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2010年11月30日 (火)

1889年 ニコライ堂の足場からの絶景。

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写真:明治・大正・昭和写真大集成

1889年(明治22年)http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1889.html 、駿河台・ニコライ堂の建設中に足場に上って撮影した何枚かの一枚です。駿河台が華族・軍人・政財界人等、ご一新以降に貢献をした方々の別荘地として人気で、その理由の第一は、富士山の絶景スポットとして有名であったという所以が分かる写真です。

この写真はニコライ堂を設計した大日本建築会社が写真師・田中武に依頼。ニコライ堂の足場からほぼ360度のパノラマを7枚撮影していますが、

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現況と照合しながら時代の推移を想像するには、この景観写真が一番です。

正面の大きな洋館が小松宮邸でhttp://www4.airnet.ne.jp/soutai/07_douzou/10_ko/komatunomiya_akihito_shinnou.html 、今の山の上ホテルのある場所です。手前右の白く長い建物は杏雲堂病院 http://www.kyoundo.jp/touin/enkaku.html で今も同じ場所に高層ビルとなっています。はるか遠くの更地は三崎町練兵場で、現在は賑やかな飲食街と事務所ビルが乱立しています。その右手に煙に霞んでいるようにも見える辺りが、現在の東京ドームや後楽園ですが、この頃は東京砲兵工廠として、小銃等を生産していたところです。

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この貴重な写真は長く岩崎彌之助男爵http://www.mitsubishi.com/j/history/series/yanosuke/yanosuke01.html がもっていたものですが、1932年(昭和7年)に大塚巧芸社が複写印刷公刊し、それを稀代のコレクター・石黒敬七さんが手に入れたものです。

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2010年11月29日 (月)

これで決まり!。

Rimg29054 使いやすさの点から、私が長い間愛用しているrotring Art Pen http://www.pen-house.net/detail/detail01171_001.html は,やや軽さとバランスが気になるものの、ちょっとしたメモ、スケッチなどに活躍してくれます。ただし、カートリッジインクの量が少ないので、頻繁に取り替えねばならず、この点だけは問題あり・・・なのです。

私は、このペンを三本、インクの色別(Black Royal Blue Brown)で使ってますが、特に、Royal Blueのやや紫がかった色味が独特で、一番の気に入りです。

長年、この長めのボディを収めるのに、ピッタリな器を探していたのですが、気に入ったものに出会わず、しばらくは昭和レトロな牛乳瓶に差し込んでいましたが、先だって、自由が丘のお店 http://www.mie-ux.com/ で偶然見かけた、ORANJINA http://www.orangina.eu/en の古い陶磁器のビンにひと目惚れ!。この経年変化したイエローの色調が美しく、納まりも、みごとなバランスとなり、これでやっと決まり・・・でありました。

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2010年11月28日 (日)

The Fields Have Turned Brown

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秋らしい空気を味わえる快晴となった今日は、朝からサボっていた自転車掃除をそそくさと済ませ、9時半に世田谷を出発、渋滞の玉川通りを避け、弦巻通りから三軒茶屋の裏道を抜け、下北沢から駒場東大前・富ヶ谷経由で紅葉の定番、明治神宮・代々木公園を散策しました。

まだ紅葉見物の大混雑前の静かな時間でしたが、市民ランナー・紅葉写真教室・水彩画グループ・歌詠みグループなどなど、秋の原っぱが一面に茶色になるこの時季の美しい光景を堪能する、佳き趣味の皆さんが右往左往しています。もちろん近隣の犬連れの皆さんは手馴れたもので、奥の静かな一角で相変わらずの犬談義に終始していますし、その傍ではクラリネットの練習をする高校生が気恥ずかしいのか、音の出し方もためらい気味です。

さて、この光景にピッタリのアコースティック系の音楽というと、The Fields Have Turned Brownという名曲があり、ブルーグラスでも名曲中の名曲http://www.youtube.com/watch?v=KFuoWO1Jths なのですが、若い感性に満ち溢れたThe Honeydew Dropsという男女二人の曲が今はご機嫌ですhttp://www.youtube.com/watch?v=nCLPY7ltvRY。 

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ただ速く弾けば良いという風習の長く続いたこの音楽ジャンルにおいて、シンプルでカワイイ若い感性がブルーグラスにも浸透し出した好例の一曲ではないかと思います。他にもう2曲あります・・・、どちらもフォークに近い感性ですがブルーグラスを勉強した表現が隠し味となっていて二人ながら厚みあるサウンドになっています。http://www.youtube.com/watch?v=ckO1nLk1sME  http://www.youtube.com/watch?v=uUkxys6sfSg

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2010年11月27日 (土)

Ralph Stanley と Dwight Yoakam

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Ralph Stanley http://www.youtube.com/watch?v=2xmRWj7gJEU とDwight Yoakam  http://www.youtube.com/watch?v=oLprAUar11U の声の質はまったく真逆で、あえて云うならRalphは古木のようであり日本の木遣のようにも聴こえ、Dwightは硬い金属のようなニュアンスですが、この二人が一緒にコラボレーションして歌いだすと、物凄い振動のうねりが始まって、空前絶後としかいいようのないハーモニーを紡ぎます。

