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2010年8月31日 (火)

MELON 赤坂で涼風ブルーグラスを

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暑さも留まることなく、夜もまだまだ秋の涼風に程遠いのには参りますが、「そんなあこと関係ない」と言わんばかりに、箱根の金時山・夕日の滝キャンプ場では関東をはじめ北海道・大阪・神戸・九州のお好きな方々が『ブルーグラス・フェスティバル』に集結。先週、金・土・日とバンド出ずっぱり、呑みっぱなし、喋りっぱなしで盛り上がったようですが、金時山麓の例年以上の蒸し暑さは小父さんたちには厳しい三日間だったでしょう。

というわけで、先週土曜日の夜、二ヶ月に一度のブルーグラスバンド『メロン』を快適涼風環境、赤坂カントリーハウスに聴きに出かけました。洗練さと上品さ、そして鉄壁のコーラスとバンド演奏を併せもつバンドが皆無に近い日本のブルーグラス界にあって、20年ほどに亘る地道なバンド活動は聴き応えがあるうえ、新曲など関係なく、30年以上前のSeldom Scene http://www.youtube.com/watch?v=Nk9vhhGyRyo&a=GxdCwVVULXfYDG4Mp-8Eo7L6jJODe8dl&playnext=1 の楽曲を中心にスピーディ展開します。大概、年を重ねれば音階を下げるのが常な中、皆さん、原曲の音階にこだわり、血管も切れんばかりのハイ・テンションでこなしています。この日は、恒例のお楽しみ企画があって、P.P.M http://www.youtube.com/watch?v=3t4g_1VoGw4&feature=fvw のメドレーを聴くことが出来、これまでの演目構成とは異なり、聴く側はお徳感満載でもありました。それでも、息子さんをドラムに参加させたり、音階を忘れてしまったり・・と、年を重ねた既得権も垣間見れるサービスもあって、ほのぼのなひと時でありました。

さて、圧倒的に団塊世代の固定層で占められているブルーグラスと思いきや、関西を中心に若い世代に人気が再浮上しているようです。私世代が高校時代、周りの生徒に「好きな音楽はブルーグラス」などといえないほどの閉塞感をもちながらも、今日まで離れられない不思議なこの音楽。その継続力の価値を認めてくれだしたとは、この世はまさに、輪廻転生でありますね・・・。

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2010年8月30日 (月)

ノルマンディのカマンベール

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長女が先月出張で土産に買ってきてくれたフランスのカマンベールチーズは、日頃食べなれた国産のものとは雲泥の差。その優しい味わいと食感に、仰天。伝統製法を固くなに受け継いで作られた姿は素晴らしく、一気に食べてしまい、うっかり撮影を忘れていました。

チーズそのものもいうことなしでしたが、そのパッケージもなかなか洒落たフィニッシュで、ちょっとずれて五等分位置に打たれたホッチキスの針など、いかにもフランス好みであります。チラッと覗くギンガムチェックの布はあくまでも飾りなのですが、最初からわざとチラリとみせるところなど、小わざも効いて、嬉しくなります。蓋に施された焼印も本格的で、蓋の素材の貧弱さを十二分に補っています。

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2010年8月29日 (日)

夏休み絵日記・1955

Rimg26029 「8月29日。きょうおとうさんとぼくとできちじょうじにえいがをみにいきました。はじめにやったのはけいこくのきしでした。けいこくのきしはとてもおもしろかった。そのえいががおわってからシェーンをやりました。こどもがしかをてっぽうでねらったところがすごかった。そうしたらこどもがしかをねらっていたところへアランラッドがうまにのってきました。それからシェーンのえいががおわってからにゅうすをしました。おそいひこうきやどうぶつがでてきました。かえりにみちがゆうだちでみちがびしゃびしゃになっていました。それからおとうさんはずぼんのすそをまくっていきました。おわり。」

この日は吉祥寺オデオン座に行ったのです。西部劇が大好きになりだし、このシェーンは子供にはちょっと間延びする内容だったでしょうが、飽きもせず、我慢して見入っていたのでしょう。吉祥寺南口駅前もまだまだ舗装されずに、泥道のようです。アイス最中を映画館で買ってもらうのが楽しみだった頃です。

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2010年8月28日 (土)

夏休み絵日記・1955

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6194701「8月28日。きょうの二時ごろおとうさんとぼくとでうらのたんぼにいってみました。たんぼにいくのにはやぶのなかのさかをおりてまるたの二ほんばしをわたっていくのです。たんぼへいったらもういねのはながすこしさいていました。すこしあめがふっていたのでたんぼのみちがつるつるすべりました。ぼくがすべりそうになったらかえるがとびだしておがわのなかへとびこみました。おわり。」

