夏休み絵日記・1955
この日記だけが、何故か日付と文章が分からないのですが、昭和30年代前半の久我山の雰囲気が良く出ています。
大地主さんは久我山駅の北と南に二つに分かれ、夫々の交流も無く、北の方面は水道道路の方まで宅地化が先に進んでいたのに、私の居た南側はまだまだ畑の多い長閑な環境でありました。西南の方角に岩崎通信機の工場が大きく観えていたものの、地平線なども認識できるほどのフラット状況は遠くに富士山も拝めるなど、なかなかの田園風景でありました。
近くの畑は夏のトマト・スイカなどが実り茂り、うっそうとした姿は暑苦しいほどで、ある日、朝早くから夕方まで毎日黙々と働く大地主さんのご当主の姿を観てると、突然手招きして呼ばれ、近づくと美味しそうなトマトを背負子に入れて、わざわざ、私の家まで一緒に運んでくれたり・・・などなど、地域のコミュニケーションも濃密であったのです。
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