1980年代から90年代にかけて、Ralph Stanleyはカントリーミュージック界に金字塔を打ち立てた名盤を遺してくれましたが、私はDwight Yoakamとのデュエットが最高であると信じています。http://www.youtube.com/watch?v=CLRgCnCLtfY

二人とも保守本流の牙城であるカントリーミュージック界で他ジャンルのシンガー・プレーヤーとの他流試合を果たしながら、後ろ向き主義者の多い中、新しい息吹を吹き込んでいて、その姿勢は、安泰・停滞している分野を一点突破・全面展開していこうとするすべての世界に当てはまる参考例です。

You Tubeではドワイト・ヨーカムとの演奏でカール・ジャクソンのフラットマンドリン、マーク・オコーナーのヴァイオリンともに、アドリブ満載のスリリングで美しい旋律が魅了します。http://www.youtube.com/watch?v=9RKrdSfelCs また、絶頂期のキース・ホィットリーとのデュエットでは、これぞブルーグラスといえるハーモニー、バンジョープレーのパワー全開、ヴァイオリンの泥臭さが火を噴き、見ていても筋肉痛になりそうです。http://www.youtube.com/watch?v=4adxe5N6Ato 

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2010年11月26日 (金)

Chinese Bluegrass

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好奇心の広がりなど求めることを忘れ、ひたすら懐旧の記憶を留めることに躍起になっている間に、世の中の進化とグローバル化によってぐっと地球が狭くなったことを痛感したのがこの映像です。http://www.youtube.com/watch?v=7LALgWz0xc0

アメリカのブルーグラスグループと中国の女性伝統楽器演奏団との合奏ですが、凄まじいテクニックに卒倒しそうになりました。ブルーグラスの演奏は間を繋いでいく楽器として、ヴァイオリン・ドブロなどがありますが、さすが弦楽器演奏の宝庫である中国はペルシャから伝わる楽器も、潔いほど切れ味よくシンコペーションしています。すでにRedgrassとも呼ばれているほどですから、この狭い特殊音楽世界にも、中国進出の加速度が止まりません。

勿論、彼女たちの伝統音楽奏法も、それはそれは美しいものです。http://www.youtube.com/watch?v=otRkLZy_sl0

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2010年11月25日 (木)

九段坂から牛ケ淵 千鳥ケ淵

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Ukiyo父は戦前から左翼少年時代を経て、絵描きであったものの、戦後はどういう因果なのか、出版の編纂に終われ、解放されるのは1970年頃ですが、その間、絵筆を絶ったも同然で、藝術・思想哲学・文化学術・風俗・風潮にいたる世界で気になる事象・物象は大学ノートに記述したり、スクラップ帖に貼りこんだりと、小まめに資料のストックを心がけていました。

1992年、父の死後遺された、たくさんの段ボール箱などを開けてみると、几帳面に分類された和洋の絵画・彫刻・モダンアートなどなど、脈絡を無視した資料が出てきて、今も整理中なのであります。

その中に不思議な浮世絵のようなものがあって、この画面には九段坂や田安門などが見え、その先には千鳥が淵が見えています。さっぱりとした九段坂の人々の表現とはうって変わった強い濠の土手の表現や、さらに、雲がレリーフのように浮き上がったところなどなど・・・。 和洋の表現を意識的に組み入れたのでしょうが、何か不気味さもあって、「気持ち悪いが忘れようにも忘れられない・・・」、といったことで、構図・構成資料として残しておいたのかも知れません。

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2010年11月24日 (水)

行幸通りから東京駅

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1904東京駅が改修中であるため、皇居・和田倉門から観ても、その姿はいまひとつピリッとしませんが、銀杏の鮮やかさがそれを補ってくれます。銀杏も場所によってその鮮やかさに格段の差が現れますが、此処だけは毎年みごとな黄色のラインダンスを踊ってみせてくれます。

明治政府から三菱の岩崎弥太郎に払い下げられた頃は丸の内一面原っぱであったものの、あっという間に倫敦一丁・四軒長屋など赤煉瓦の街並が誕生していき、その後モダンビルが生まれ、今日に至っています。この広い道は行幸道路と呼ばれ、各国大使の日本赴任時にはここを馬車で皇居に向って行きますが、偶然、一度その様子を観たことがあり、さほど知られていないこともあって静かなセレモニーでしたが、却って、オーセンティックな雰囲気は充分でありました。

此処からビルだけみていても、東京海上・日本郵船・三菱商事などの企業名を言い当てる人も少なくなり、ますます、ニュートラルモダンなビルの林立が目立ちますが、ふと、明治・大正・昭和の記録写真の残像が頭をよぎり、水平線の統一された整然とした時代の光景がうっすらと観えてきます。

モノクロ写真:1904年(明治37年・海軍兵学校気球写真より 銀座・京橋・有楽町・八重洲方面) 広大な更地が丸の内

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2010年11月23日 (火)

Make Tokyo Meeting 06

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先週の土曜日・日曜日に大岡山にある東京工業大学で開催された、Make Tokyo Meeting 06 http://www.oreilly.co.jp/mtm/06/ に行ってきました。

秋山東一さんのサイトに登場したのが気になり、http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/002880.html 初日の午後、東急大井町線・大岡山駅に降り立つと、いつもの真面目な学生さんたちだけでなく、秋葉系オヤジ・コミックキャラの姿をした人なども交じり合い、この気配に密かな期待が沸いてきました。

