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2010年9月30日 (木)

引き算の美!。

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スポーツ自転車の愛好者がうなぎ上りであることは、都心を自転車で走っていて実感するばかりですが、皆さんの走行マナーの悪さも相当な状態なのであります。並べて周囲への気配り・ジャージ姿のダササ・・・などなども。

道交法により自転車も車両であるという概念を免許書換講習でもみっちり植えつけられるものの、まだまだ、自転車は人間の延長であるという感覚を払拭できず、いたるところで、事故が多発しています。自転車本体も新素材ラッシュでカーボンフレームなどはもう当たり前、油圧ブレーキのシルキータッチを知ってしまえば、自転車という世界がとてつもなく進化していることに驚きます。しかし、ママチャリに横側からぶつけられれば、カーボンなどひとたまりも無くクラッシュ同然。泣くに泣けない現実が頻繁のようですから、ロード系の方々は、なるべく人・自動車と会わない時間帯・道路のセレクションが必須科目となってまいりました。

このようにエスカレートしていく自転車界にあって、先日二子玉川ガーデンアイランドで、道具としてのエンスー度を高めているモールトンの神々しい姿に見とれてしまいました。先ずは、みごとなまでのシンプリシティ(決してシンプルではありません!)な構造美と素材編成美。モールトンを語らせたら子供のように輝きだす秋山東一さん http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/002766.html によれば、「モールトンに乗ると前輪をはじめ自転車部品が視界から消え、まさに空中遊泳してるかのような不思議な感覚に浸れるのだ・・・」と仰っています。

私もスピードに任せて都心の疾走に躍起になることからそろそろ脱却し、渋くて鋭いモールトン一派に合流するときが迫ってきた気配です。

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2010年9月29日 (水)

1904 気球からの眺望 新橋から虎ノ門・霞ヶ関

1904 写真:明治・大正・昭和東京写真大集成

1904年(明治37年)、築地の海軍大学校から飛ばした気球で撮影した日本初の航空写真です。四枚の写真の中、新橋ステーションから左奥の愛宕山がみごとな展望です。海を航行する船が位置の目安とした化銀杏(ばけいちょう)が愛宕山の手前に天に向っています。右の外堀の先、黒く囲まれた地域は、有栖川宮邸・九鬼隆一郎男爵邸・帝室林野管理局・東京女学館・露国公使館・伊国公使館で、現在の文部科学省・財務省・霞ヶ関ビルのある場所です。

ただひたすら観るだけでも、明治時代の東京の美しさが分かります。

明治37年6月には帝国陸軍が日露戦争で旅順偵察に気球を使ったことを知り、ライバル意識むき出しで遅れてはなるまいとばかり、海軍も気球偵察の訓練として、東京都心を撮影したのかもしれません。軍事目的の手段として気球が活躍したとはいえ、遺された資料として、面白い読み方も出来る訳で、今となってはありがたい話です。

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2010年9月28日 (火)

1967 スイス ビラースキー場

3c1967 日本でもようやくスキー人口が爆発しはじめた1967年に、運よく、カースポーツ雑誌の取材に絡み、ジュネーブオートショーとミラノスポーツ見本市をかねたヨーロッパ旅行に潜りこむこととなり、一番年下ということもあって、毎日が使い走りとミシェラン地図を睨んでのナビゲーター役で、ゆっくりと景色を堪能できると思っていた私は、へとへとの毎日でありました。

辻まことさん直伝の山スキー、KSGというスキーグループへの参加など、このヨーロッパに行く前から、スキーには親しんでいましたから、本場でのスキーはどんなものなのか、興味津々でありましたが、目の前にすると、日本との違いに歴然としたのであります。

先ずは、スキー場にキャブリオレのスポーツカーが多く走っていたことです。その優雅でカジュアルな生活エンジョイセンスなど、日本のハイソ・スキー場(岩原・赤倉・志賀の一部)でも殆ど見かけない世界でしたし、スキー以外の楽しみの場所もきちんと整っていて、ショッピングのゾーンには名だたるブランドショップがウインター・リゾートに焦点を絞った商品展開をしていました。温泉地を中心に、地元の実力者が仕切っていた日本のスキー場とあまりの違いに、ただただ遠くの鋭く美しい山並みを観ているのみでありました。

このビラースキー場には、アルピニスト・クライマー・ガイド自身が経営する店も多くあり、シモンのピッケル、ミレーのアタックザックなど、山の道具でありながらもその神々しい美しさに見とれ、今から思えば「買っておけばよかった」逸品ぞろいの店が、軒を並べていました。

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2010年9月27日 (月)

同級生のクロッキー 1956年

1956502 1956年、小学校三年生の絵の授業ではクロッキーを多く描いていました。この時代はマジックインクで絵を描くのが小学生にも大流行でしたが、あの強烈な臭いとは長く付き合うわけにもいかず、途中で休憩しながら、アンモニアのような臭いでもうろうとした頭を冷やしながらの格闘でありました。

先生がこのクロッキーを指導するようになったのには、マジックインクの臭いも一因だったのかも知れませんが、一本の筆記具で勢いよく描くスピードが自分に向いていたのか、私も、クロッキーの表現の方がさっぱりしていて、大のお気に入りでありました。

この絵は同級生の箭本敏之君を描いたものです。なぜか、左腕の位置とスケールが不自然ですが、これは先生のご指導によって修整したのかも知れません。また、のびのびした線で勢いのある仕上げになっているのは、この頃から、野球に目覚め、ピッチャーを目指し家に帰ると直ぐ父とキャッチボールをしていた影響かも知れません。

永い間、この頃の絵を一枚一枚重ねてしまい込んであったので、他のマジックインクの風景画の色が染み付いてしまったようですが、却って自然の成り行きの偶然効果が生まれていました。

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2010年9月26日 (日)