1947年に米軍が撮影した空中写真の中にも久我山駅周辺が記録され、私もこの写真が遺してくれた自然豊かな環境を享受していたのです。残念ながら、1960年代後半の台風でこの田圃が全滅するまでの15年以上、神田川をこわごわ丸太橋を渡り、釣りや野草採りなどして遊んでいました。写真の右下に向かって太く蛇行しているのが神田川でその周囲の色の濃い部分が田圃です。かえるが飛び込んだ小川もその田圃の真ん中辺りを細々と走っています。

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2010年8月27日 (金)

I Wonder Where You Are Tonight

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Rimg31079 ブルーグラス音楽に名曲というかロングシンギングソングというジャンルがあれば、間違いなく筆頭になるのはこの曲でしょうか・・・。

I Wonder Where You Are Tonight というタイトルどおり、情けない男の切なさを歌ったものですが、歌詞内容とうらはらに、そのメロディラインの美しさで団塊世代を中心に、いまだに夜な夜な歌われる一曲です。

Del McCarlyとRonnie Renoによるデュエットも珠玉で、ギターとフラットマンドリンの控えたアドリブ呼吸がみごとですhttp://www.youtube.com/watch?v=NgZs3YN9DPs&feature=related。かたや、Tony Riceを中心の素晴らしいバンドアンサンブルもブルーグラス団体合奏のもつ迫力の教科書でありますhttp://www.youtube.com/watch?v=4uJAv3qyGDA

さて、今日から箱根ブルーグラスフェスティバルが夕日の滝キャンプ場で日曜日まで開催されます。夜な夜な解放された団塊世代楽団の元気な姿を3年ほど観てませんが、皆さん歌にも味が出てきて、頑張らない渋さを売りにしていることと思います。http://kazzo.jp/PAGES/photo/qtvr/camp01/camp01.html

I Wonder Where You Are Tonight
Tonight I'm sad, my heart is weary
I'm wond'ring if I'm wrong or right
Altho' you've gone and found another
I wonder where you are tonight

(Chorus)
That old rain is cold and slowly fallin'
Upon my window pane tonight
And tho' your love was even colder
I wonder where you are tonight


Your heart was cold, you never loved me
Tho' you said you often cared
And now you've gone and found another
Someone who knows the love I shared

(Repeat Chorus)

Then came the dawn that day you left me
I tried to smile with all my might
But you could see the pain within me
That lingers in my heart tonight

(Repeat Chorus)

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2010年8月26日 (木)

1955年 両親からの葉書。

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1955年の夏、小学校二年生になり初めての林間学校で箱根に行ったときに、両親から届いた葉書です。この林間学校は、小学校の創立以来の伝統行事であり、生徒間の行動を通して、学校とは違う人間の基本的在り様を訓練することもあったのですが、子供にとっては、ただただ嬉し楽しい夏の旅行でありました。

芦ノ湖畔に沿って、広大な敷地を有していた学園創立者の山荘は、パノラマ全開の光景が展開し、乗風台と呼ばれた草原は、ひたすら遊ぶしかないほどの、解放気分満点な環境でした。芦ノ湖から吹き上げる風に揺らぐ草木を観ていると、目の回るような錯覚に陥り、一瞬ですが、宙に浮いたような感覚になるのを覚えています。

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父は、水彩やクレヨンで久我山の様子をスケッチし、一応、父親らしいコメントを記してますし、母も、帰ってからの話を愉しみにしている様がありありです。

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2010年8月25日 (水)

机上の微笑み PEN STAND

Rimg31272 このようなタイプのモノに出くわすと、財布の紐が緩んでしまうのです。ちょっと目には、万年筆屋さんの販売促進のための品物かと思いきや、ちゃんとマーケットを相手に作られた筆記具スタンドです。直感的に、ドイツかルーマニアの商品の雰囲気がありましたが、やはりドイツのモノでした。三白眼の目線が何処を見ているか気になって落ち着かなかったのですが、ちょっと横向きにすれば解消でき、今は、使い勝手もなかなかで重宝しています。

このキャラは、いわゆるモダンデザインの文脈に乗らないし、モダンデザイン教育が厳しく否定してきたタイプの典型であります。私は、周囲の道具類とのテーストとの相性もありますが、このタイプ、大好きなのであります。小学校低学年に手にした、特急つばめの文鎮からはじまり、青春時代はVANのノベルティなどを部屋に置いたり貼ったりと、年を重ねてからも、カジュアルな骨董もどきに目がいってしまいます。作業テーブルは様々な資料・道具が散らかり、いまだ、アナログ手作業の多い仕事柄、このような微笑んでしまう一品があるだけで、時間に追われがちな気分が和んでしまうのです。