Make Tokyo Meetingとは、エレクトロニクス(電子工作)・機械・アート・電子音楽・クラフト・サイエンスなどのジャンルの作り手が一堂に会し、自らの作品を展示するイベントで2006年から年二回、開催されています。美術系作家と工学系技術者が一緒に出会えるこのイベントの中には、今後の成長トレンドの芽生えを象徴する作り手も居るという噂が立っていて、今回、初めて観たのですが、三つに分かれた会場には、所狭しと、自慢の作品や最新のプレゼンテーションをパフォーマンスたっぷりに演出する作家などなど、飽きることのない作品が多く、世代を超えたワクワク・ドキドキなイベントでありました。

テクノ手芸 http://techno-shugei.com/ と称する面白グループやFABLAB http://fablabjapan.org/ という既に評価の高いグループまでを観察していて、とくに美大系・理科系との相反していそうなコラボレーションが新しい潮流を生む源に成り得ることを確信したのでありますhttp://jp.makezine.com/blog/crafts/。残念ながら、会場のインフォメーションサービスが後手後手だったことを差し引いても、時代の気配は充分感じることのできた実り多い一日となりました。

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2010年11月22日 (月)

府中市美術館の絵葉書

1903 昨年、府中市美術館にてドイツブラウン社のデザインに関した展覧会があり、http://white-screen.jp/2009/05/dieter_rams.php 1960年代のデザインを志す学生時代にリバースしたような、デザインの神聖性たっぷりなコンセプト・造形処理をシャワーのように浴びたのです。デザインも情報消費の渦に巻き込まれ、永い年月がたちましたが、高い志と良心・道義心に溢れた若い世代は、このブラウンのデザインを教典のように慕っているそうですから、正にこの世は輪廻転生なのであります。

帰りに、お決まりのミュージアムショップに立ち寄ると、府中界隈を水彩で描いた葉書きが何種類かあって、どれも、日本の原風景を封じ込めたような空気感に溢れ、やけに新鮮な感動がありました。

この一枚は1903年(明治36年) http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1903.html に吉田博が府中街道と思しき街道を描いたものです。経年劣化により干からびてしまった画趣には、画家が思いもよらなかった効果も出てきて、なかなかの綺麗寂びともいうべき味わいに満ちています。作品自体も常設展示されていて、当時の光景がリアルに飛び込んできます。

日本の各地では、昔の風俗・記録写真の類は地元の素封家の旦那が趣味で撮影したもの多々あれど、趣味性に埋没しリアリズムに欠けますから、このような地元に密着した自然な絵・スケッチシリーズをもっと発掘してもらいたいものであります。とくに子供の描いた「自分の町」などは観ていて作為もなくイノセントな心をそのまま画面にぶつけていますから、資料室などにコレクションすることなく、いつも常設してもらいたいものです。

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2010年11月21日 (日)

On The Sunny Side of The Street

Rimg29754 1964年の夏、正面に強烈太陽を浴び、「こんなに眩しいのか!」、と思って自転車を走らせていた駒沢通り・駒沢公園界隈は、当時、杉並の久我山という長閑な環境に育った私には、オリンピックスタジアムを含め、未来都市のようなパノラマスケールに観えてました。コンクリートに反射する光は強烈に眩しく、道路の広さは解放感たっぷりで、それだけで心ウキウキでした。大きな階段には犬連れの散歩や、のんびりとウクレレを弾く人などなど・・・、久我山のカントリースタイルと違うモダンさに愕然としたのです。

さて、1926年、エドワードホッパーさんの描く絵にも、眩しさが溢れています。坂道の頂上付近から見下ろしたアングルといい、影の表現の巧みさで陽射しを強調するなど、気持ちよい風景画ですね。明るい太陽を象徴した音楽は数多くありますが、この画風に合う曲を選ぶとすれば、この一枚でしょう。http://www.youtube.com/watch?v=d15MBSwHoa4 ぎんぎんとした陽射しよりも優しい、木漏れ日のような柔和な音色がたまりませんね。

寒い時期だからこそ、あえて・・・。

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2010年11月20日 (土)

豊川稲荷のレリーフ

Rimg31811 自転車で都心から世田谷に帰る場合、殆どは目黒通り・駒沢通りを通りますが、稀に、内堀通りから青山通りを経て表参道を通過し、富ヶ谷に抜け下北沢から松陰神社に出て、世田谷通りから帰ります。

このルートでは赤坂見附の登坂は避けて通れない、厳しいアングルですが、快晴の午後ともなると美しい豊川稲荷の石垣のレリーフが和ませてくれます。寄進者の名誉をこのような美しい囲い込み意匠でほぼ永遠に刻んである石垣を私はほかに観たことありませんが、素晴らしい知恵ですね。昨今は寄附・寄進の皆さんの名前をとどめる大学・各施設もありますが、その数も桁違いですから一概に言えませんが、事務的処理指向の名前を連ねたものばかりのような気がします。

青山通りの赤坂御用地側を自転車から降りて歩くと、プラタナス並木と石垣との相性も渋く、秋の薫りが十二分に感じとれますし、反対側の草月会館側を通るのとでは、まったく周りの見え方が異なるのに驚きます。豊川稲荷から続く赤坂御用地の石垣までの凡そ900メートルは、これから最高です。もちろん御用地北側の権田原から赤坂離宮方面が素晴らしいのは、当たり前の話ですが・・・。

