『海へ行ったはなし』1955年の絵日記 その七
「けさちょうしからきしゃでくじゅうくりのいちのみやにいきまいした。ひるごはんをたべてからうみにいきました。かいがんにはみはりだいがありました。あおいはたがたっているときはおよいでもいいときですがあかいはたがたっているときはなみがあらいからおよいではいけないしるしです。」
遊泳可のときもあれば不可のときもあるなど・・・、海の危険を知ることもなかった東京での暮らしとは違い、九十九里海岸は外海で急に荒れることもあり、いつも見張りのレスキュー員が常駐していました。潮の流れも強いため、人力では間に合わないことも多かったのでしょうか・・・、海水浴場の沖には何艘もの和船や漁船が浮んで緊急事態に対応できるよう、スタンバイしていました。
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