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2010年8月24日 (火)

1964? 東京サイクリングセンター

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2008年12月、二代目店主・板倉修一郎さんの高齢を都合に店を閉じた、東京サイクリングセンターの初期の写真です。

この前年、1963年に東叡社の製作による、ブルーバードという名前のキャンピングタイプの自転車を父に買って貰い、初めてのドロップハンドルに手こずりながらも、ほぼ毎日の自転車通学を、その解放感からか、堪能していました。

創業者の板倉修さんは、私のような若造にも丁寧に自転車のイロハから教えていただき、また、このお店に集まる先輩方にも紹介してもらい、週末ともなると、厳しいなかにも楽しいツーリング三昧でありました。当時は、イタリア・フランス・イギリスの部品は高価すぎて、おいそれと手出しできる代物ではありませんでしたが、板倉修さんの、「道具としての本筋を掴むには、無理してでも、フランスのものを、お使いなさい・・・」と云い含められ、当時は稀な分割払いにも応じていただきました。

この建物は、中学二年から始めた自転車通学で水道道路脇に建っていた洒落た姿として意識してましたが、その翌年から学校の帰路殆ど毎日立ち寄っては、自転車の魅力に吸い込まれていくとは、考えも及びませんでした。

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2010年8月23日 (月)

1962 大瀬崎 遠泳練習

196206 行きは良い良い帰りが怖い・・・、

1962年の中学・夏の学校の水泳訓練も後半になると指導も厳しく、技術別にクラス分けされ、特訓にも怖さが付加され、のほほんと育った奥手の生徒にとっては、日頃の友だちの前で晒し者になったも同然でありました。

この写真は、間もなく始まる遠泳に向けて、比較的上級者が沖にある木製の飛び込み台から順番に脱落しないように泳げるよう、指導員から厳しく叱咤されているところです。遠泳は平泳ぎで体力を温存しながら泳ぎ続けることがポイントなのですが、緊張のあまり全身に力が入り、前に進むことも間々ならず、おまけに潮の流れの速さにあせったりすると、不安が過ぎって溺れかけるのでした。

この訓練によって多くの生徒は格段に上手くなり、翌年の高校・水泳大会を自信を持って楽しく迎えることが出来ましたが、今思い起こせば、真剣に指導された先生方は、文武両道を目指す学是に則り、その言動たるや厳しさ・怖さ満点で、親になど聞かせられない言動の連発でありました。それを辛抱できたのも先輩達から連綿と続いたこの水泳訓練を自分達の時代でコケにするわけにもいかないという、極めて、タテ社会に対する尊厳を遵守していたからに他ならないのです。ところが、この6年ほど経った1968年頃からタテ社会に対する青春の反抗が一気に爆発し、短絡的な過激連中も生まれていきましたが、方や企業に就職し、社会のエスタブリッシュメントの渦に巻き込まれつつも、(静かな抵抗として)社内企画立案を通し、小さな改革を進めた連中も多くいたわけです。

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2010年8月22日 (日)

自由が丘 MOCCO

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早朝から三時間近く走った自転車の帰りにランチ、それもちょっと洒落たというより、家庭的雰囲気ながら剛毅な気配も多少あり・・・、となるとなかなかピンとくる店は少なく、ましてや、自由が丘にはまったくないのだろう・・・、と思っていたのですが、とある団体の宴会で初めて行ったMOCCO http://maps.google.co.jp/maps/place?hl=ja&rlz=1T4GGIT_jaJP290JP290&um=1&ie=UTF-8&q=%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%8C%E4%B8%98%E3%80%80MOCCO&fb=1&gl=jp&hq=MOCCO&hnear=%E3%80%92152-0035+%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%8C%E4%B8%98%E9%A7%85%EF%BC%88%E6%9D%B1%E4%BA%AC%EF%BC%89&cid=14000286028411126891 は、40年程営業している筋金入りのトラッドなイタリアンで、その後頻繁にお邪魔しています。抜群のパスタの中でも、今年の無節操な暑さを解消するには、生ハムたっぷりな冷製パスタがご機嫌であります。素っ気ない店内は、気難しそうな陶芸家の雰囲気をもった店主が切り盛りしていて、「男のランチは此処以外なし」と決め付けたくなるほど、ホンワカした時代気分に逆流した大丈夫な優店です。

近くにはトラットリア・MOCCOという別店もありますので間違えないようご注意を・・・。

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2010年8月21日 (土)