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2010年11月19日 (金)

熱熱のアメリカン・イタリアーノ

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自転車で冷え切った体を温めるにも、アット・ホームで気取らず、抜群に美味しい店となると、そう簡単に見つからないご時勢ですが、自由が丘・九品仏緑道沿いにあるMOCCO  http://r.tabelog.com/tokyo/A1317/A131703/13019570/ ならば、安心です。

調理場からオーダー係りまで、その朴訥というか、妙な笑顔や、訳の分からない敬語も使わないですから、そのラフな感じに慣れていない方は、ちょっと戸惑うかも知れません。夏の定番・冷やしパスタもお役ごめんとなり、今は野菜と海老たっぷりのアメリカンソース・パスタが気に入ってます。

このお店は、珈琲も美味しく、ラフなイメージとは対極な丁寧料理ばかりですから、お昼ともなると混みあいますが、嬉しいことに、11時からの開店ですから、自転車乗りにはうってつけのお店でもあるのです。

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2010年11月18日 (木)

Edward Hopper 岬飾る

Rimg29755 俳句歳時記では春の野山の表現に、「山笑う」という擬人法があって、例えば、木々が芽吹き出し、春霞のフィルターを通しホンワカとしたカタチに観える様は、まことに笑っているとしか云い様がありませんね。俳句における感性の表現に対する感想の一言は、受け取る人間の辿ってきたキャリア・感覚すべてが計られてしまい、案外、おそろしい世界でもあります。

NHK BS放送では写真と俳句をコラボレーションした番組が隠れた人気ですが、俳句は文体を眺め、声を出して詠まれることで、そのイマジネーションが脳内を自由自在に踊り、受け手のビジュアルに転換されるからこそ素晴らしい文化となったわけで、文句の一言でもいいたくなりますが、電子書籍の世界に入らんとする大手出版界からは、そんなこと言ってるようでは同人誌で地道におやりなさい・・・などと逆ギレされそうです。

俳句の約束ごとは打破するというよりも、守るべき世界のようで、夏の山を「山滴る」、秋の山を「山装う・山飾る」、冬の山を「山眠る」などと四季の移ろいを,永きに亘りこのような季語で詠まれていますが、画像とシンクロする時代となれば、又、新しい視覚と聴覚のハイブリッドから、異なった伝統が生まれていくのでしょう。

さて、エドワードホッパーさんの、1927年作・Hill and House,Cape Elizabethと題された風景画などは、さしずめ「岬装う・岬飾る」といった季語にドンピシャリな空気感ですね。アメリカーナスタイル、あるいは、コロニアルスタイルのシンプルなお家もさぞ快適な秋のかぜが吹いていて、うっかりすると、室内のテーブルに置かれた葉書き・封筒からダイレクトメールまで、一気に吹き飛びそうな乾燥した光景ですから、「岬舞う」などと詠えば、木枯しの季語を受ける言葉で冬ではないのか・・・、などと季節違反のお叱りが飛びそうであります。

Cape Elizabethの不動産業者のCM です http://www.youtube.com/watch?v=tQwLTLJY6sY

こちらは、Portlandの観光振興のCMですhttp://www.youtube.com/watch?v=p7eAGiVxJHU

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2010年11月17日 (水)

自由が丘に一軒の家あり。

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商店街にもクリスマス・デコレーションが目立ちだしましたが、ちょっと脇道に入ると、あっけらかんとしたエントランスのお家が、気持ちよさそうに佇んでいます。

此処は、目黒区自由が丘の洒落たショップやバイオリンのお店が並ぶ静かな通りですが、この町に来ると必ず寄ってみたくなる衝動に駆られます。今では絶滅環境に近い斜め動線のアプローチと、枯淡の境地になり出した垣根と植栽のハーモニーが渋い中にも、一年中、通りがかりの人に一瞬の和みを与えてくれます。

いつ来てもこざっぱりと掃除の行き届いた姿を観ると、主のこの住まいに対する愛情を感じとることが出来ます。

この御宅のエントランスは、普遍的なNIPPONの美しい住まいの典型であります。

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2010年11月16日 (火)

1933 Mickey Mouse Wristwatch

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1933年にもうこのような「欲しくなってしまうモノ」を作っていた、ディズニーは、やはり只者ではありませんね・・・。このディズニーウォッチhttp://75yearsfortheinegersollmickey.blogspot.com/ は1970年代にもフィーバーし、SEIKOブランドでも作られましたが、真面目な人材ばかりの服部時計店では精密機械としてのオーセンティックな時計は得意なものの、ワクワクするカジュアルな感性を腕時計に表すことすら出来ず、単なるノベルティ・グッズの範疇でしかありませんでした。

この腕時計など、本体もさることながら、時計バンドに付いた金属プレスのアイコンがナイスな出来っぷりですね・・・。1933年から1949年まで作られたこの腕時計もマニア垂涎のアイテムのようで、未使用レアものであれば、びっくりするような価格で取引されていると聞いています。厚紙で作られた箱といい、裏蓋に印刷されたミッキーマウスの収まりといい、きちんとディズニーデザインチームが隅から隅まで監修した形跡があり、昨今のキャラクタービジネスのように、デザイン一切をライセンス管理会社に丸投げするようなことなどは、この姿からは微塵も観られません。