1913 四谷見附橋 渡り初め

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1913年(大正2年)、9月の記念絵葉書です。四谷見附橋の渡り初め光景ですが、この芸者衆はどちらの皆さんでしょうか。推測に過ぎませんが、四谷芸者など聞いたことありませんし、近場であれば荒木町か、又は、一大勢力の赤坂芸者衆、もしくは神楽坂芸者衆かも知れません。いずれにせよ、この時代の土木工事の近代化に伴い、東京は橋梁インフラ整備に拍車がかかっていましたから、式典につきものの華として皆さん大忙しといったところです。今のように、イベント企画会社が全国一律、金太郎飴のような式典を仕切るのでなく、地元の名士を含め、本当に参加した全員が慶んでいる空気が伝わります。

なによりも、近代化する都市整備とは裏腹な、ニッポンのクラシックが生きていたことが嬉しいですね。フロックコートにシルクハットの御仁と紋付袴とのコンビ組合せなど、これはニッポンが生み出した和洋一体の傑作ですね。

戦前の記録写真を観ていると、紋付袴にシルクハットは似合わないと思ったのか、代って、山高帽かパナマ帽の着帽が様々な式典の風俗に多く観られ、己のカタチに試行錯誤している男の姿が微笑ましくもあります。

さて、四谷見附橋の装飾的構造と照明計画が赤坂離宮とのパースペクティブを考慮した上での総合的意匠の一環であったことを知り、自転車で帰路につく際、現在のJR四谷駅舎を含め、駅周辺の意匠のお粗末さを感じざるを得ないのであります。さらに、オリジナルの四谷見附橋が八王子長池公園に現存していることさえ知りませんでした。3

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2010年9月25日 (土)

和風モダンの魁スタイル

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個人住宅もずいぶん個性的なスタイリングが増えたものの、どうも周囲の環境とミスマッチな建物が多い気がして、自転車で銀輪徘走していても、ぐっとくる物件に出くわすことは無いのに等しいような状況です。構造・建材・どれをとっても進化しているものの、落ち着きのないその姿は、高い買物だけに、転売などでは想像していた以上に安く見積もられるようですから、新車を購入するのと同じ感覚で、住宅を購入することなど、ご法度なのであります。

さて、世田谷区等々力7丁目のこの佇まいは、周辺が新しい住宅に変っていく中、相当長い間、時代の世俗の移り変わりを見据えていた風格があります。遅くとも、昭和30年代中頃には完成していたと思われるこの時代独特の木造躯体と白いサッシが、高度成長期に入る頃の東宝映画に出てきそうな、明るくカジュアルなモダンライフスタイルを象徴しているようで、今も新鮮です。東京の郊外では、ブロック塀が大流行していた時代にも関わらず、頑として大谷石に拘った施主の守旧的感覚もあっぱれな一軒です。

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2010年9月24日 (金)

広重の様式美。

Photo 諸国観光振興のお抱え絵師として江戸時代末期の旅人に絶大な人気だった東海道シリーズとは作風の異なる一枚ですが、これも人気シリーズ・富嶽三十六景の中から、山梨県大月から望む富士山です。

今も、中央高速を諏訪湖方面に向かい、河口湖方面との分岐に差し掛かると、快晴・無風であれば左手から姿の良い富士山が観えます。この絵ほどではないものの、北側方向から望む富士山は南側から観るときより、立ち上がっていて、日のかげる頃、この姿を観るとドキッとさせられるほど、不気味な感じをうけるときがあります。

さて、ずいぶんと花鳥風月の様式美そのままというか、京都の友禅絵師の下絵のような、広重らしからぬ風雅な画趣ですが、秋の寂しさがひたひたと忍び寄ってきそうな気配が、単純な技法ながら伝わってきます。

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2010年9月23日 (木)

秋は一気に!。

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明日から一気に気温が7度ほど下がり、秋の薫りが運ばれてくるという天気予報ですが、今朝〈22日)は、お昼頃からの猛暑が予想される陽射しでありました。

多摩川堤も例年ですとお彼岸ぴったりに咲き乱れる彼岸花さえ僅かに確認出来る程度と・・・、この夏の異常さがわかります。

それでも、ようやくススキの穂も出始め、秋の季節を運び出しましたし、かすかに香ってくる秋の草木の香りは、自転車徘走の最高時季が間近に迫っていることを伝えてくれます。8月から9月は暑さのため、早朝から2時間程度で切り上げる日々でしたし、暑さで干しあがった体に冷たいサイダーなどを流し込んでいたのが影響したのか、夏痩せならぬ、夏太り状態となってしまい、体のキレがどうも緩慢であります。食事は夜をほどほどにして、昼食をしっかり摂ることとし、秋の都心ヒルクライムに向け万全の対策を準備することを、自分に誓いました。

さて、この夏は多摩川でも水筒など持たずにランニングしている中高年の多いことに気付きました。この世代は若い頃、水分補給は体を疲れさせるだけという先輩等の指導を純粋に受け取り、今もその頃の刷り込みが効いているのでしょうか。観ていてハラハラする方々の多かった季節でありました。

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2010年9月22日 (水)

Davy Crockett FIRE KING

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こういうものを、キャラクター・グッズと呼ぶのでしょうが、何処でも見かけるコミック・キャラならいざ知らず、Davy Crockettキャラクターですし、お値段も手の届く範囲ということで、またもや、寝ていた物欲魂が起きてしまいました。

秋めいてきた今日この頃、自転車トレーニングを終え、冷え切ったお腹を温めるには、ホカホカのホウレンソウスープや、ココアなどがこの時期ですとピッタリですから、Fire Kingのオーブン食器に容れて、懐かしのカントリーミュージックを聴きながらの一服は、贅沢ではありませんが豊かなひとときであります。

このFire Kingは、今もコレクターが血眼になって追いかけるアメリカンガゼットのキングですが、その皆さんのお目当ては、1940~50年代の美しいカラーの施されたシンプルなキッチンウエアとしてのそれですから、このようなキャラクターものには目もくれないようです。http://www.avocado-cafe.com/

