びに行っては、野球のボールやテニスボールなどをいただいて帰っていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月26日 (月)

1958 新橋 

1949 外堀通りの52年前です。新橋の街中は遮るほどの高層ビルもなく、差すような夏の陽射しで目も眩むばかりです。あまりの暑さからか、表通りに人はまばらで、皆さん、この近辺にいっぱいあった喫茶店に駆け込んで、レコード鑑賞などをして、一服でもしているのでしょう。

今もかわらないサラリーマンの宝庫、新橋の裏通りは、よくぞここまでと思いたくなるほどの飲食店がありますが、時代の流れの影響を被る店もあれば、代々の家訓を大切に誠実に固く商い続ける店もあり・・・、と、夫々の時代認識が運を逃すか、取り込むか、・・・なかなか難しいポイントであります。

さて、だいぶ前に汐留に出来た高層ビル群の御蔭で、新橋地域はヒートアイランドの影響をまともに被り、只でさえ熱い新橋サラリーマンの盛り上がりは、この夏もさらにヒートアップしているに違いありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月25日 (日)

同時代とは云うものの。

Rimg30019

Boston_harvard_square_13

表参道・神宮前の信号角にあったGAPの入っていたビルが取壊しになり、工事中の壁面に、この町の懐かしい写真が貼りだされていたので、スナップしました。1952年(昭和27年)の同潤会アパートが何ともモダンに観えますが、1927年(昭和2年)に完成し、すでに25年経過した頃です。空襲で焼けた欅も植替えたばかりで、広い空が解放的ということもあって、まさに参道の気配が濃厚に薫ってきます。

この写真に酷似した一枚を家で見たような雰囲気が記憶にあり、戻って、BOSTONの写真を探してみると、そっくりさんの写真がありました。BOSTONの写真は昭和24年のものですが、自動車が当たり前ですが、ほぼ同じ雰囲気ですね。おそらくBOCTONは今も変らないトラディショナルな街の景観が維持されていると想像するのですが、こうやってみると、表参道の変りっぷりも凄いものです。

表参道ヒルズの、光のない寂寥感漂う回廊を歩いていると、同潤会アパートを全棟リノベーションする方向が正解ではなかったのでは・・・、などと、ぼやいてしまいたくなるほど、惜しまれる東京の懐旧の情景でありました。http://allabout.co.jp/r_house/gc/29652/ http://www.uraken.net/rail/travel-urabe31.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月24日 (土)

豪華客船の旅の記録

Rimg30664

Rimg30691

ここ五年ほど、豪華客船の黄金時代の写真集、Linersを探していたものの、なかなか出会えず、といって、このようなマニアックな本をAmazonで一発クリックでゲットするのも、何だか、新小売経済の寡占化に巻き込まれているようで、納得いかず、永い間、神田を探し回っていたところ、ついに、Amazon価格の30%という激安価格で店頭の強烈な日差しに当てられていたところを探し当てました。

getty imageの膨大な写真資料から編集した20世紀初頭からの客船の旅にまつわる写真は、いわゆるクラスのある階層の風俗もたっぷりで、この一冊の中には、優雅できちんとしていた旅の時代が整然と展開されています。長期にわたる客船の旅では、毎日が、あっというエンターテイメントの宴会が愉しみだったのでしょうし、企画責任者であり主賓でもある船長さんの堂々とした姿には、やはり『贅沢は素敵だ』と叫ぶほか、ありませんね・・・。

You Tubeにも豪華客船の黄金時代がありました。 http://www.youtube.com/watch?v=pIDE79JKUj0

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月23日 (金)

1962 大瀬崎 夏の学校

196207 中学校最後の夏の学校は静岡県、大瀬崎で開かれました。生徒は毎日が厳しい水泳訓練に明け暮れましたが、大学の水泳コーチから聞かされる夕方のミーティングの一人ひとりに対するクリニックが、泳ぎの真似を交え面白く、今では考えられないほどの親近感があったのです。

この写真は、水泳訓練の休憩中にコーチに砂を盛って遊んでいるところですが、全員大笑いしているところを観ると、コーチが子供受けするネタでも喋っているようです。

毎日の楽しみは、夕方のミーティングのあと夕食を済ませ、コーチと海岸を散歩しながら聴かされるウクレレ片手のハワイアンと、高校になるとこれだけ面白いことがあるのだ・・・、などの雑談で、少しづつ脱少年になってきた生徒には、はやく高校生になることが待ち遠しいのでありました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月22日 (木)

真夏のテニスは辛かった。

Img_8427 今朝も、早朝6時前には、ギンギンの太陽が容赦なく照りつけ、気温も30度近くなってます。このところ、早朝に多摩川を走っていて出くわす中高年の数もめっきり減り、よほどの『お好きな方々』以外は、この暑さにリタイア気味なのでしょう。最近はテレビ、ラジオで現在時間の気温情報が出ているものの、あれは百葉箱内の温度であって、実際、舗装路面などは軽く50度を越しているのですから、空虚な情報に過ぎないと思ってます。ここまで熱いとロード用自転車の空気圧も、夏のお約束7気圧で出発しても破裂するのではないかと、疑心暗鬼に陥りそうです。