Mickkey Mouseのクラシックムービーでも・・・。http://www.youtube.com/watch?v=AbJjTiM2xdc

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2010年11月15日 (月)

マルケ・カルーゼル広場 1910年

Spark_of_color_2 この眩い空気感こそ、日本では望む事のできないものです。透明でストレートな贅沢すぎる天の恵みをアルベール・マルケは瞬時に読み取り、キャンバスに定着させました。全体は重々しい力がかかっているにも関わらず、樹木の陰を表すバイオレットグレーの色感が素晴らしく、広場の石畳に輝くバランスは職人芸の極みであります。

もちろん、遠くにうごめく雲の流れも、しっかりと目に焼き付けているからこそ自然体で、何の作為もありません。

神田の古書店で見つけた美術展のカタログから抜粋したものですが、マルケという画家をさほど知らなかったので、その色の調合師的センスに感動ものであります。

私見ではありますが、鈴木信太郎さんも、この画家の影響を受けているとしか思えないディテールが其処彼処にあるような気がいたします。

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2010年11月14日 (日)

高岡市 『日和』

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先週、二日間に亘り、富山県高岡市で進行中のプロジェクトの進捗状況確認をしてきましたが、一段落付き、伺った名店『日和』のまさに「秋色秋の景色・気分・気配)」としか言い様のない展開は、日本の食文化の奥深い感性の典型でした。この時季の目玉はもちろん「本ズワイ蟹」ではありますが、そこに至るまでの展開に、予兆・予感を散りばめながら進行していく間の冥利が素晴らしいのです。いわゆる関西割烹のような細工は殆どなく、ひたすら器との調和と打破を控えめに表現するこのお店に来ると、NIPPONの研ぎ澄まされた気配と表現を堪能することができます。

この日の御献立(画像順番はパソコン取込都合上、一部違います)

先付 蒸鮑明太子和え 針柚子

前菜 柚子釜(松茸 菊菜おひたし) 鯖寿司 酢取生姜 揚げ真薯 口子 銀杏

珍味 蟹雲丹

箸休 里芋美味煮 柚子味噌掛け

造り 平目 しろ鰹あしらい一式 鯵たたき花穂

煮物代り 揚げ茄子 焼牡蠣デミソース掛け(画像無し) 洗い葱

焼物 のどぐろ 染め下し 酢橘

止肴 焼きずわい蟹

飯 蟹みそご飯

果物 洋梨

『日和』  富山県高岡市御旅屋町86-4  0766-26-2670

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2010年11月13日 (土)

駿河町に戻してほしい。

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日本橋三越界隈を徘徊していてこの場所に立ち、自動車のないスカーンと抜けた先を見れば日本ビルヂングが威容を誇ってますが、此処はその昔、富士山の雄大な姿を望めたことから富士山の地元、駿河の国・・・、駿河町と呼ばれ、江戸・東京でも大賑わいの名所中の名所であったところです。

江戸時代は各所から富士山を望む絶景スポットが数多くありましたが、その中でも正横綱格がこの場所であったのです。此処から早朝の富士山を拝み、日本橋を渡って一路東海道へ・・・。これが江戸っ子の京都観光・お伊勢詣りなどのスタートの儀式であったのです。

今は富士山など見えず、邪魔な日本ビルヂングにどいて貰いたいものですが、その先にはJR,その先には丸の内オフィス街があり、無理な話は承知であるものの、江戸時代にタイムトリップしたくなる場所であるのです。来年4月3日は日本橋開橋100年式典で大賑わいとなるのでしょうが、旧町名の復活もこの界隈の文化を継承する上で、避けて通れないでしょうね・・・。

というわけですが、だいじな一枚を忘れていました。広重さんの駿河町の省略望遠パノラマです。源氏雲の画面における比率が高いのですが、江戸時代の皆さんはこの版画を見て、わざわざ駿河町角に出かけた人も多かったといわれています。

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2010年11月12日 (金)

ケアンテリア便り。

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すっかり溜まってしまった仕事のプランや連絡などを済ませ、午後のアポまで3時間ほど余裕があったので、プリンを自転車篭に入れて駒澤公園まで出かけました。木曜日は前夜の天気予報が当たり、ぐっと暖かい陽射しと風も弱く、絶好のママチャリ散策日和でありました。

ケアンテリアのプリンは16歳のわりに元気で、若干、脚の動きが鈍くなったものの、食欲はまだまだ衰えていませんから公園内の売店に近づくと行動にエンジンがかかり、篭から体全体が浮き上がるようになります。駒澤公園は、オリンピック競技場の修理・改修もだいぶ進み、汚れもきれいになって、陽射しの下、眩いばかりですし、紅葉もそれなりに色付き、噂ほどの汚さは感じませんでした。

平日ではあるものの、子供連れ・ランナー・俳句の会・・・、などなど、この時季に相応しい皆さんが三々五々日向を求めて集まりだしました。21日は此処から世田谷ハーフマラソンがスタートし、玉川通りを抜けていきます。

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2010年11月11日 (木)

