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2010年7月22日 (木)

真夏のテニスは辛かった。

Img_8427 今朝も、早朝6時前には、ギンギンの太陽が容赦なく照りつけ、気温も30度近くなってます。このところ、早朝に多摩川を走っていて出くわす中高年の数もめっきり減り、よほどの『お好きな方々』以外は、この暑さにリタイア気味なのでしょう。最近はテレビ、ラジオで現在時間の気温情報が出ているものの、あれは百葉箱内の温度であって、実際、舗装路面などは軽く50度を越しているのですから、空虚な情報に過ぎないと思ってます。ここまで熱いとロード用自転車の空気圧も、夏のお約束7気圧で出発しても破裂するのではないかと、疑心暗鬼に陥りそうです。

用賀から足慣らしに一旦駒沢通りに出て、朝日を背中に上野毛に向かい、環状八号を越し、丸子川から国分寺崖線に沿って、丸子橋まで南下。早朝ですとこのルートは日陰で涼風の独り占めと、ご機嫌なひと時を堪能できます。丸子橋を川崎側に渡り、今度は一気に登戸方面に北上。黙々と生ぬるい風を浴び、しゃきっとしない体に氷詰めの冷え切った水筒の水で首に流すと、一瞬、冷気が全身を奮い立たせてくれます。多摩川べりには野球・ゴルフ・サッカー・フットサルのグラウンドと並び、テニスコートも観られますが、今朝は誰もいなく、真夏の寂寥感そのまんまであります。

このテニスコート景色を観ていて、私が左利きということもあって希少価値なのか、中学一年で硬式テニス部に入部した50年前の、東伏見のコートでしごかれた夏の練習を思い出します。コート整備、水巻き、先輩のボール拾い、ライン引きなどなど、「習うより慣れろ」という理不尽満載な体育会の伝統は、今もまったく変わってないようで、多摩川のテニスコートで悪戦苦闘している学生の様子からも、それが分かります。ポコポコになったクレィコートは、整地することなど不可能に近く、そこに当たり、イレギュラーしたボールを打ち逃すと厳しい叱咤の声が至近距離から聞こえ、おまけに唸るような蝉の声まで馬鹿にされているに聞こえるのでした。

話がいつも横道にそれるのは勘弁していただくとして、熱射病などもってのほか、そこそこに引き上げ、今朝は100%クランベリーの炭酸割りで体内が冷却され、生き返りました。今朝の走行距離、遠慮がちな28キロでした。

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