用賀から足慣らしに一旦駒沢通りに出て、朝日を背中に上野毛に向かい、環状八号を越し、丸子川から国分寺崖線に沿って、丸子橋まで南下。早朝ですとこのルートは日陰で涼風の独り占めと、ご機嫌なひと時を堪能できます。丸子橋を川崎側に渡り、今度は一気に登戸方面に北上。黙々と生ぬるい風を浴び、しゃきっとしない体に氷詰めの冷え切った水筒の水で首に流すと、一瞬、冷気が全身を奮い立たせてくれます。多摩川べりには野球・ゴルフ・サッカー・フットサルのグラウンドと並び、テニスコートも観られますが、今朝は誰もいなく、真夏の寂寥感そのまんまであります。

このテニスコート景色を観ていて、私が左利きということもあって希少価値なのか、中学一年で硬式テニス部に入部した50年前の、東伏見のコートでしごかれた夏の練習を思い出します。コート整備、水巻き、先輩のボール拾い、ライン引きなどなど、「習うより慣れろ」という理不尽満載な体育会の伝統は、今もまったく変わってないようで、多摩川のテニスコートで悪戦苦闘している学生の様子からも、それが分かります。ポコポコになったクレィコートは、整地することなど不可能に近く、そこに当たり、イレギュラーしたボールを打ち逃すと厳しい叱咤の声が至近距離から聞こえ、おまけに唸るような蝉の声まで馬鹿にされているに聞こえるのでした。

話がいつも横道にそれるのは勘弁していただくとして、熱射病などもってのほか、そこそこに引き上げ、今朝は100%クランベリーの炭酸割りで体内が冷却され、生き返りました。今朝の走行距離、遠慮がちな28キロでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月21日 (水)

サンシルラポピーの町

1_6 Photography:odebunekosan

この美しいフランスの村・サンシルラポピーは、何となくメルヘンの物語に登場して来そうな気配があります。15世紀から16世紀にかけての村が殆ど変わらず現存していて、多くの観光客が訪れ、日本人の旅なれた中高年層にも人気が高いようです。

夜などは、真っ暗であっただろうし、怖いお話もいっぱい残っていそうですが、何処の国でもこういうロケーションの町や村ですと、夜は家族や近所の人も集まって話をしたり、音楽を奏でたりと、毎日が楽しく暮らしていけたのでしょう・・・。

箱庭的まとまりの好きな私が、一度は訪れてみたいところでありますが、ホテルもこの街の環境ですと、周囲の普通の建物とあまり外観が変わらないでしょうから、間違いなく真っ直ぐ戻れそうもありません・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月20日 (火)

Rimg29910 水彩絵具は、カートリッジペーパーのような吸水性の少ない紙に描かれると、滲み・発色・光のコントラストが明確に描く人の技術レベルをそのまま投影します。潔さが何といっても大事で躊躇いだすと、その間、絵具が勝手に動き出してしまいます。水彩画とは実は水を制御する水制画に他ならず、このコツを飲み込むと小さなことにとらわれることなく、面白いように、自由になれます。

エドワード・ホッパーさんの経年変化してやや風化したニューイングランド地方の家屋にも、ホッパーさんの技術の確かさ、水の制御、潔い筆勢が忍び込んでいます。

さて、出雲信仰・出雲伝説・出雲王国などの生まれ育った魔界バナキュラー性を背負って描き出した、水木しげるさんの独特の粘りさ・重さとは対極の、その場の光と空気を描いたモダンさが、ホッパーさんの衰えない人気の根っこでもあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

広重・高輪のびっくり構図

Photo_3 このどこが高輪なの・・・、と叱られそうですが、増上寺安国殿造営に際し、わざわざ京都の牛が集められ運搬の下支えとなり牛町という町名になったいわれがあるそうで、現在の国道一号線沿い高輪二丁目界隈です。

1857年(安政4年)http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1857.htmlの作品ですが、遠くには鎖国状況も綻びだし暗雲立ち込めるご時勢か、お台場も観え、それと対比するように空には平和を祈願するように虹が車輪とのバランスを考え、構成上ここに収まっています。この画面も極めてグラフィックデザインの雛形のようであり、今も色褪せない典型であります。また、転がっているスイカの食い散しは人様の成せるものか、子犬の仕業か、観る人の想像力が広がりますし、その二匹の子犬の車輪に隠れた収まりなどは、おみごとのひとことであります。