違った雰囲気だったNew Lost City Ramblers

New_lost_city_ramblers  1968年頃だったのか、神田小川町には運動具屋をはじめ、平和堂靴屋・楽器のカワセ・ケーキと珈琲のS.Weilなどウロウロ・キョロキョロするにはうってつけの店があって、週末ともなると、よく行っていました。神保町の古書店街には文房堂での画材購入、デザイン関係の資料を探しに出かける程度で、古書店には行ってませんでした。

あるとき、小川町から御茶ノ水駅に向うとHARMONYというレコードショップを偶然見つけました。地味な店でしたが、クラシック分野を中心の店ながら、何故か、世界の民族音楽分野も展開していて、此の店の親仁さんが気難しそうな顔をして、店番をしていました。初めて入り、さらっとレコードを検索していると、Folkwayssというレーベルの洒落たジャケットを見つけました。この頃既にブルーグラスにのめり込んでましたが、ダサい格好でもなく、レトロ感溢れる扮装が私の好みと一致してしまい、大金2,500円(43年前ですよ!)を払い、勇んで家に帰りました。早速効いてみると、渋いながらも確かな演奏技術と、意識した懐旧への想いが伝わってきました。

そのバンドが、New Lost City Ramblers                       http://www.youtube.com/watch?v=xgn_iQhvXI4     http://www.youtube.com/watch?v=dnmdFIeB-L0 で数多くのLPを出してますが、すべてアタリであります。

時代考証・歴史展観など、民俗学的考察を踏まえつつも、長閑な音楽は秋の暖炉脇で居眠りしながら・・・といったロケーションがもっとも相応しいでしょう。

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2010年11月10日 (水)

1940年・銀座伊東屋前

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1940年(昭和15年) http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1940.html 11月10日、紀元2600年の一大イベントhttp://www.youtube.com/watch?v=lhUGzu06Ovo http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kouki2600.htmで堂々行進は海軍の皆さん。この素晴らしいクラシックビルは伊東屋 http://www.ito-ya.co.jp/library/index.html の姿です。今では伊東屋をはじめ、周辺もビルの姿もグローバルモダン一辺倒となり、外資系ファンドの投資対象となったかと思いきや、中国個人投資家の嵐がこの裏手から昭和通当たりに吹き荒れ、江戸から続く旦那衆の大店もなすべき手を打てずじまいといった、様相が噂されています。

父に連れられ、伊東屋に行ったのは、1955年(昭和30年)、小学校2年生の夏休みでした。立派な店ばかりがあった頃で、外人の家族も多く来店していて、今と同じような一階にはカード類がずらーっと木枠に並んでいました。階を上ると精密機械のような製図用品から、暗室用品などが置いてあり、これらは銀座の広告会社や制作スタジオが専ら、お得意様だったのでしょう。

1965年には私が銀座のスキー屋『秀山荘』のアルバイトを始め、配達の暇を見つけては銀座・伊東屋に入り浸って最新のTOOLS & INSTRUMENTSを食い入るように見ていました。また同時に、イエナ精光(近藤書店)の二階には海外のデザイン関連書籍が輝くようにあり、ほぼ毎日の立読み三昧でした。肝心の昼食は何といっても『スイス』、それも現在あるお店でなく、みゆき通りと並木通り、西五番通りに挟まれた暗いビルに隠れるようにあった処が気に入りで、ビルの躯体そのものがかなり傾いていて、スープがカップに運ばれてきても、水平を保ちながら口に運ぶのにちょっとした技術を要しました。食事を終え階段を下りるのにも、強烈な目眩がするほど愉快な名店でありました。

1960年代後半にはビルとビルとを最短時間で通り抜けるゲームが流行っていて、今のような保安管理も厳しくなく、銀座の大らかさがありましたし、老舗となれば、一年間の買物も年末払いの掛売りが殆どでありました。

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2010年11月 9日 (火)

NIPPONの意匠

Rimg12275 手紙を出す必要に迫られながらも、普段は専らメールに手馴れてしまい、文字の推敲さえ、選択できるご時勢ですから、脳のトレーニングにもならず、結果、文章の組み立てが出来なくなってしまい、手紙・葉書きから遠のいていくという諸氏の多いことに驚かせられます。

季節の移ろいを枕にもってくる日本の文体の決まりごとさえも、この数年の環境・気象の変化により、カレンダー通りにいかず、皆さんも、頭を悩ませているのでしょうが、この硯箱などを観ると、秋の気配濃厚というか、秋にしか使ってはいけないようなその姿からも、昔の日本の季節に対する、儚い一瞬をだいじにしたいという思いが伝わってきます。

硯本体と蓋の裏に描かれた景色が、開けてはじめてパノラマになるという心憎い演出こそが、この日本のゆとりとあそびを生活の中に積極的に採り入れていた証でもあり、昨今の、加速度のついた前しか見えない近視眼的生活観の輩には、まったく理解できない世界なのでしょう。

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2010年11月 8日 (月)

辻まことのデザインによる、石の湯リフトのスタッフ用ワッペン

Rimg0443_2 18_b01 1960年代から1980年代まで、スキーのいろはから洒落た自由時間の過ごし方までを教わった志賀高原・石の湯スキー場は、奥まった処にあったのが幸いして、うるさい音楽も流れず、不味いのに値段だけはホテル並みといった他所のゲレンデのような食事もなく、石の湯ロッジという小さいながら、洒落っ気と料理だけは飛びっきりという山荘があったからこそ、優雅なひと時を過ごせたのかも知れません。