夏雲姿 ベスト3

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Rimg30898 時候の挨拶としては、「残暑お見舞い申し上げます」の書き出しの時季でありますが、とくに立秋前の天気は厳しかったですね。7月から8月中旬まで、早朝から自転車で多摩川を徘走していると、例年観たこともないような雲の乱舞が頻繁に目の前に現れ、偶然、多摩川も連日の熱帯夜で異常に暖められたのか、蒸気が上空で雲に変化する瞬間も観ることが出来たりと、猛暑・猛湿な天候だからこそ、自然の造形が気ままに遊ぶのを満喫することが出来ました。また、多摩川と環状八号線がほぼ併行している地域は上昇気流と自動車の排気ガスのコラボレーションの故なのか、雲が突然、複数の平行線となって流れていくことも多く、ただその姿だけを眺めれば、これも美しいのでありました。

しかし、湿気の厳しさは、これまでないようなまとわり付く汗の重さを皮膚表面に感じ、若い頃と違い、汗を弾き飛ばす脂肪の無くなったことを痛感し、増えるのは体脂肪ばかりの自分を情けなく思うのでありました。

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2010年8月20日 (金)

1964 長閑な自転車レース

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1964年10月、東京オリンピックhttp://www.youtube.com/watch?v=_tv7yZHwa94&feature=relatedが開催された年の8月、私は東京サイクリングセンターでスポーツ・サイクリングのいろはを教えてもらっていた有吉さん・沼さんの二人の後を追って、実際の自転車ロードレースが実施される現場を観に行きました。丁度この日は学生のレースが開かれ、炎天下の元、初めて観るロードレースのスピードの速さに度肝を抜かれたのです。選手が一瞬のうちに目の前を通り過ぎると、タイムラグがあって、風が吹くことなど、初めて知ることばかりで、ひとりきょろきょろしていたのです。

高尾駅の周辺を周回するコースは、当時まだまだ茅葺の家が殆どで舗装もアバウトな仕上がりで曲がり角には砂利が堆積しているといった,いい加減な状態でしたから、転倒も頻繁にあって、危険な競技にも関わらず選手の根性は格闘家そのものだったように記憶しています。

この写真でも当時の長閑な雰囲気が撮れていて、木製の電柱・家具の村内の看板・たばこと書かれた幟など、いかにも東京ローカルそのままな世界が展開しています。

上の写真で、立ってレースを観戦している人が有吉さんで、偶然にもカントリーミュージックの趣味も一緒でしたから、駒沢のお宅に遊びに行っては、トミー・コリンズやハンク・ロックリンなど初めて知る歌手http://www.youtube.com/watch?v=tFZ20yGXutg http://www.youtube.com/watch?v=61E9ay3xuEYのレコードを聴いていました。

有吉さんのご自宅傍、駒沢のオリンピック競技場もすっかり出来、その未来的環境と建築姿は夏の陽射しを受け、眩いほどに輝いていましたし、夕陽の鮮烈さと大山・富士山が至近距離に観える不思議さなどなど・・・、当時住んでいた久我山の周辺とは別世界!、広いスケールの駒沢通りを自転車で疾走した気持ちの昂ぶりは、今も自転車で駒沢通りを都心に向かうとき、かならず一瞬、蘇ります。

蛇足ですが、1964年 東京オリンピック・自転車競技個人ロードレースのコースガイドです。手描きの作図が何とも、時代を感じます。

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2010年8月19日 (木)

『海へ行ったはなし』1955年の絵日記 その十

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「おひるすこしまえにきしゃでうちにかえりました。ぼくもおとうさんもかわがむけました。おわり。」

父はこの旅行の絵日記がよほど気に入っていたのか、ていねいにカバーを作って保管していてくれました。おかげで、55年も経った今も、褪せることなく鮮明な色を目の前で観ることができます。

1953年に改築した久我山の家は当時のモダンリビングスタイルの和風住宅でしたが、南側のガラス戸がすべて戸袋に格納できたので、開放感あふれる縁側を通して、武蔵野の雑木林をパノラマで味わうことができました。家の真中に描かれた一本の柱は当時流行した丸太の柱で、リビングとダイニングの境目であり、この柱に登っては叱られ、その後、メモ用紙や民芸品の類がぶら下がっていました。

この絵日記はこれでおしまい。10日間、連日のご愛読、ありがとうございました。

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2010年8月18日 (水)

『海へ行ったはなし』1955年の絵日記 その九

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「はまべのちかくのまつばやしのところできゃんぷのひとがあさごはんをたいていました。」