この絵について

まず、高輪牛町からです。絵からもわかるように、当時は、目の前に海が広がる東海道沿道の場末でした。江戸の境は前回出てきた金杉橋でした。つまり今の浜松町までが江戸の市内でした。ただし、牛町は、高輪車町の前の通りを俗にそう呼んでいたのです。現在の国道一号沿いの高輪二丁目辺りということになります。絵で見るように、現在の国道は海の脇を走っていたということになります。絵では、食べ残しや、緒の切れたわらじが、いかにも場末を演出しています。しかし考えてみれば、そうした場所が、どうして「名所」になるのでしょうか。
 牛車は、山王祭や神田祭の山車を担当していました。『江戸百』でも描かれているので、いずれ取り上げることになりましょう。それだけではなく、資材の運搬に活躍しています。都市の復興が行なわれるようになると、その牛車の基地として、高輪牛町の地が注目され、人の口の端に上ったと思われます。
 牛車については、藤岡屋が、牛車と幕府の奥医師のけんかを目ざとく取材しています。そこから、牛車が往来を闊歩していた様子が浮かんできます。この事件は、安政4年閏5月に、南伝馬町二丁目で起きたので、広重が、家にいれば喧嘩の報を聞いて飛び出していって見に行けるほどの距離でした。医師は、お城から帰宅する途中、南伝馬町二丁目で歩みの遅い牛車に行く手をさえぎられました。怒った医師は、牛車を曳いていた者を捉らえて、この場所から数ブロック先の因幡町の屋敷へ連れていって杖で打ちすえました。そのため、牛たちは往来に放っておかれたままになり、道をふさいで大騒ぎになったのです。(原信
田 実)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月19日 (月)

バスク地方のポスター

203_4 バスク地方のポスターであります。日本では今もアートとデザインとの領域は?などと空虚な話をお好きな方々が多いようですが、そんな輩をあざ笑うがごとく、おみごとな仕事であります。相当昔の作品でありますが、色彩設計・トーン表現などからして、基礎を完全に自分のものにしている方の仕事とお見受けいたします。手前のテニスを楽しむ人の表現などは可愛らしいのですが、全体のデフォルメされた景観の表現が、妙に不思議な平衡感覚と錯覚を誘き寄せているようですし、さらに渚付近の暗い海面がヒッチコックのスリラーでも暗示させるような、ドラマチックな印象さえありますね・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月18日 (日)

TAMATRAに出会った。

Rimg30541

Rimg30563

Rimg30547_2梅雨明け宣言と同時に、目も眩むような陽射しに、クタクタになりそうですが、今朝(土曜日)も明け方より真っ青な天空を見て、7時過ぎに多摩川堤を走りました。

Rimg30566_2

Rimg30579_2

湿気を吸った重そうな雲がゆらゆらと移動している中、徐々に雲も消え、真っ青な空間が目の前に展開し始め、一気に気温も上がってきて、「ちょっとしんどいな・・・」と思ったものの、二子橋を渡り、ガス橋方面に向かいました。連休の土曜日の早朝ということで、人でもそこそこ在るのかと思ったものの、静かな多摩川堤は少年野球大会の予選準備の父兄だけが急がしそうにテント張りをしてました。そこを、私を追い越していった二人の先輩世代の姿が、あまりに懐かしい昭和の残照であったので、そっと追いかけ、スナップしました。クラシックな麦藁帽子にシャツを出し、涼しげに快走してますが時速25キロと、なかなかの健脚でありました。このご両人、勝手に多摩川に相応しいトラディショナルな雰囲気から、TAMATRA(多摩川トラッド)と名付けてしまいました。

その後、ガス橋をUターンし、登戸、関戸橋を経由して、気の向くまま深大寺に直行。8時半というのに、水木茂さんのゲゲゲフィーバーは鳴り止まず、観光バスも早朝から列をなしています。この時間、蕎麦屋も開店してませんし、都心の観光地と違い、サービスと奉仕の心には、まだまだ程遠い売り手市場ですから、炎天下、逃げ場のない観光客はよしずの影に涼をとっています。この界隈もショートながらヒルクライムを遊ぶ場所が多く、一時間ほどウロウロして、蕎麦屋の『多聞』に飛び込み、もり蕎麦一枚をいただきました。店の前をよせばいいのに死の行軍状態のウォーキング団体が大勢通っていきましたが、中高年の団体ですから、この炎天下、大丈夫なのか、心配でありました。帰りは消防大通りから仙川、成城を抜け、世田谷通りを越し、仙川沿いを南下し、静嘉堂文庫の手前から六郷用水脇道を走り、二子玉川に出、瀬田の急坂を上って帰宅しました。

走行距離、73キロと頑張りすぎましたが、冷蔵庫に冷やしてある三矢サイダーが途中から目に浮び、たどり着いて一気に飲み干したのであります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月17日 (土)

東尋坊の迫力

2 目の前が刻々と変化し、同じ現象が二度と繰り返すことなどありえない世界を見続けることは、贅沢な話ですが・・・、あるんですね。例えば、この東尋坊などは水平方向から見ている限り、波のしぶきの面白さに吸い寄せられてしまいそうです。東尋坊はその絶壁環境が売りでありますが、私などは、この写真のような海と岩と空とのバランスが取れた場所に居れば、一日中、飽きることもなく眼前の天然イリュージョンを満喫していそうです。但し、美味しい珈琲と座り心地の良いホールディングチェアー、旧式だが明るいレンズの双眼鏡があっての話ですが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月16日 (金)