現在、スキー場はありませんが散策には最高の場所であることには変わりませんし、特に春と秋のシーズンは素晴らしい景観の中に浸り、しばし、俗界の戯言とは無縁の境地になれます。

さて、1960年代後半にようやく石の湯スキー場にリフトが出来、これでボーゲンでの登りの繰り返しでへこたれていた軟弱な都会の若者も、ほっと胸をなでおろしたのであります。そのリフトを管理・運営するリフト会社のスタッフが身につけていたジャンパーに付けられたのが、辻まことさんデザインのワッペンです。グレーのメルトン生地に刺繍されたロゴは辻さん好みのもので、当時、私も何とかして手に入れたかったものでしたが叶うことはできませんでした。ロゴの配色はこのパターン以外もあり、その自由な感覚は正に、辻さんの真骨頂でもありましたし、御茶ノ水・秀山荘のスポンサー名が入ってますから、このワッペンに掛かる経費は無論のこと、リフト会社への出資も、辻さんから秀山荘の社長に直談判したかも知れません。

このワッペンの実物は石の湯ホテル http://www.shigakogen.jp/ishi-h/ に飾ってあります。

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2010年11月 7日 (日)

DANESE

Rimg29179 BRUTUS 1997 9/159ページ

雑誌というものは小まめに整理しないと、いつの間にか積んであるだけで終ってしまい、突然、紙袋などを運んで長く部屋に置いておいたことなど構わず、放り込んでしまう・・・、など何方もご経験あるでしょう。

仕事柄、デザインに関わる雑誌は「捨てられない症候群」であるものの、年に二回ほど情報の棚卸しと称して、全冊に目を通し、スクラップ&ビルドを繰り返します。

13年前の復刻品カタログ特集のBRUTUSには見落としていたDANESEが見開きで掲載されていて、私も、このブランドの日用品を買い求めていた頃を思い出しました。個人的にはステンレス製のモノより、プラスティック製の小物に興味があって、その素材と造形処理は学生時代から良き手本でありました。とくにOlivetti社とのコラボレーションによるデスクトップ商品は、Enzo Mari氏の優れたデザイン思想を基に練り上げられ、隠し味としてのエスプリもモダンな姿に溶け込んで斬新でありました。

昨今のデザインには、うねるようなスタイリングばかり目立ち、MUJI以外、日用品に優れてニュートラルなモノが見られず残念至極でありますから、このページを見回して、デザインの王道時代の薫りに浸っています。

それにしても、貼りっぱなしだったPost It Noteをはがしても、紙面の印刷が糊に付着していないことにびっくりでありました。

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2010年11月 6日 (土)

広重の空撮 東都名所・高輪之明月

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“高輪之明月”は広重の風景画のなかではお気に入りの一枚。前面に飛翔する9羽の雁と左へ大きく湾曲する海岸線を対比させ、奥行きのある画面をつくっている。
この大胆な構図にしびれる。雁が一羽、大きな月にかかるところも憎いほど上手い。
こういう前景の対象をクローズアップして、遠景の広がりを強調する広重独自の画風がその斬新さを一段とますのが最晩年に制作された“名所江戸百景”です。

広重が今に生きていれば、間違いなく『空撮の広重監督』とよばれていたでしょう。抜群の構図設計とトリッキーなディテールを隠し味にするなど、広重の魅力は失せることなく、むしろ、いろいろな発見を見出す愉しみが尽きません。この作品は、何といっても雁の動きと一羽一羽の間の取り方でしょうか。ストップモーションのように観えるのも、完璧なデッサン力の裏打ちがあってのことですね・・・。秋の高輪と江戸湾から味覚の季節に誘われているようです。

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2010年11月 5日 (金)

梅原龍三郎 富士山図 1956

1956 今から25年ほど前、バブルの真っ只中、ニットセーターのデザインにアーティスティックな織模様が登場し、いかにも重そうな印象を受けたものですが、梅原龍三郎さんの富士山の絵を観ていると、そのニットセーターのデザインが頭をかすめました。

梅原さんの独壇場かも知れませんが、縄文的な魂の昂ぶりが自然と絵筆を走らせてしまった・・・、とでも言いたくなるようなエネルギーの爆発です。若くしてルノワールを訪ね「デッサンは訓練できるが色彩感覚は持って生まれた君のものだ」と誉められ、生涯、色彩調合の職人として、自分の持ち味を追求しました。

この絵、富士山は既に冠雪となっているものの、秋らしい気配に満ち、まさに「山粧う(やまよそおう)」の全面展開ですが、梅原さんにとっては、自分の感性に忠実に目の前の景観をアレンジし、夕日に光る雲に至っては梅原好みの強烈補色の配色です。

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2010年11月 4日 (木)

1951年・井の頭公園

121951 59年前http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1951.htmlの井の頭公園です。今は知りませんが、当時の井の頭公園は静かで、ちょっと歩くと玉川上水が怖いほどの流れで下っていました。この写真は4歳の頃ですが、その後も父はよく此処に連れて来てくれ、動物や植物のことを細かに教えてくれました。当時はカメラを持っている人など稀でしたから、公園では記念写真を撮る商売が繁盛して、賑わっていました。