キャンプというものを初めて観たのでしょうが、お疲れ気味も頂点のようで、筆勢も荒々しく、文章にも観察眼の視点がぶっ飛んでいますね・・・。

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2010年8月17日 (火)

『海へ行ったはなし』1955年の絵日記 その八

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「きょうのあさ五じにおきてかいがんにいきました。じびきあみをやっていました。それからひのでをみました。それからなみがいってしまうとすなのところにあながあいてぽこぽこいいました。それからおおきなかにもいました。」

全員帽子を被ってしまった人の姿といい、そろそろ絵日記にも疲れが出てきたようです。

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2010年8月16日 (月)

『海へ行ったはなし』1955年の絵日記 その七

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「けさちょうしからきしゃでくじゅうくりのいちのみやにいきまいした。ひるごはんをたべてからうみにいきました。かいがんにはみはりだいがありました。あおいはたがたっているときはおよいでもいいときですがあかいはたがたっているときはなみがあらいからおよいではいけないしるしです。」

遊泳可のときもあれば不可のときもあるなど・・・、海の危険を知ることもなかった東京での暮らしとは違い、九十九里海岸は外海で急に荒れることもあり、いつも見張りのレスキュー員が常駐していました。潮の流れも強いため、人力では間に合わないことも多かったのでしょうか・・・、海水浴場の沖には何艘もの和船や漁船が浮んで緊急事態に対応できるよう、スタンバイしていました。

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2010年8月15日 (日)

『海へ行ったはなし』1955年の絵日記 その六

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「ゆうがたちょうしのすいぞくかんにいきました。すいぞくかんへいったらおおきなうみがめがいました。それからむらさきうにやかぶとがにやかれいやおおきなよどかりもいました。」

水族館も此処が初めてだと思います。今のようなイリュージョン溢れる施設とは違い、ちいさな水槽の中に魚類・貝類などなの海の恩恵に浴した生物がひたすら整然とならんでいるだけのものでした。それでも、夫々の動きや表情にも相当な違いがあって、そのちょっとした動作にもユーモラスな一瞬を見出しては大きな笑いが生まれていました。じめじめした水族館は魚臭く、銚子漁港の延長のような雰囲気だったのです。

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2010年8月14日 (土)

『海へ行ったはなし』1955年の絵日記 その五

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「きょうもいぬがはまにかいすいよくにいきました。きょうはきのうとちがうところでおよぎました。うんとなみのあらいところでなみのりをしました。」

荒い波を表現するのに子供ながら苦心しているようすがうかびます。なみのりは他愛ないもので浮き輪に漂っているだけのものでしたが、大きな波が来る前に沖の方に引かれる何ともいえないスリリングな感覚を今もよく覚えています。その後、海に行く機会があれば、浮き輪に漂って海岸の海水浴客の風俗を見ているのが楽しみとなってしまい、若々しいサーフィンなどにはまったく興味をもつこともなかったのです。

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2010年8月13日 (金)

『海へ行ったはなし』1955年の絵日記 その四

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「あさごはんをたべてからおとうさんやともだちといぬがはまへかいすいよくにいきました。はまべではおうぜいのひとがすなでやまをつくったりあなをほっていました。うみではいっぱいひとがおようでいました。にゅうどうぐもがでていました。」

生まれてはじめての海水浴光景の賑やかさにびっくりしたようすが、絵に表れています。このようなカラフルな浮き輪があったかどうかはっきりと覚えていませんが、快晴で入道雲が湧いている夏の陽射しの眩しさと、ぷかぷかと浮いている長閑な波打ち際の有様が時代を感じます。ここでも帽子だらけの子供がうろうろしています。

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2010年8月12日 (木)

『海へ行ったはなし』1955年の絵日記 その三

Rimg25994 「けさぼくは五じにおきてうみのむこうにひのでをみました。すこしくもっていたからおれんじいろでした。それからさかなとりのふねがたくさんいくのをみました。きせんもみました。」

おそらく、生まれて初めての壮大なパノラマを目の前にして、感動しまくっていた光景が目にうかびます。ここでも、帽子の子供が登場しています。明け方の空が曇っていると朝日はオレンジ色に見えることは父からでも教わったのでしょうが、なかなかの探究心豊かな子供であったのですよ・・・。

因みに、波の崩れる部分が子供らしくない線とかたちをしてますが、これは銚子の友だちの家に飾ってあった犬吠崎の油絵に描かれた波が印象的で、それをそっくり真似てみたものです。

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2010年8月11日 (水)

『海へ行ったはなし』1955年の絵日記 その二

Rimg25992 「ゆうがたちょうしにつきました。ちょうしにいるともだちとすぐかいがんにいってかいをとったりしました。そしていしをおこしてもかにはとれませんでした。」