広重・日本橋通り一丁目

113

銀座から神田方面に抜ける通りは、江戸時代から日本橋通りと呼ばれていましたが、いつの頃か、中央通りといういかにも役所的な総称となってしまいました。

広重の版画に観られる手前の店舗は白木屋で当時は木綿小間物問屋としての隆盛を誇っていました。現在、その跡地にはCOREDOが建っています。

さて、その白木屋の前を歩く集団は住吉踊りの大道芸のの皆さんで、先を歩く木綿の着物を着た大道芸のグループの後に立派な日傘に隠れて見えませんが、女太夫が歩いています。白木屋の前では冷やし瓜、蕎麦の出前持ちと、これも夏のお江戸の風物詩が盛り込まれています。

一説には、木綿小間物問屋の白木屋と、行列して歩く大道芸人の木綿の衣装をかけた宣伝をも兼ねていると云うのですが・・・、これも広重の得意なタイアップ宣伝をかねた、商業振興策の裏技みたいにも思われますね・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月15日 (木)

1962 大瀬崎 地獄の特訓

196208 1962年http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1962.html、中学三年生の夏、西伊豆・大瀬崎の水泳訓練は、実力別にクラス分けされ、私は中級に何とか合格し、立ち泳ぎ・平泳ぎの基本動作に明け暮れていました。上級ともなれば、沖のほうまで連れて行かれ、しっかりと遠泳の訓練に終始していましたが、まったく泳げない輩もけっこういて、彼等はこのような屈辱的なバタ足練習でありました。

今であれば幼稚園の年代が教わる基礎中の基礎ですが、当時は15歳といえども、泳げない生徒にはこの仕打ちでありました。波打ち際にうつ伏せですから、褌の隙間から砂は入るし・・・、とかなりの痛さを耐え抜く訓練でもあったようです。

皆、辛抱強く耐え抜いているのは、夜の自由時間ともなると鬼に見えた水泳教官が、甘い声でウクレレ片手に大人のロマンティシズムを歌ってくれたり、映画の話や、恋愛の話などを面白おかしく話してくれるからで、この夏の学校では、いっぱしの大人に入門するための様々な社会勉強を、教官から教わるのでした。教官といっても、その殆どが大学のラグビー部・水泳部を中心とする先輩で占められてましたから、よそよそしさもなく、けっこう明るく、真面目な自由時間でありました。

というわけで、この年に発売された整髪料・バイタリスヘアーリキッドは中学3年生にも一気に飛び火し、あっという間に男子生徒の髪型が大人びてしまいましたし、テレビも全国に50%まで普及し、『ピンクムードショー』など風俗番組を家族が寝静まってから、こっそり起きて、居間で息を殺して観ていた中学三年生の夏です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月14日 (水)

用賀のタワー

Rimg26371 雲と垣間見る晴天とのバランスが絶妙な、朝の用賀駅http://setagaya-chintai.com/bukkenn/0039.html に出ると、眩いばかりの用賀ビジネスタワーが冴えわたっていました。今とは対極の、ふんだんにお金をかけた用賀駅再開発は使われた建築資材の品格からディテールの収まりまで、かなりの高得点なのです。

もちろんこのビルを取り囲む界隈のまとまりも、歩くたびに感心するほど混沌さたっぷりな商店街も残され、机上だけで設計進行しなかった現場検証の努力さえくみ取れるようです。

ただ、通年のビル風と夏の陽射しに焼けた石壁だけは照り返しも息苦しく、勘弁していただきたいのであります・・・。

さて、用賀の町は大山街道の宿場町として発展し、その後、昭和初期より陸軍関係者や軍需産業まで、パッケージとして取り込まれていたそうです。たしかに、ほんの10年前まで、亜細亜エレクトロニクス・武蔵野印刷などなど、戦前昭和の薫りに溢れた工場が用賀中町通りに面してました。商店街も地味ながら豚肉の美味さで定評のある『手塚肉屋』、京うどんの『葵』パイ生地の抜群なケーキの『フローラ』、昭和30年代の面影の残る『山本文具』などなど、用賀駅ビルの先端性とは真逆な長閑でゆるーい街並も健在です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月13日 (火)

1907年・剣岳初登頂

1909 103年前の登山家にとっては、今ほど機能的な道具が揃っていたわけではないのでしょうが、純粋に、山に登ろうというモチベーションは逆にたいへん強かったのでしょう。

1907年は明治40年、父の生まれた前年でもあり、何となく親しい感覚をもつのですが、このような優雅な皆様も居たということが記録に残っているだけでも、一層、嬉しい気持ちにさせてくれます。

夏山の快適な雰囲気が素朴にも観える姿と重なって、正に、日本の山男の雄姿・・・、といったところですね・・・。さて、映画にもなったこの快挙でありますが、実際は果たして初登頂であったのかどうか、憶測が飛んでいるようであります。

柴崎測量隊が剱岳に初登頂した日(明治40年7月13日)、「剱岳」作者の新田氏によると、剱岳初登頂の話を聞くために柴崎氏と同じ陸地測量部にいた人にアプローチしてみたという。ところが、その人によると、柴崎氏は初登頂の話をなかなかしたがらなかったそうだ。当直の夜などを利用して聞いてみたが、なにも話さなかったという。取っ付き難い怖い人だったそうだ。しかし初登頂のウラ話を聞くために、執拗に食い下がったところ、とうとう話をしてくれたそうだ。