久我山も冬は寒いところでしたが、井の頭公園の寒さもなかなかで、二人ともずいぶん着込んでますね。私が着ているハーフコートは母の手作り。昔は子供の着る物は母の手作りが多かったのです。父は日本橋・丸善のコート。やたら重い生地で出来ており、歩くとコートが大きくゆっくりと揺れていました。

吉祥寺南口から井の頭公園に入っていく道には店も無く、閑散とした郊外の野性味溢れる雑木林というのが最初の記憶でした。その後もよく連れて行ってくれ、小学校2年頃になると、散策後、北口駅前の三角地帯(現在・吉祥寺のバスターミナルあたり)にあった『可酔亭』で、父はビールとコロッケ、私は豚カツを食べるのがちょっとした愉しみでありました。

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2010年11月 3日 (水)

和久傳の秋

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昔からの地方名産食品を包装した日本の伝統的パッケージは、元々、農業を営むかたわらに作られた木製品・竹網品・紙製品・藁製品などが多かったものの、流通革新のお蔭で、消費拡大に伴い、それまでの農閑期の片手間では間に合わなくなり、素朴な意匠のものは殆ど姿を消してしまいました。残念ではありますが、時の流れに対応できなくなったのですが、一方、日本の意匠デザインを象徴するようなモダンなパッケージも生まれています。

京都の和久傳 http://www.wakuden.jp/index_pc.html は、京都の食材を斬新な企業理念の下、優れたデザインディレクションで年間を通し展開しています。この御菓子『焼板菓子 きり栗』は、丹波栗を裏ごしし、焼き上げたものですが繊細な栗の香りを味わうには静寂な環境が望ましいほどのほのかな味であります。焼かれた栗の芳ばしさは、上等な緑茶以外受け付けない厳しさはあるものの、そのシンプルな缶の中から登場する綺麗寂びの世界は、正に、プロダクトアウトの誇りに満ちています。

崔在晧さんの白磁高台皿と合いすぎるほどのコンビネーションです。

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2010年11月 2日 (火)

1962・BAR 学校

1962a 新宿御苑の近くにあったBAR・学校は詩人・草野心平さんが自分の趣味と実益をかねて開いていた飲み屋さんで、父とは戦前からの永い付き合いがあり、父はこの店に都合がつけば入り浸っていたのです。

草野さんの人脈からか、ここには詩人・画家・写真家・俳優・哲学者・評論家・音楽家・建築家などなど、夫々の分野で一家言ある皆さんばかりがほぼ毎日集結し、同時代認識に関わる、喧々諤々が終電車過ぎても続いていたのです。

私がはじめてこの店の扉を開けたのは父に連れられて行った17歳の時で、店内の紫煙に霞む雰囲気は、それまでの一般的飲食店とは違った『藝術の薫り』に満ちていたように思いました。たまたまこの店に来ていたニューヨーク・コロンビア大学のハロルド・ライトさんという方と隣り合わせになったのですが、何かの拍子にカントリー・ミュージック http://www.youtube.com/watch?v=qtJz_Wm-gG0 の話にお互いの好みが一致し、おおいに花が咲き、周囲の高尚な会話内容とは程遠いアメリカ南東部音楽の話題に盛り上がったのでした。ハロルド・ライトさんはフォークソングにも造詣が深かったのですが、その興味範囲は民族音楽としてのそれであり、アラン・ロマックスに関しての研究家でもありましたから、当時日本の学生に大流行しはじめたカレッジ・フォークの話などには、その大衆迎合商業指向の故か、眉をひそめるばかりでした。

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2010年11月 1日 (月)

常滑の土管が花器に。

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1970年代当時、伊勢丹の商品研究所は伊勢丹のファッション・リビングを中心にオリジナル商品企画・開発を主としながら、基礎研究として男女世代別のサイズ研究を、東京藝術大学・人間工学の権威、中尾喜保先生に委託し、その成果は、ばらばらだった各メーカーにサイズの標準化をもたらし、今日の衣料品のA体・B体・Y体に反映されています。さらにシーズン毎の広告・宣伝にも制作会社へのディレクション・オリエンテーション業務などあり、成長時期だったこともあって毎日の忙しさは半端ではありませんでした。

その一方、ドメスティックな仕事として、日本の地場産業の育成化の一貫として、通産省からの委託業務としてデザイン指導がありました。この花器は常滑市の土管製造会社に向けた企画で、優れた釉薬を自前で持っていたことから、このような方向の商品化に成功しました。通常の地場産業の企画は年度末に展示会をやってそこでおしまいというのが典型ですが、伊勢丹は売場を持っていた強みもあり、実際に店頭販売を前提の商品企画ですから、メーカーの力の入れようも真剣そのもので、頻繁に担当者がやってきては売場をよく見て勉強していました。アールトの有名な花器そっくりですが、元々が土管製造なだけに、精度を要求される丸管の製造に自信満々であったものの、このような変形なカタチがある程度鑑賞に耐えられるレベルに行き着くまで、惨憺たる失敗の連続であったのです。

後に、このメーカーが、大女優となるN野R子さんの実家であることを知ったのでした。

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