同世代にはあの懐メロを・・・。50'オールデイズ、サザンロック風、デヴィー・クロケット俳優のフェエス・パーカーさんの歌と、夫々けっこうですね・・・。http://www.youtube.com/watch?v=z94ldk8LB8k&feature=related http://www.youtube.com/watch?v=gLNmvaACJno http://www.youtube.com/watch?v=0jxJLTs-iUM&feature=related

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2010年9月21日 (火)

BlueGrass Musicの時季がやって来た。

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Rimg31613季節も一気に秋めいてきて、自転車で走っていても、過ぎる風は一週間前とは大違いでキリリと身も締まり、光の輝きもコントラストが穏やかになりました。

ブルーグラス音楽が最も心地よく感じるこの時季は、新しいセンスのものより、オーセンティックな旋律を求める指向が強いのですが、You Tubeで検索していると、チェコのバンド『RELIEF』http://www.youtube.com/watch?v=kHTiw7jFcsc&feature=related が懐かしい曲をプラハのライブハウス http://www.balbinka.cz/ でブラッシュアップして聴かせてくれます。バンジョーマンはアドリブをこなしながらリードヴォーカルを、ウッドベースマンはビートを紡ぎながらコーラスに参加するなど、神業を披露してくれますし、リズムがやはりチェコ風というか独特なシンコペーションです。

方や、巨星のお二人、Mac WisemanとLester Flatt http://www.youtube.com/watch?v=h5BSg9x9T9I&feature=related の安定した歌いっぷりとアンクルジョッシュのドブロも心地よいですね・・・。1970年代中頃の映像でしょうが、ブルーグラス界のビデオとしては、きれいな画面です。

新旧の感性差はありますが、こうして次世代に繋がっていくブルーグラスの魅力は、今や、全地球規模に行き渡りはじめたようです。

We'll Meet Again Sweetheart

The time has come to say goodbye
I'm asking you to please don't cry
The time to me won't be so long
To know you're happy back at home

Someday we'll meet again sweetheart
We'll meet and never more to part
Someday we'll meet again sweetheart
Don't cry, so please don't break my heart


So goodbye now, don't be blue
Try to be happy and be true
And remember what I say
Sweetheart we'll meet again someday

Oh sweetheart I'm leaving now
Yes I'll soon be on my way
Each night upon my knees I pray
Sweetheart we'll meet again someday

Bluebird Singing For Me

There was a girl I loved so dearly
She lived away back in the hills
When the bluebird sings, I miss my darling
She loved me I know, she always will

   There's a bluebird singing (there's a bluebird singing)
   In the Blue Ridge mountains (in the Blue Ridge mountains)
   It's calling me back to my home
   Oh, I can hear (Oh I can hear)
   The bluebirds calling (the bluebirds calling)
   Calling me back to my home

Now tonight I'm far from the blue ridge mountains
Far from my home back in the hills
But I'm going back to the blue ridge mountains
These memories they haunt me still

When I reached home I was so lonely
The one I loved had gone away
That bad news came from her mother
She's sleeping there beneath the clay

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2010年9月20日 (月)

1947年頃・京橋

Photo 日曜日のまだ薄暗い早朝、新橋から日本橋、そして神田に至る中央通りを自転車で駆け抜けるのは、車も殆どなく開放的ですから、病みつきになってしまいます。今夏の猛暑はせいぜい7時半までの帰宅が気温がらみからして、限界でしたが、ようやくのんびりと徘走する楽しみの時季がやって来ました。

中央通沿い、京橋の第一生命相互館も壊され、向いのビルも更地となり、ちょっと離れた千代田生命ビルも消え・・・あっという間に再開発の高層ビルが立ち並び、間もなく此処が何処なのかも分からないような、合理的工法のビルばかりになってしまうのでしょうか・・・。それでも、明治屋のビルだけが、取り残されたように風格のある姿を丸見えにしていますから、ここ暫くは開放感のある京橋が味わえます。ちょっと裏手に回ると、京橋は小さな洋食屋さん・絶品な天婦羅屋さんから、正統的骨董屋さんなどきちんとした佇まいを護ってくれています。

さて、この写真もGHQのカメラマンによる戦後間もない頃の京橋で、現在のブリジストンビル辺りから、銀座に向かって撮影したスナップです。左手の露店は神田祭りの関係か、それとも、この時代はまだまだ露天商がアメリカの品々を高額で商っていた頃で、千代田生命の奥に見える明治屋もGHQに接収され、OSS(海外供給物資販売所)となってましたから、明治屋で購入した兵隊たちが挙ってこのヨシズ張りの店のオヤジとツーカーになっていた、などという横流しの噂も立っておかしくないスナップです。

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2010年9月19日 (日)

駒沢の胡麻おはぎ。

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お彼岸が近づくと売上が急上昇するのもご尤もなおはぎですが、最近は新ネタのようなまぶし材料が増え、一発狙いを目論んでいる和菓子屋さんも多い雰囲気があります。

和菓子の中で季節感もなく、地味すぎる姿のおはぎですから、堂々たる平凡を求め、ひたすら、小豆の品質と甘さに完璧を目指す以外、そして厳選したお米を使うこと以外、余計なことをしないで欲しいと思うのが本音であります。そして、一番大事なのは何といってもそのプロポーションであります。

玉川通り(青山通りの延長)を渋谷から二子玉川に向かうと、駒沢公園通りとの交差点が「駒沢」の信号です。ここを左折するとすぐ左手にある『飯嶋屋』 http://www.wagashi.or.jp/tokyo/shop/2209.htm は、この場所で1930年から80年に亘り、地道に地元密着型で信用を得ている大丈夫なお店です。私は、自転車で都心から帰る途中、ときどき立ち寄っては「お茶うけ」を買い求めます。胡麻をまぶしたおはぎは老舗の旦那も仰天するほどの美味しさではないかと独り合点してますが、味もさることながら、姿かたちも上品で、その程よいボリューム感が何の変哲もない皿に載せても、ぴしっと決まるのです。