 なんと驚いたことは、登頂に成功して周囲を調査したところ、錫杖の頭と鉄剣があり、火を燃やした跡があったという。初登頂と思いきや、古い時代に修験者らしきものがすでに登頂していたわけで、当時の陸軍参謀本部は「初登頂でなければ意味はない」と激怒して、柴崎隊の登頂まで抹殺しようとしたそうです。剱岳山頂で発見された錫杖の頭と鉄剣は、柴崎氏宅に保管されていたが、柴崎氏歿(昭和13年、64歳)後の昭和34年6月27日、重要文化財に指定されたといいます。
 新田さんによると、いまもこの錫杖の頭と鉄剣は柴崎家が保管しているが、鉄剣は錆び果てて、細長きかたまりでしかないものの、銅の錫杖の頭は千古の謎を秘めた緑青に包まれ、神秘的な輝きを発しているという。映画では、夏八木勲が演じる修験者が、ところどころで意味深な演技をしている。彼が唱えていた修験者の声がいまでも、わたしの耳から離れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月12日 (月)

IKEA Information Design

Rimg29726

Rimg29815

Rimg29801 世田谷から第三京浜であっという間に港北インターを降り、2分ほどで到着するIKEAに行きだしてから、小売業の手本となることがたっぷりあることもあり、午前中の空いている時間に、時々出かけます。

この店の基本は「ご自分のことはご自分で・・・」というスタンスが明快で、むやみに、スタッフに聞いたりするのは野暮というものです。ですから、店舗の其処彼処に表示されている、コンセプトボードや、サイズチェックの目安となる鏡のパネルなどにも、きちんとしたデザインの心が投影されています。日本のショップにありがちな、読めない手描きや花文字のPOP類など在るわけなく、本部のデザイン監理は枝葉末節の部分にまで行き届いているからこそ、巨大な空間にも、ある種のメリハリがあり、各商品別ゾーニングの分かりやすさとともに、くたびれない店舗です。ここは、リビングの基幹商品もさることながら、ガゼット商品も、見逃せないところがあって、電池やタップなども美しいデザインです。

もちろんお愉しみはレストランでの食事ですが、いつ行っても同じものしかオーダーしないのは、面倒くさい性分もあるのですが、この日、隣席でたべていたピザがあまりに美味しそうなので、次回は、ピザのオーダーに決めておきたいと誓って、帰路に着きました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月11日 (日)

東山魁夷のスケッチ

02 東山魁夷さんは、当時の画学生ならばパリに留学と相場が決まっていた頃の1930年代はじめ、ベルリンに留学します。

「ヨーロッパ美術が系統立てて収集されているベルリンを観てから、各国の美術館を巡ればよいだろう」という恩師・八代幸雄氏のアドバイスを素直に聞き入れ、それが、幸いして後世の東山氏の絵画の豊かさに繋がってきます。

又、人生には運と縁がつきものですが、ドイツ人の友人の家で「鉛流しの占い」を観て貰い、即座に占い師から「あなたは風景画家になります。」と告げられたり・・・、と、もうこの頃からドラマが始まっていました。

このベルリンのスケッチは1934年、東山さんが26歳の年に描かれたものですが、誠実な性格そのままが構図・細部にと移り住んでいます。ささっと描かれたにも関わらず、奥行きといい、逆光の具合といい、日本画的雰囲気の中に洋風の薫りがいっぱいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月10日 (土)

STARS ABOARD

Rimg30188

Rimg30191

Rimg30197

Rimg30198Rimg30199 船旅は今も、優雅な暮しの象徴として、普遍的な憧れでありますが、これはCUNARD社http://www.cunard.com/en-US/ http://www.cruise-vacations.co.jp/cunard/index.htmlが過去に同社の大西洋航海のQueen Mary号 Queen Elizabeth号に乗船した各界のセレブを撮影したシンプルな内容の本です。いわゆる、コーヒーテーブルブックスと呼ばれるカジュアルな装丁は、何処で開いても、待ち合わせの時間つぶしにもご機嫌な写真とともに、待ち合わせそのものを忘れてしまいそうなほどです。

登場する皆さんは19世紀生まれの方から20世紀初頭に生まれた方々ばかりで、最年少でも1932年生まれのエリザベス。テーラーです。ハリウッドスターから第二次世界大戦の英雄まで、その幅の広さがこの本が愉しい理由でしょうが、何しろ、きちんとした男性群の身なりの正統性はフォーマル、カジュアルに関係なく写真を通して分かり、思わず背筋がシャキンとしてしまいます。

あえて云ってしまえば、社会に階層区別のあった時代は、それなりのリーダーに備わった人間力のオーラがあまりに大きく、今日のような隣のお兄さん・お姐さんというような親近感など微塵もなく、メリハリのあった時代に羨ましささえ、覚えてしまいます。

実はこの本、CUNARD社の客船に乗船した顧客に配布されるもので市販本ではなく、丸の内 LIPSETTのディスプレーとして展示されていたものですが、Amazonで販売されていることが分かり購入できたものです。

LIPSETT 丸の内店
東京都千代田区丸の内2-1-1 丸の内 マイ プラザ-1F/2F
TEL: 03-5220-6655

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年7月 9日 (金)