陸続きの犬吠崎灯台がすっかりデフォルメされ、沈む太陽に向かってサーチライトが回っています。また、髪の毛を描くのが面倒だったのか、あるいは帽子を被せるのが好きだったのか、子供には帽子が乗っかっています。西日に浮かび上がった岩の逆光がよく対象を捉えていて、たぶん、海から戻って記憶の失せる前に描いたと思われ、父に観られながらの簡潔ながら丁寧な絵であったのかも知れません・・・。

この夜、生まれてはじめての海の幸のご馳走を、信州育ちの父は慣れない魚介類の捌きに奮闘していた記憶があります。父は私にも捌いた魚介類を皿に盛ってくれたものの、原形をとどめないその大雑把な姿に、がっかりした記憶が鮮明です。

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2010年8月10日 (火)

『海へ行ったはなし』1955年の絵日記 その一

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「8月10日にぼくはおとうさんとふたりでりょうごくからきしゃにのってちょうしにいきました。きしゃはうんとこんでいました。」

生まれて初めての海に出かけた小学校2年生の夏の絵日記の冒頭の表紙です。父がきちんと整理していた段ボール箱から、55年ぶりにその当時のようすが鮮明なほど、退色せずに出てきました。父は私の子供時代の絵をほぼ全部きちんと保管してくれ、その中でもお気に入りのものは更にていねいに包装してありました。

この『うみへいったはなし』の絵日記は、久我山の住まいの隣に住んでいた芦野さんご一家の計らいで、父と二人で旅行した記録です。見るもの全てが目新しかったのか、絵にもその感動のようなものが表れています。

今日から8月19日まで毎日連載です。

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2010年8月 9日 (月)

夏休み絵日記・1955

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「8月9日。きょうぼくとおとうさんがおひるのごはんをたべていたらおにやんまがアトリエのなかにはいってきました。それからぼくがあみをもっていったらおとうさんがまどのたかいところにのぼっておにやんまをとりました。おわり。」

昭和30年頃から、父は出版の編纂業務に以前にもまして多くの時間をとられるようになり、数社の日本文学全集企画に関わることとなり、家のスペースの半分を占める北側のアトリエは絵を描く場というより、出版社から毎日届く原稿添削や写真資料の編集などなどで、紙資料が高く積まれ、小説家の執筆の場といった様相を呈していました。

夏は暑く、北側のアトリエの窓を全開にすると神田川の崖一帯に並ぶ樹木に生息する強烈な蝉の唸るような泣き声が一層うるさく、井の頭線の往来する音など全く聞こえないという凄さでしたが、慣れてしまうとさほどでなく、天候のせいでぴったりと蝉の声が聞こえないとその静寂感の方が却って、不気味でありました。

尚、明日10日から19日まで、父と行った初めての夏の旅行の絵日記がブログ連載となります。この絵日記は小学校の夏の宿題でもあったので、絵も活き活きとしていて、父が今日まで保管してくれていたことを、あり難く思っています。

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2010年8月 8日 (日)

1956年8月8日 夏休み日記より

Rimg26011 『きょうのおひるこんちゅうさいしゅうにおとうさんとともだちふたりでじょうすいのほうへいきました。はたけにはとまとやきゅうりやかぼちゃやいもがありました。はんぶんいったらとかげがいました。それからおとうさんがぼうでとかげのしっぽをたたいたらしぽがきれてぴくぴくうごいていました。それからぼくたちがづんづんいったらしじみちょうをとりました。それからあげはやしおからとんぼやせみをとりました。はちをとったらおとうさんがゆびをさされました。おわり』(原文)

昭和31年、まだまだカントリーフレーバー真っ只中だった井の頭線・久我山二丁目界隈です。この畑も今では立派な分譲地となってしまっているでしょうが、半世紀以上前は昆虫の宝庫であったことがわかります。岩崎通信機の工場の先には富士山も望むことが出来、真っ赤な夕陽が落ちていく様子が手に取るようでもあったのです。

なお、この一連の絵日記は父の遺していった葛篭箱からでてきたものです。すっかり忘れていた当時の杉並区・久我山での長閑な日記を見ていると、生活に薫り・香り・臭いが混然一体としていた雰囲気が蘇ります。

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2010年8月 7日 (土)

軽井沢 1931年

1931b08 地球温暖化の影響なのか、日本全国同様、最近の軽井沢は以前にもまして、蒸し暑くなったり、猿・熊は餌を欲しさに、別荘地区に出没したりと、夏の話題にはこと欠きません。高速道路・新幹線の恩恵によって、東京から90分もあれば到着する利便性もあって、東京で働くタフなサラリーマンのごく一部は、ここを生活拠点にしているようです。