町の小さなお店が、きちんとものづくりしているのは嬉しいことで、ちょっと自慢できる些細なことですが、やはり町の基本は「名物・名人・名所」が三役揃い踏みしていることなのですね・・・。

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2010年9月18日 (土)

二分した人気。昭和の野球人

Img_580153_33595969_11 18日からの巨人・阪神戦はセリーグの混戦が引きずっていて盛り上がること間違いなしですが・・・、私、今では観るばかりですが小学校・中学校と、ほぼ毎日が野球三昧の時期がありました。

左利きということ、父が文化系の人間ながら私に野球をすることを勧め、ほぼ毎日の庭のキャッチボールとノックに見舞われたことで・・・、昭和32年、小学校4年生のとき校内野球大会でピッチャーということになりました。その頃、世間の人気チームは巨人と阪神が飛びぬけていて(今も変りませんが)、学園内もこの二派に分かれ、相手を中傷すれば口論となり、子供ながら野球となるとキレる者も少なくなかったのです。

看板選手の川上哲治http://sohske.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_c64f.html・田宮謙次郎の二人は周りの選手とは野球に対する哲学・技術が違うように見え、老け気味の風貌でありながら敏捷な動きをするという落差の意外性からか、「カッコヨカッタ」のです。

当時、強そうに見えた阪神のストライプユニフォームを真似した少年野球チームが多かったなか、私のチームは真っ白で弱弱しく感じ、武蔵野少年野球大会での対外試合では、ひけを感じたりしました。

そのユニフォームは厚手の綿でできた柔道着同様、すぐ洗濯しないとカビだらけとなってしまいましたから、母などは、ユニフォームの洗濯に手間がかかることを嫌がってましたが、父があおって始めた野球ということもあって、きちんと洗濯してくれました。乾くとゴワゴワの触感で、襟などは擦れて痛く、夏場はそこに汗が滲みこみジリジリと焼けるなど、耐えるのも修業でありました。又、下に着る素材も濃紺の綿素材で、汗を吸い取る素材といえども通気性など皆無でしたから、夏の暑さで上半身は蒸される状態でした。

このユニフォームを着た夏の練習では、外野のフライを取り、すぐ内野に返球する練習もしたものの、暑さで目眩がしてフライの行方を見失うなど、当時から根性無しの軟弱でありました。練習場の木陰には母たちがお世話係りとして見てましたが、作ってくれるハッカ液の入った氷水が、大きなアルマイトのやかんから沸騰しそうな体内に入っていくと急冷し、全身シャキッとしたことを覚えています。

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2010年9月17日 (金)

薔薇の香りに吸い寄せられ。

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Rimg31562 秋めいてきたとはいえ、まだまだ続きそうな暑さのなかで薔薇の香りが漂ってくるとは、涼を求めに来たこちらとしては、思いがけない鉢合わせです。

先週自転車で皇居周回を楽しんだ後、この暑さの故、慣例である本郷通りに向う気にもなれず、なるべく近場で何処か一服場所は無いかと思うものの、平将門塚は涼しさは保証されるものの、霊力を戴くには格好に失礼があると思い、丸の内界隈に流れました。各店舗が開店前の時間帯で空いていて気持ちよく、雲の切れ目から朝日も舞い降りてきます。ここは朝から犬連れの方々も多く、イギリス系から日本系まで、クラシックな犬種が多いのも特徴で、せわしなく動き回るタイプの犬の少ないことが私の好みに向いています。その昔、倫敦一丁と呼ばれていたこの界隈も一度壊した物件を復活させて、美術館にするなど、流石、大三菱の決断はスケールが違います。

周辺の丸の内中央通りは、どの店も開店し始める11時でさえ閑散としていて、自転車徘走の独壇場でありました。

薔薇にまつわる曲というと、この程度しか思い浮かびません。シャンソン・アメリカントラディショナル・オールディズ・カントリー・ブルーグラス・アイリッシュから・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=rKgcKYTStMc&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=xoPQqPJ7fbQ 

http://www.youtube.com/watch?v=S-5ZUpE8PMw

http://www.youtube.com/watch?v=U6htqG94DEk

http://www.youtube.com/watch?v=VQb21PJxD-g&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=yvS8KkzKTjQ&feature=related

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2010年9月16日 (木)

安曇野の小道

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欝蒼とした原生森を好む人もあれば、木漏れ日の差し込む優しい小道を好む人もいるなど・・・、自然環境もお好みが夫々で、独り散策ならば気遣いないのですが、集団ともなると、チームリーダーは趣味の公平さまでを考え、行く先々の景観を配慮しないと、帰りのバスでつるし上げられる・・・、といったことを、その昔、小耳にはさんで以来、私は、趣味の世界では他人の干渉が及ばない独り遊びが出来るものを選んできました。

その結果、独りで楽しむ快適さと自由さが意外と自分を豊かにしていく基礎であると気付き、今も専ら、独りでウロウロ・キョロキョロしているわけです。

先日、安曇野にでかけましたが、朝の空気はすっかり秋の薫りを運んでいるものの、まだまだ暑い日差しが額に焼き付きます。有明地区のちょっと奥に入った雑木林に入り、風に揺れる葉の音、鳥の声などを聴いていると、一時流行した環境音楽というジャンルが頭を過ぎりました。鳥の声、川のせせらぎ、などを何の作意も無く録音しただけのものですが、一時は町の喫茶店からホテルのBGMまで使われていました。http://www.youtube.com/watch?v=avvmc3klWlg&feature=related

奥に向う小道は人の歩いた形跡もなく、雨ともなればここはかわいい流れとなる様子ですが、木漏れ日との相性もみごとでありました。

『ヒマラヤよりウラヤマ』の魅力を説いた辻まことhttp://sohske.cocolog-nifty.com/blog/cat3555433/index.html が今にも現われそうな、普通の雑木林でした。ここも10月中頃には紅葉が彩る世界となります。