本郷で見逃していた!。

Rimg30140

Rimg30134

Rimg30137

世田谷から都心を抜け、本郷方面に自転車で走るときは食事は摂らず、栄養補助食品の類で済ませます。それは、本郷三丁目の近江屋洋菓子店 http://www.ohmiyayougashiten.co.jp/ のボルシチと生ジュースセット(どちらも食べ放題・飲み放題)を、ブランチ時間の愉しみとしているからです。ご存知の方も多かろうと思いますが、ここのケーキは昨今のスィーツ的可愛らしさとは対極のどっしりしたボリュームが売りで、極上の素材をふんだんに使い、値段はお手頃であることから、人気店です。歴史も長く、店内は正に昭和モダンの典型で、設備関係も立派な、どこかのホテルの巨大調理場に入ったような錯覚に陥ります。

本郷通りを通り、根津・谷中・上野界隈のコンパクトなヒルクライムを遊んでいるうち、お腹も減ってくると切り上げて、近江屋洋菓子店に駆け込み、ボルシチ・生ジュースセットで空腹を満たします。驚愕の525円という料金も嬉しいのですが、まだ人気のない大空間で独り食事する気分がたまりません。ボルシチも味が薄めということも、汗をかいた直後にはありがたいですし、生ジュースのバラエティも数種類あって、いつも迷います。

さて、近江屋洋菓子店を出てすぐ隣に可愛いイラストのメニューを発見!。ロシア料理店 Becha(ベスナーと呼ぶそうです) http://restaurantbecha.web.fc2.com/ の美味しそうなラインアップが最近の天然系雑誌に観られる挿絵カット風でもあり、ひと目で写真以上に伝わります。この日は休日でしたが、ホームページなどをチェックすると此処も、美味しそうな気配が十二分に漂っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月 8日 (木)

スイスの山村に迷い込んだ 1967。

809_2

1967_2

安野光雅さんのスイスの水彩画をながめていると、みずみずしい空気感の表現に感心させられると同時に、1967年のヨーロッパ・スポーツ関連の取材旅行での苦い想い出が蘇ってきます。

この旅行の殆どをいちばん若輩の私は、ナビゲーターとして助手席に座り、ミシェランの地図とにらめっこで孤立無援・孤軍奮闘してたのですが、ルートを外してばかりが生じ、みなさんのお叱りを受ける毎日ばかりであったのです。

アウトバーンを疾走してドイツからスイスに入り、はじめての取材と商品発注の仕事がインターラーケンに向かう途中にあるストックリーと言う名前のスキー工場でした。このスキーは当時、銀座・秀山荘の独占販売で、デザインの秀逸性と滑りの良さから隠れた名品と呼ばれたスキー板です。社長の自宅は工場の隣で大歓迎の食事会を設けていただき、そこではじめて食した、ラクレットとチーズホンデューの美味しさに仰天、皆、ご機嫌でローザンヌへの帰路に着いたのですが、ここで、私のミスが生じ、写真のような山村に迷い込んだのです。当然、英語の通じる村人もいなく途方にくれたものの、何とか、勘を頼りに無事ローザンヌに到着できたのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月 7日 (水)

出前が町を・1956

19561

蕎麦屋の出前が、その名人芸ともいえるほど多くの数を重ねて自転車で運んでいた姿は,確かに見事な姿でありましたが、何時の間にやら消えていきました。

1958年に、あのHONDAがスーパーカブというお手軽バイクを発表してから間髪入れずに蕎麦屋に売れまくったのも、後部にショックアブソーバー機能の出前運搬装置が発明されたからでしょう。

この写真のような町の風情を今求めた所でどうしようもないのですが、町に名人・達人・顔役・親分などが揃っていて、些細なことから土地に絡むいざこざまで、何でも町のことは町内で解決できていた時代の気配が、伝わってきます。地産地消とは産物だけでなく、事故・事件の後始末のたぐいにいたるまで町ぐるみであった時代もあったのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月 6日 (火)

英国的街並み。

1409 1986年に買付け出張で訪れたイギリスは、落ち着いた街並と気忙しい日本と相反するゆっくりした暮しのリズムが自分の波長とも合い、素晴らしいひと時を堪能しました。2月に開催されるバーミングハムのギフトショーは日本のような売れ筋雑貨中心の展示会とは格段に違い、しっかりしたクラフト作品から先端技術を組み込んだ先鋭なモノまで展示され、この国のものづくりの底力を見せ付けられた印象がありました。巨大な展示会場はフルに詳細に回れば三日は必要とされますが、事前に展示会情報を入手してターゲットを絞り、アポイントまで取り、効率よく動き周るのが会社の伝統芸でもありました。そこで余った時間を各自分散して自由に情報収集するのもだいじなポイントであり、各自の日頃からの感性を首実験されているような意味もあったのです。偶然、暗い小さなブースながら細工の素晴らしい銀製品を発掘し、『英国展』で職人さんに実演してもらいましたが、その方は日本食がまったく駄目で、四谷の地味な洋食屋さんにお連れしたら、あまりの美味しさに仰天していただいたこともありました。なにしろ、東京の飲食店のバラエティの幅と奥行きに純朴な職人さんは新世界を感じていたのです。