さて、1931年(昭和6年)http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1931.html  の軽井沢銀座の様子です。避暑の別荘族と地元の皆さんが溶け合っている写真で、軍部が群雄割拠しだした様子などは微塵もありませんが、政財界のやや左翼志向の方の住い界隈には、この場所に相応しくない姿の特高とよばれる諸氏が、うろうろしていたようであります。

この時代、軽井沢外交と呼ばれる夏の政財官の夏の集まりでは、右翼系から左翼系まで呉越同舟、今後の日本の在りようから教育方針に至るまで、仔細にネゴシエーションしていた・・・という話を聞きましたが、この集まりを良しとしない統制派軍部にとっては、神経を逆撫でされるような不愉快な場所でもあったのです。

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2010年8月 6日 (金)

夏休み絵日記・1955

Rimg26005 「8月5日。うちのかきのきのところにいぬのこやがあります。まいにちあついからいぬがこやにはいらないのでくもがすをつくってしまいました。それからいぬはたろうというなまえです。そとにばっかりでています。きょうおおきなほねをどっかからもってきました。ことしはざくろもなつめもかきもいっぱいみがなりそうです。おわり。」

長閑すぎるほどのこの周辺で、一番北側奥にあった久我山の家は、一般車など来ることなどなく、犬も自由に放し飼いで、狂犬病の処置などどうしていたのか記憶にありませんが、まったくのカントリーライフの有様でした。犬好きの父は太郎という雑種の日本犬を可愛がっていて、たまに、私の登校にも久我山駅まで一緒に連れて行きましたが、リードなどせずに、自由に歩かせていました。途中にあった太田宇之助邸にはスコッチテリアが数匹、やはり放し飼いになっていて、この犬と太郎は仲良しでしたから、太田邸の玄関先で遊びはじめるとどんどんとと太田邸の庭先まで行ってしまい、そうなれば私も待っているわけにいかず、一人で久我山駅に向かって駆け足で途中の雑木林の中をショートカットして、距離を稼いで行きました。

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2010年8月 5日 (木)

1963 自転車部に向けた合宿

19634 1963年夏の自転車部昇格に向けた合宿は、事前に何回かの模擬合宿をしたものの、想像以上な山谷のアップダウンは本番の合宿でいやというほど味わうこととなりました。特にタンデムを操る中村隆治監督と写真・機械担当の佐々山厚さんhttp://www.geocities.jp/aysasayama/は、舗装のない道をこのように押しながら進んでいったのです。この写真は私が撮ったものですが、急勾配の感じがお分かりかと思います。

このタンデムは合宿中、何度かパンクし、その都度、部員は休憩となりましたから、当人等は修理でたいへんでしたが、メンバーは一服できる嬉しさを密かに味わっていたことも確かです。

当時、未舗装の道路比率はかなり高く、頻繁にかっ飛ばすダンプや、たまに通る自動車の巻き上げる埃が体中を被い、帽子と手拭いは必須アイテムでしたが、それでも、露出している部分はガサガサになっていました。水筒の水も乾ききった喉を潤す前に、うがいで大半を使う有様でした。(終わり)

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2010年8月 4日 (水)

愉しみは昼飯。1963 自転車合宿

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196301 撮影:佐々山 厚 データ日誌:佐々山 厚

1963年の自転車合宿では、穂保国雄先輩から参加者全員が役割分担を指示されましたが、食事担当の岩田君ほど大変な仕事はなかったのです。一応、合宿前に昼食のメニューを考えたものの、現場ではそう簡単に調達さえ出来ず、今のようなコンビニも在るわけなく、群馬県では町役場傍に張り付いているマーケットに、敷島パンかヤマザキパンがあれば上出来だったのです。8月3日スタートという夏真っ盛りで、食中毒さえ意識せざるをえない中、全員元気な16歳ということもあり、「多少の痛み具合の食品なら食ってしまえ」という時代感覚もあって、無事、何ごとも起こらず、合宿は終りました。

それでも、この写真は合宿二日目、吾妻街道から入った森の中で昼食模様ですが、前日買い置きしておいたコッペパンがカチカチに固く、水を浸しながらのトホホな昼食です。岩田君はほぼ全員から食材管理について厳しいお達しを受け、左手前で反省しつつ、静かに固いコッペパンを味わっています。その右にいる私は、「食えればよい」タイプでしたが、この夏に直した虫歯の治療も途中であったため、慎重にゆっくりと、噛み締めています。それでも、吾妻界隈で買ったキュウリやトマトはよく冷えていて、カンカン照りに干された体を冷ましてくれました。