さて、『小道』をテーマにしたブルーグラスと言えばこの曲。原曲を尊びながら、新しい感性も夫々違っていて、これもブルーグラスが進化し続けるする要因です。

http://www.youtube.com/watch?v=RzmVO64yGW4

http://www.youtube.com/watch?v=nPNPZn2DAU0

http://www.youtube.com/watch?v=mzXA9pCYXBk

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2010年9月15日 (水)

社会構図の象徴か・・・。

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写真(下)・鈴木芳雄

パリのヴェルサイユ宮殿に、突然現われたカワイイ世界。

世界中から一生に一度やっとの思いで訪れ、バロックの象徴に浸りたいと思っていた守旧派観光客にとっては、不愉快千万、クールジャパンキャラが宮殿を覆ってしまったのですから、抗議・反対などが起こるのも当然であるものの・・・、これはすべて、作者・村上隆にとって織り込み済み・予定調和のことに違いないのです。

異種混合・バロックとポップとのバトル・・・・などなど、二律背反の世界がヴェルサイユ宮殿で合体してしまうと、視覚攪乱・文化衝突・ハイエンドの新旧交代・・・などなど、マスコミ評価の幅も広く、まさに社会構図・風俗評論の凝縮が、このできごとを一層かき混ぜすぎといえるほど、まとまらないな方向に向かわせています。

既成秩序の破壊・反体制の意思・・・などなど、1920年代から勃興した美術界の一方のムーブメントの流れが行き着くところまで行き着き、ついに、ヴェルサイユ宮殿を乗っ取ったと考えれば、気楽なものですし、魁の皆さんには涙溢れるできごとなのであります。

『ポップカルチャーの旗手、オタク文化を利用してセレブに近づいた男』、などと揶揄される村上隆ですが、そろそろ、この世界で稼ぎまくった潤沢資金を若い世代を育てる以外、彼本来の技量の見せ所である、純日本画に還元する折り返し点のように思えてなりません。

自分で自分の未来をプロデュースできることなど、村上隆以外、世界のアーティストの中で、いや、世界の誰もが夢見たものの、実現などできないのですから・・・。

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2010年9月14日 (火)

巨峰らしい巨峰!。

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猛暑のおかげなのか・・・、葡萄がやたら美味しいと聞いていたものの・・・、半分疑っていたのですが・・・、これをいただいて納得でありました。

世田谷区・用賀にあるスーパーのOKは、価格の安さと良質な商品の品揃えで近隣の皆さんに信頼厚いお店ですが・・・、此処でさえ、巨峰といえども巨峰らしいボリュームに欠け、小峰と言いたくなるほどです。

先日、高校時代の自転車仲間である佐々山厚さん http://www.geocities.jp/aysasayama/ より、小諸産の立派な巨峰をいただきました。20センチx15センチほどあるボリュームは日常使っている皿では納まりきらず、ドライカレーを盛付ける皿に載せてみました。本当は大好きなイタリア・スペインの手描柄の皿がこのボリュームと対等に張り合えるデザインなのですが、欠け易い陶器製ですから、今や手元に小さめの一枚しか残っておらず、この立派な巨峰は納まらないのです。

風味絶佳とはこのことを言うのでしょうか。酸味・甘味のバランスも素晴らしく、果肉の厚みもふくめ、大満足でした。

なお、佐々山さんは、ご夫妻でウイーンからプラハ経由、ベルリンまでの自転車ツーリングを楽しむため、14日に日本を発ちます。

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2010年9月13日 (月)

秋はいつから・・・。

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写真:東京新聞

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皇居一周は凡そ、5キロ。今朝は爽快な秋の風の中とはいえまだ暑いなか、早朝から多くのランナーが走っていますし、他府県からバスを貸切でツアーするグループも多く、自転車で走っていても突然、行先案内を求められるなど、俄かに全国ランナーの聖地となった感があります。

先週日曜日の東京新聞に皇居の俯瞰写真が掲載されました。この連載は不定期なのですが、東京新聞らしい企画で密かな人気です。

ランナー、ロードレーサーはどちらも地面に這うような目線で周囲の状況を観察できますが、環境全体を把握するわけにもいかず、この写真を観て、つくづく、皇居の自然環境の豊かさに驚嘆します。新緑・紅葉の時季には北桔梗門から江戸城・天守閣跡に向かい、眼下の景色を展望するのは爽快感からもお奨めですし、北の丸公園の静けさも早朝ならではの賜物です。ロード用自転車では、皇居一周を速い人で10分を切り、そこそこのスピードでも15分あれば十分ですし、秋の銀杏の紅葉時季、半蔵門から桜田門までのダウンヒルは、なんといっても都心最高の快感であります。とくに早朝は陽射しが桜田濠を鏡面のように魅せ、石垣・漆喰壁とのコントラストは和意匠の典型のようにも観えます。

それにしても、千鳥が淵・平河濠・大手濠・桔梗濠・蛤濠・二重橋濠・桜田濠の水の色が猛暑のせいか濁って見えるものの、御所の池・蓮池濠は濁っておらず、自然環境のもたらす浄化作用の差が明白ですね。

猛暑の去るのを願いつつ、自転車徘走最高時季をひたすら待ち望む日々であります。

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2010年9月12日 (日)

谷啓さんの洒落っ気。

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谷啓さんが亡くなられた。

1963年の春、中学校の卒業式のあと謝恩会が開かれ、そこに登場したのが、人気絶大であったクレージーキャッツでしたから、生徒一同大仰天でありました。

まだまだ古典芸能の番組が多い時代でしたが、アメリカのエンターテインメントを勉強して帰国したNTVの井原忠高さんらによって、洒落たポピュラー音楽など定着し始めたものの、フジテレビの昼間の番組「おとなの漫画」に登場するクレージーキャッツのインパクトに匹敵するものはありませんでした。全員がコントと楽器を操り、その演奏もスタンダードジャズから童謡に及び、一人ひとりの腕前も相当なものであったので、目の前に展開するスピーディーなコントと演奏の切替に頭がついていくのも大変でした。http://www.youtube.com/watch?v=QuxF0uXvYJw 主役の植木等ファンが圧倒的だったものの、私は脇役ながらオトボケのトロンボーン担当の谷啓さんや、ハードボイルド的なベースマンの犬塚弘さんの動きと間の取り方に興味があって、それ以来今日までフアンなのであります。謝恩会では、谷啓さんのホンワカした台詞回しと、演奏同様のタイミングを外す体の動きを見逃すまいと、ひたすら見入っていました。現在もこの都会的ハニカミセンスは錆びることなく磨きがかかり、BS放送に登場しても、その洒脱な感性はまだまだ現役というより、国宝級なのであります。

