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2010年11月10日 (水)

1940年・銀座伊東屋前

194004

1940年(昭和15年) http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1940.html 11月10日、紀元2600年の一大イベントhttp://www.youtube.com/watch?v=lhUGzu06Ovo http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kouki2600.htmで堂々行進は海軍の皆さん。この素晴らしいクラシックビルは伊東屋 http://www.ito-ya.co.jp/library/index.html の姿です。今では伊東屋をはじめ、周辺もビルの姿もグローバルモダン一辺倒となり、外資系ファンドの投資対象となったかと思いきや、中国個人投資家の嵐がこの裏手から昭和通当たりに吹き荒れ、江戸から続く旦那衆の大店もなすべき手を打てずじまいといった、様相が噂されています。

父に連れられ、伊東屋に行ったのは、1955年(昭和30年)、小学校2年生の夏休みでした。立派な店ばかりがあった頃で、外人の家族も多く来店していて、今と同じような一階にはカード類がずらーっと木枠に並んでいました。階を上ると精密機械のような製図用品から、暗室用品などが置いてあり、これらは銀座の広告会社や制作スタジオが専ら、お得意様だったのでしょう。

1965年には私が銀座のスキー屋『秀山荘』のアルバイトを始め、配達の暇を見つけては銀座・伊東屋に入り浸って最新のTOOLS & INSTRUMENTSを食い入るように見ていました。また同時に、イエナ精光(近藤書店)の二階には海外のデザイン関連書籍が輝くようにあり、ほぼ毎日の立読み三昧でした。肝心の昼食は何といっても『スイス』、それも現在あるお店でなく、みゆき通りと並木通り、西五番通りに挟まれた暗いビルに隠れるようにあった処が気に入りで、ビルの躯体そのものがかなり傾いていて、スープがカップに運ばれてきても、水平を保ちながら口に運ぶのにちょっとした技術を要しました。食事を終え階段を下りるのにも、強烈な目眩がするほど愉快な名店でありました。

1960年代後半にはビルとビルとを最短時間で通り抜けるゲームが流行っていて、今のような保安管理も厳しくなく、銀座の大らかさがありましたし、老舗となれば、一年間の買物も年末払いの掛売りが殆どでありました。

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