この食事後14時45分に此処をスタート、ところが、距離22kmを時速5,6kmという厳しい上りが待っているとは誰も思っていなかったのです。目的地の高峰高原へはまだまだ遠く、夜遅くなるとの判断から予定を急遽変更、上州三原着が18時40分という、山中真っ暗闇の中で到着というトホホ・ヘトヘトの、合宿中一番の強行軍の日でありました。(明日に続く)

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2010年8月 3日 (火)

ひたすら涼をとる。1963 自転車合宿

19632 撮影:佐々山 厚 データ日誌:佐々山 厚

むせかえるような暑さと未舗装の道路で土埃を吸い込み、呼吸もしんどくバテ気味なのは、間違いなく中村光一さんです。8月4日が実質的な合宿スタートでしたが、吾妻街道の路面は舗装が完成した箇所と未舗装箇所が交互に訪れるような状況で、ただでさえ、座り心地の悪いサドルから突き上げるような振動は尾骶骨から脳天まで達し、休憩してもその残響は続くのでした。この劣悪な状況下、時速10キロにも満たない中、伊香保から上州三原まで56キロを、10時間かけて走るのでした。

196301吾妻川の涼を味わっている中村さんはスキーの名手で、この合宿も自転車というよりか、夏のスキートレーニングの一環として考えていられたので、けっこう参っている様子がありありです。メンバーの中では飛びぬけて背が高く、脚も長いので、後輪泥除けに振り子になっているバッグに脚のふくろはぎが当たり、それがストレスとなって、休憩しているのかも知れません。ハードな道路状況は写真でお分かりでしょうが、ここをダンプカーが真っ白な土埃の煙をあげ疾走してくるのです。おまけに道路は平面など見られず、タイヤが滑って転倒するのも当然なありさま。

全員が高校生になった年の夏ですから、見るもの・聞くこと、想定をはるか越えた、ハードな合宿のスタート日でありました。とくに、昼食のコッペパンの固さは、想定外なできごとで、午後の厳しいツーリングを「頑張ろう」というモチベーションが、しな垂れてしまったのであります。

ついでですが、この写真、7月30日のブログ、フランクパターソンさんのイラストレーションにそっくりでもあります。

(明日に続く)

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2010年8月 2日 (月)

早朝からフル回転

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プレーするも地獄、観る側も地獄・・・、早朝から30度を越すような陽射しの多摩川堤の川崎市営・野球グラウンドでは、抽選で運悪く、朝一番のくじを引いたチームが6時半過ぎから試合をしていました。日曜日は毎週このようなラッシュ状態が続いているそうですから、まだまだ野球人気の底力は侮れません。時おり、早朝の爽やかな川風が通ると、既にほてりきった首回りもスッキリしますが、今年の暑さは想定外の強烈なものです。試合中には、グラウンドが乾ききってしまうので、水巻きを頻繁にしているものの、ほとんど役立たずといった按配です。また、早朝ですから、応援団など居ないも同然ですが、地元の野球好きの皆さんが、朝日に向かって、ジーッと静かに観戦していました。

この日も、8時前には家に戻りましたが、暑さのためか、チェーンオイルの劣化が早いのに気付き、ほとばしる汗と格闘しつつ、チェーン・ディリラー・ブレーキなどのメインテナンスをして、シャワーのあとひんやりスプレーを体にかけ、爽快な気分で朝食となりました。

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2010年8月 1日 (日)

夏休み絵日記・1955

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「8月1日。きょうのゆうがたとなりのうちにあそびにいきました。そしてともだちとぼくとでふねをつくりました。やっとできたからしたのかわでふねをうかべました。はじめはぼくがやりました。ぼくがうかばせたらスピードがでました。おわり。」

家の北側の急斜面の崖に沿ったうねうねした坂を下ると、二本の丸太を荒縄で縛り付けただけの渡るだけでも怖い橋があって、恐る恐る渡ると、そこは一面の田圃でした。神田川が作られた江戸時代とまったくかわらない土手はいつも滑りやすく、脚を広げ、腰を落としていないと、ひょんな拍子で足元をすくわれ、神田川にまっさかさま・・・、だったのです。それでも、今日のような過剰な安全性重視の柵などなく、住民のマナーとモラルに任せていたおかげで、美しい景観は人工物など一切無く、子供心にも、その環境を謳歌できる豊かさを感じていました。この田圃の北側をさらに進むと、井の頭線のオイルステインの臭いも強烈ながら並びの美しい枕木に乗った線路があって、カタカタと長閑な電車の音がそこから伝わってきました。

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