谷啓さん・・・、ご冥福をお祈りいたします・・・。http://www.youtube.com/watch?v=L5YIQvWhE1I

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2010年9月11日 (土)

活き活きした線・・・。

1009 小学校・夏の学校は、低学年の頃は箱根の学園寮でした。そこは芦ノ湖に面し、寮の裏を登ると一面の草原で、はじめて見るそのスケールの広さに喜んで、毎日、走り周っていました。背丈ほどある草原は、風にうねり、その様子は海の波のようなゆっくりとしたもので、夕方になるとさらわれそうな気配もあって、不気味な感じさえありました。

その草原の奥の方に、この挿絵によく似た山荘がありました。よく映画に登場する廃屋のような人気のない建物でしたが、その姿は子供の感覚としても、荘厳なイギリスのカントリーハウス然としていたのです。冒険心の盛んな男子生徒も独りでは怖いものの、何人かで覗きに行くと扉は空いたままでしたし、立派な暖炉の使われていない姿は、主人の居ない寂しいこの建物を象徴するかのようでした。

さて、熊のプーさんの挿絵画家である、アーネスト・ハワード・シェパードさんhttp://www.asahi-net.or.jp/~KA3i-mztn/shepard.htmの線描にはいつも感心するのですが、この線も活き活きとしていて、動いているようなのです。摘み草を楽しむ二人には陽射しもさんさんとしているようですし、箱根のように襲われそうな草原のうねりもなく、恐怖心などないでしょうから、羨ましい環境であります。

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2010年9月10日 (金)

卓上に灯台が。

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連日の暑さも、朝夕は風も秋らしくなってはいるものの、まだまだ自転車を乗るにもキツイ日々です。

意を決して都心に向えども、スタートが7時近くとなると、途中で引き返したくなるほどの猛暑ですから、せいぜい往復25キロ程度が限界で、正味、一時間ちょっとで引き上げてきます。世田谷から駒沢通りを恵比寿方面に向うものの正面からの陽射しはキツク、逃げ場を求め、祐天寺脇の道右折、路地のような通りを抜けると路面が氷の様に光る目黒通りに出ます。比較的車も空いている目黒通りは人気が無く閑散としていて、この暑さに無神経と思いたくなる、秋冬展開のようなリビング雑貨・家具のお店が、さらに暑さを助長させます。山手通りを越え、キツイ権之助坂を一気上がりすれば脈拍も145と危険状態。恵比寿に抜ける尾根道に向かい暫しの涼風を浴びながら、アメリカ橋から駒沢通りを越え、裏道から代官山・ヒルサイドテラスに着けばそこは別天地、森林浴気分満点の蝉の声でスッキリ。

あとは一気に帰路につくだけなのですが、大好きなヒルサイド・パントリーで見つけたのが灯台姿も可愛いフランス・ノアルムティエ地方の塩です。この手のキャラに目のない私は、20年程前に江ノ島・堀江商店の店主が余技で作っていた灯台の素晴らしさに仰天(現在は作っていません)して以来、ささやかななコレクターとなってしまいました。

以前、恵比寿の古着屋で見つけたストライプ生地のよれた皺が渚のようにも見てとれ、なかなかの相性でありました。

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2010年9月 9日 (木)

越後の海 鈴木信太郎 1937夏

1937 1937年(昭和12年)、鈴木信太郎は柏崎の断崖から佐渡ヶ島方面の明るい光景が気に入り、数枚描いていましが、この画風は最もソフトタッチなボケ気味が夏の終わりのけだるさを表しています。

鈴木信太郎の表現は渋さ、剛毅さ、穏やかさが同居していて、梅原龍三郎のようなエネルギッシュさは表に出ないものの、骨格のしっかりした漁師のような素朴な力強さがあります。崖地を下るとまだ荒らされていないような静かな砂浜の表現により、画面全体の三次元感覚を的確に表すなど、やはり私はこの画家が好きなのであります・・・。逆光の松の納まり、遠くの水平線の不安定さなどがこの画風に動きを与えてくれてますが、無意識の成せる業かも知れませんね・・・。

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2010年9月 8日 (水)

早朝からお元気で!。

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この暑さゆえ、遅くとも朝五時半には多摩川堤を走る快適な気分を知ってから、週に4日をノルマにしてますが、自分の体力を考慮しながらノンビリとポタリング気分で飛ばしています。早朝の多摩川の風は、秋めいてきて、草木の薫りも秋の予感があります。走っているのは自転車だけかと思うと、自動車も早朝から混雑していてその理由が何故なのか、理解に苦しむところでもあります。六時前というのに、ガンガン飛ばしてくるレーサーもどきも多く、景色を鑑賞しながら横を向いていると、彼等の疾風にあおられ、ビックリしてしまいます。

早朝は専ら川崎側を走るものの、いたるところ草ぼうぼうで背丈も伸び、幅も狭まり、スピードを出している同士ですと対面通行に要注意です。おまけに、この場所は風が滞留していて、ちょっとしたサウナ気分にもなれるなど・・・、涼しさを求める方々には難所のようなスポットです。それでも何となく懐旧の情景にリバースした気分に戻れ、暑さを辛抱すれば、これはこれで、一瞬のNice Spotなのかもしれません。