さて、安野光雅さんの水彩にもイギリスの街並が登場しますが、その茶色の色使いのデリケートさにはいつも感心します。とくに、茶色系統はその国・地域によっても微妙な違いがあり、そのことをよくよく認識されているのか、安野さんの色の錬金術は秘伝そのものであります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月 5日 (月)

広重・東海道 沼津黄昏

Photo_2 広重の東海道五十三次を観光振興の広告ポスターと考えれば、今なら、JR東日本の「そうだ!、京都へ行こう」「そうだ、江戸へ行こう」のノリともいえますね。

東海道五十三次定番の傑作とはちょっと趣きの異なるこの一点、妙なシュール感覚と不気味さを伴い、観光振興の手段としては、ちょっとイマイチ的でありますが、画面構成としてはかなり教科書的典型であります。斜めのジグザグと垂直の林の絡みがくどいようですが、そこに控えめな満月が顔を見せ、画面全体をやんわりとさせてくれます。

まるで、いろんな具の入った丼の上から卵をかけると円やかになるのと同じ効果のようです。

尚、この作品も年代によって全く趣きが違い、赤・青・白・黄が鮮明なものもあるのですが、どうも満月の雰囲気と合わず、いかがなものか・・・、とクレームをつけたくなるほどであります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月 4日 (日)

90歳になられたアレックス・モールトンさんを祝って。

Rimg30084

Rimg30088

先日、秋山東一大兄より突然電話あり。「君も観ねばなるまい・・・この乗物を・・・」http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/002766.html#more とのお言葉に従い、土曜日の午前中、代官山・ヒルサイドテラスで開催中の「アレックスモールトン生誕90歳を祝う展示会」http://www.dynavector.co.jp/moulton/index.html に、自転車ならぬ自動車で出かけました。すでに、会場は老いも若きもモールトニアと思しき皆さんで混雑。会場を先ずさーっと一巡し、さらにじっくりとその美しい細部の工作箇所などを観察しました。

自転車のカテゴリーながら、モールトン博士http://www.bscycle.co.jp/bs_moulton/bsm_alexmoulton.html の「自転車こそ、サスペンションから発想すべき乗物であるべき」との強い意思から誕生したその姿は、独自の思想と技術と表現(アイディアとテクノロジーとエグゼキューション)のほぼ全てがオリジンですから、あえて、自転車と呼ばない方々も多いほどの、モールトンという乗物なのです。

今回は、歴代のモールトンも全種展示されるなど、ミュージオロジー感覚の展示も、この乗物のコンセプトとの整合性が色濃く、久しぶりのワクワクするひとときとなりました。

ただし、今日、日曜日までということで、もし、お時間と興味のおありの皆様には、是非、ご覧いただきたい展示会であります。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年7月 3日 (土)

デッサン力!熊のプーさん。

2409 早朝、駒沢公園をランニングしている多くの皆さんは、粛々と自分に問いかけるような修行僧の方もいれば、仲間と和気藹々、楽しそうにしゃべりながら走っている皆さんもいたりと・・・、毎日毎日、賑わっています。ひたすら毎日おなじことを繰り返し続けることはスポーツ・アスリートだけに課せられた命題かと思われましょうが、どっこい、このような手先勝負な挿絵の世界も同様なのであります。

下書きもなしに、いきなり対象を瞬時に把握して、ささっと描くには、もちろん天賦の才能の他、日々のデッサンやらクロッキーなどのドローイングに精進してなければ身につかず、挿絵画家はマイペースなゆるい生活をしているなど、これは世間の風評に過ぎません。

熊のプーさんの挿絵画家であるアーネスト・H・シェパードさんhttp://www.asahi-net.or.jp/~ka3i-mztn/shepard.htmのペン画には全くためらったあとのひとかけらもなく、まるですーっと風が吹くがごとく、柔らかい線描が観る側に心地よさを運んでくれます。それでも、ご当人のたゆまぬデッサンの精進があるからこそ、このような写真などでは絶対捉えることの出来ない瞬間を掴みとれるのです。

クマのプーさんとは

1926年以来,世界中の子どもと大人に愛されつづけてきた名作『クマのプーさん』。
 イギリスの劇作家A.A.ミルンは,幼い息子クリストファー・ロビンと子ども部屋のぬいぐるみたち(クマのプー,コブタ,ロバのイーヨー,ウサギなど)を主人公にして,家族で休暇を過ごした田舎の森を舞台に,楽しい魔法の世界を紡ぎだしました。
 画家E.H.シェパードは,ミルン家の別荘のあるサセックス州ハートフィールドの森を何度もたずねて,念入りにスケッチしました。シェパードの描いた美しい森の風景は,いまでも当時の面影をとどめており,多くの観光客がおとずれています。 (岩波書店)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年7月 2日 (金)

Paul Smithさんと 1986年

198626paul_smith_3

1985年秋に、伊勢丹新宿店6階・趣味雑貨エリアの大幅なリニューアルに参画し、某部長の大鉈を振り下ろした決断のもと、新規取引先開拓・社内の若手の人事を含め、新しい流れを生むための裏方として、東西奔走し、それまでの既存の手法から脱却すべく、毎晩、新宿の夜を担当者と喧々諤々しつつ謳歌していた頃が、今となっては懐かしいワンシーンであります。