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2010年9月 7日 (火)

多摩川堤に琳派もどきが・・・。

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もう何百回と走った、多摩川堤ですが、この猛暑のおかげなのか、もうろうとした意識が思わぬヒラメキを生んだのか・・・、とにかく今まで気付かぬ自分に笑ってしまったのであります。あの、赤瀬川原平さの創案による、路上観察学会の「トマソン」にも、まだ、登場してないジャンルかも知れません。

さてその昔、尾形光琳作の、八橋蒔絵螺鈿硯箱(重要文化財・東京国立博物館蔵)に施されたかきつばたのアワビ貝、鉛を大胆に構成した八橋の意匠に惚れ込んで、和の世界も相当なアバンギャルドセンスがあったことを知ったのです。蓋を開ければ、そこにも三次元効果を狙ったのか、思わぬ展開意匠が咲き誇っています・・・。

先日、自転車で走りながら、乾ききった体に水を掛け、目の前の道路工事で刻まれた補修部分を観つつ、草花との絡みもピッタリということで、この八橋蒔絵螺鈿硯箱を、急に思い出し、これはもしかして・・・、と閃いてとっさにシャッターを押したのであります。このタイプ、おそらく全国津々浦々で見かけるものの、草花とワンセットでなければ、琳派もどきとならず、単なる、補修部分の名残であります。さて、何と命名すべきか・・・。とりあえず埋没八橋・枯池八橋・・・あたりかしらん。トマソン概念は不動産に絡む物件と定義されてますから、絡まない新ジャンルを提案できそうな気配であります。

拙ブログを御覧の方もこのようなタイプを含め、笑える気配に気づいたことがおありでありませんか

http://www.st.rim.or.jp/~tokyo/thomalink/ 

http://www.fureai-ch.ne.jp/~townwalk/kannsatu.html

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2010年9月 6日 (月)

可愛い鉄塔 多摩川堤。

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東京スカイタワーの日々の動向をネタに、やたらはしゃぎまわっている毎日ですが、先日、自転車で浅草から長命寺に抜け、向島に紛れ込んだものの、何だか、最先端技術で出来た登り龍に見えないこともないとあって、この界隈の何のとりえもない環境と不釣合いもいいところでありました。また、想像以上にコンパクトな敷地に土台があり、突然目前に立ち上がる巨大な登り龍が宇宙ロケットの発射台のようでもありました。

地元はすでに、見物客相手の全国一律ワンパターンな土産を躍起になって売り込んでますが、今後の商品展開はどのようになるか、まだまだ内容的に前途多難な気配も濃厚であります。さらに、地元の手作り工芸品などの振興と販売拠点も出来たものの、長年のプロダクトアウトの体質から脱却できずに施策も打たず放置したまま、降って沸いたスカイツリーに便乗しようとは、まだまだ虫の良い話でありましょう。

それでも、この国の観光の目玉として、品位はどうであれ、集客と波及効果だけは担保されたものと察知し、墨田区のみならず台東区・江東区・江戸川区までもが、「漁夫の利」を願っているのであります。

そのような俗世の象徴を観た翌日、風だけは秋めく多摩川堤を疾走中、大田区矢口界隈の可愛い鉄塔がやたら華奢で洒落たスタイリングとして映り、背景の青空とのバランスも最高でありました。

東京スカイツリーは今後の地デジ対策として絶対必需なシンボルであるものの、やはり、立脚する風土との違和感だけは取り除くことが出来ないのであります。

というわけで・・・、私もかなりの守旧派に成り下がってきた証の話であります・・・。

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2010年9月 5日 (日)

涼を求めて逃げ込むと!。

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この暑さですから、早朝というより未だ暗い4時半頃に自転車で多摩川を走り、遅くとも7時前に帰宅するのがパターン化してます。多摩川の早朝の風は気持ちよく、秋の虫の鳴き声も 其処彼処から聴こえてきます。それでも、6時半ともなると、厳しい陽射しをまともに受け、逃げ場の少ない多摩川堤は「天日干し状態」となります。

先日この猛暑の中、無理を承知で、早朝、世田谷を出発、駒沢通りから恵比寿・天現寺・三田・芝公園・愛宕山・西新橋を干乾びそうに走りぬけ、日比谷通りのカフェで一服。朝日を右半身に浴びながら、一気に本郷界隈まで北上。納涼場所を探しながらヒルクライムしているうちに、言問通りに出たので上野公園に向かいました。さすが上野公園は豊かな樹木の恩恵からひんやりとご機嫌ながらも、広い道路は朝日の照り返しを浴び、足元から「上野焼き」になりそうです。7時過ぎというのにほぼ30度となり、一服を求め藝大に駆け込み、守衛さんに「ひんやり出来る場所はどちらでしょう」と聞けば、「裏のレンガ館周囲が涼しいです」とアドバイスいただきました。

行ってみればずいぶんと格調の高いトラッド調の物件が保存されていて、曰くありげな建物です。日頃からお世話になっている建築家・秋山東一さんのブログにはきちんと載っていました。http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/000973.html

この日はクーラー機能がありがたいヘルメットを付けたおかげで、頭部はヒンヤリでしたが、全身にまとわりつく熱風は如何ともしがたく、帰宅するとグッタリでありました。

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2010年9月 4日 (土)

1950年 初めての自転車経験

101950 1950年(昭和25年)の夏、杉並区久我山の玄関で、父と自転車に乗って出かける写真は、田村茂さんがライカで撮影したものです。

父は戦前から画家を目指し、小石川にあった川端画学校で修業し、その後ベルリンに留学し、当時の藝術・科学・文学の新潮流を体感しました。帰国後は雑誌の編集などをしつつ全国の風景画を描きました。太平洋戦争末期には報道班員・従軍画家として長沙・桂林・湖南・廣西作戦などに従軍し、一時は危ういところだったそうですが、持ち前の不屈根性が功を奏し、無事日本に還ることができたのもつかのま、家系の関係から出版編纂の仕事を40年近く続けることとなりました。この写真は、出版に関わり始めた頃の一枚で、父の顔も安堵感に溢れています。

暇があると、父は私を自転車に乗せて近くの玉川上水の脇道を走ってくれました。この道は井の頭公園まで、じつに豊かな野趣に富んだ雑木林が連なり、戦前からの洒落た洋館も点在していて、ちょっとした郊外別荘地の薫りが遺されていました。春は桜の木が満開となり、そこを走ってもらうのが嬉しかったようです。中学高学年になり自転車通学が許可されると、遠回りなのですが、快適な玉川上水脇を通り井の頭公園経由で学園まで通っていました。

余談ですが、1966年の名建築・篠原一男氏作 『白の家』 もこの玉川上水沿いに建っていましたが、道路拡張計画で2008 年に移転してしまいました。http://www.tv-asahi.co.jp/tatemono/html/housou/09/090531.html

父は生涯ヘビースモーカーで、小さい頃はピース両切り缶を何処に行くにも持ち歩き、ジャケットやズボンのポケットはいつも不思議なカタチで膨らんでいて、ペダルを踏むたびに私のお尻に当たるのを覚えています。背景の竹の垣根は、この三年後、家の改築に伴い当時の先端素材・ブロック塀となってしまいましたが、私はこの垣根の雰囲気を好んでいたらしく、幼くして既に、侘び寂び派であったのです。

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2010年9月 3日 (金)

A.P. Carter

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0840014_carter_a_p1中学3年生の頃フォークソングにはまり、キングストントリオhttp://www.youtube.com/watch?v=3VMSGrY-IlUを聴きこんでいる内に、高山宏之さんというカントリー・フォーク系の名解説者が書かれた、ブルーグラスという音楽概要を読んだことが、今も、ブルーグラスが生活の潤いとして、愉しみとして、腰を据えているきっかけだったのです。

当時、同じ学年にも何人か同好の士が集まっては、兄貴から拝借してきたLPを見せ合ったりと、情報収集にも励んでいました。そうこうしているうち、どうやらA.P Carterという小父さんが、フォーク・カントリーを超えた音楽の伝道師として存在していたことが分かり、10代の半ばにして、周囲はアメリカンポップスでなければ音楽にあらずといった中、渋いアパラチアンミュージックにのめりこんでいったのです。

間もなくCarter FamilyというバンドのLPを通して、その独特なギター奏法とオートハープという聞いたことのない楽器の音色を新鮮に感じ、四六時中聴き入ってました。骨太なA.P Carterさんのバリトンが素朴で力強く、柔な中学生には、ちょっと難しい世界の音楽でしたが、寝ていても、そのハーモニーが耳鳴りのように脳内で騒いでいて、若いということもあって、知らないうちに歌詞もメロディも覚えてしまいました。今も、昔のようにいきませんが、殆ど覚えています。http://www.youtube.com/watch?v=3Q2TQrlP8jM

カントリーの世界にも商業主義が雪崩れ込む1960年代には、Carter Familyもすっかりボードビリアン的センスの持主、June Carter(後にJohnny Cash夫人)が仕切るようになり、お母さんのMaybell Carterも気乗りしないように演奏しているのがYou Tubeにも載っています。http://www.youtube.com/watch?v=ewnfWoSQz3o

多くのジャンルを越えた歌手がカバーしているCarter Familyの名曲は、これからも、アメリカの保守層を中心に、歌い繋がれていくことに違いないのです。

下の写真はA.P Carteのバージニアの住まいです。モノクロ写真ですが、背景の山は新緑の芽吹きが眩いようですし、平均的な住宅にも見えますが、地域環境とピッタリなのは、地元の工務店がA.P Carterさんのために一生懸命作った気配があるからかも知れません・・・。

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2010年9月 2日 (木)

毎日開けてます、用賀の店。

Rimg23717 安全対策の故か、立派な自動ドアが目立ち出した商店街にあって、意外と根強くあるお店がこのタイプでしょうか・・・。風が吹こうが、雨が舞い込もうが、店は全開で招福万来を地でいっているお店の典型であります。この20年ほどで、すっかりなくなった感のある商店姿ですが、現存するその殆どが二階以上は家賃収入で安定する方式を採っているようであります。

この店も地元で半世紀ほど商っているのでしょうか。その佇まいと品揃えは時間が止まったような状況ですが、どっこい、しぶとく毎日同じ時間にきちんと開店閉店します。履物そのものはスーパーマーケット、100円ショップに客を奪われ、傘も激安商品ばかりとなり、このような店はどういう売上になっているのか分かりかねますが、地元の学校・病院への定期的納品などがルーティーンな仕事のようであります。このような昭和の店が世田谷・用賀の商店街の中にあることで、ほっとした気持ちになります。

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2010年9月 1日 (水)

丸の内にも樽屋さんが。

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昭和24年頃、夏の炎天下、丸の内界隈で談笑する樽屋さんの姿には、高質な商業地域として蘇った今では考えられないほどの生活感がありましたね。丸の内にも街のにおいが漂っていたのです。

丸の内で樽を必要となる職種は何が考えられるでしょうか。先ずは三菱地所のビルに入っている飲食関係のテナントが第一に浮びますが、意外と想定外の職種かも知れませんね。例えばこの頃、味噌・醤油の類を近辺で醸造していたとか何とか・・・。

冷蔵庫が普及する以前、樽は一般に保存容器としての需要も多く、漬物なども殆どの家で作ってましたから、町の風呂桶屋さんは、保存用樽の修繕がサイドビジネスとしておいしい仕事であったようです。

やがて、セキスイがポリバケツを販売する1957年http://www.sekisui.co.jp/company/outline/yurai/index.html、漬物を衛生的ポリバケツで作る家庭が一気に増え、巷から樽が消滅していきましたが、樽の内側に微妙に繁殖する菌が、食品の旨味を生み出していた時代のおいしい漬物も、食管法の徹底と同時に消えていきました。

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