社内的にも、相応の評価をいただき、翌年一月末、海外買付ということとなり、ドイツ・ニュールンベルグ、イギリス・バーミンガム、イタリア・ミラノ、フランス・パリ、最後にニューヨークと展示会を駆け巡りました。当時、国内は晴海国際展示場が大きな展示会の場でしたが、どこもそのスケールたるや話にならないほどの大きさで、例えばニュールンベルグのホビーショーなどは、小型飛行機まで展示されているスケールでした。

どこの展示会も、売れ筋の商品とは別に、作家のおもちゃから人形、置物などなど、まだ日本では紹介されていない、輝くような作品・商品があるにも関わらず、何故これまで紹介されずにいたのか、逆に、単年で勝負する海外催事目当ての日本のバイヤーの短絡発想が気にかかりました。展示会では、競合店と、商品を巡りしのぎを削ることも多く、駆け引きも瞬発力を要求され、これまで、持続力中心のデザイン一辺倒だった自分の仕事の守備範囲の狭さをも痛感してしまったのです。

そのイギリス買付けの折、当時ロンドン在住の写真家・高木由利子さんhttp://yurikotakagi.com/ に紹介いただいたのが、Paul Smithさんhttp://www.paulsmith.co.uk/ です。偶然にも私はPaulさんの大フアンで、このスナップは彼のオフィスにお邪魔した際のものですが、チンパンジーが部屋にウロウロしているなど、日本のオフィスでは考えられない自由度に感激し、一層フアン度が加速してしまったのです。Paulさんはコベントガーデンや、当時出来たばかりのアロマブランド、ニールズヤードhttp://www.nealsyard.co.jp/ などにも一緒に連れて行ってくれるなど、サービス精神旺盛な紳士でした。又、できたばかりのバーミンガムのナショナルモーターサイクルミュージアム http://www.nationalmotorcyclemuseum.co.uk/  http://tabitoba.blog58.fc2.com/blog-entry-143.html  http://ameblo.jp/uk-seikatsu/entry-10461376043.html に是非行くよう進められ、短い時間でしたが、イギリスのバイクの美しさと個人のコレクションの凄さをじかに観ることが出来、イギリスの大人の趣味の豊かさが国の豊かさの礎になっているのでは・・・、などと独り合点していたのです。

現在、PaulさんはSirの称号をいただいたとはいえ、斬新で愉快なアイディアは枯渇することなく、世界のファッション・アート界にそのユーモア感覚を投げかけています。

ところで、Paulさんが青春時代、プロのロードレーサーを目指していたものの、大怪我で断念したほどの自転車狂であったことを後に知りましたが、このとき知っていたならば、自転車談義で盛り上がったことを思うと、それが残念であります。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年7月 1日 (木)

湧き上がる雲にびっくり!。

Rimg30022

Rimg30031_2

Rimg30043_2

昨夜のサッカーは素晴らしい展開でしたし、パRimg30020_2ラグアイの強さを 再認識させられた試合でした。まだまだ力の差は歴然でしたし、なにしろドリブル・パスに見られるリズム感の違いは宿命のようなものですね。オンビートとオフビートのテンポの取り方と間の感性だけは神がラテンに授けた御物のようなものですから・・・。

さて、快晴の早朝から 多摩川の上空に面白い雲が並んでいて、眺めていると、たっぷりと水分を含んだそのフォルムは、鈴木新太郎さんの絵画

19

に登場するユーモラスな雲のかたちと同じなのです。この様子をもっと近くでと思い、自転車で二子橋を渡り、定番の登戸に向かっていると、多摩川上空でモクモクと雲が湧き、あっという間にそのかたちを変えていきます。これまで、多摩川では面白い雲の乱舞に遭遇しましたが、今朝の乱舞はまるでラテンのサッカーを観ているようなリズム感に溢れたダンスのようでした。

体に当たる風が思いのほか爽快でしたが、登戸から丸子橋に出、中原街道を都心に向かう頃には、蒸し暑くなりだし、信号待ちでは汗の噴水状態に近いものがありました。環状七号線を渡り、一つ目の信号を左に向かうと洗足駅に出ますが、この界隈の雰囲気は泉麻人さん http://www2.ocn.ne.jp/~tiha56/izumisyoukai.html も絶賛するきちんとした住宅街と商店街の名残がほぼ完璧に存在しています。以前から気になっていた洗足駅傍の果物屋・万善さんをこっそり盗み撮りさせてもらい、私の資料・「懐かしく・きちんとした姿」のカテゴリーに収めさせてもらいました。

そのまま円通寺通りを北上すると26号線通りに出、左折すると目黒通りになります。目黒通りを渡り北上、真っ直ぐ駒沢通りに出、学芸大から駒沢へショートカットのルートで環七・野沢信号から裏道で駒沢から弦巻に抜け、世田谷通りで買物を済ませ、帰路に着きました。今日の走行距離・55キロでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »