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2010年11月 1日 (月)

常滑の土管が花器に。

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1970年代当時、伊勢丹の商品研究所は伊勢丹のファッション・リビングを中心にオリジナル商品企画・開発を主としながら、基礎研究として男女世代別のサイズ研究を、東京藝術大学・人間工学の権威、中尾喜保先生に委託し、その成果は、ばらばらだった各メーカーにサイズの標準化をもたらし、今日の衣料品のA体・B体・Y体に反映されています。さらにシーズン毎の広告・宣伝にも制作会社へのディレクション・オリエンテーション業務などあり、成長時期だったこともあって毎日の忙しさは半端ではありませんでした。

その一方、ドメスティックな仕事として、日本の地場産業の育成化の一貫として、通産省からの委託業務としてデザイン指導がありました。この花器は常滑市の土管製造会社に向けた企画で、優れた釉薬を自前で持っていたことから、このような方向の商品化に成功しました。通常の地場産業の企画は年度末に展示会をやってそこでおしまいというのが典型ですが、伊勢丹は売場を持っていた強みもあり、実際に店頭販売を前提の商品企画ですから、メーカーの力の入れようも真剣そのもので、頻繁に担当者がやってきては売場をよく見て勉強していました。アールトの有名な花器そっくりですが、元々が土管製造なだけに、精度を要求される丸管の製造に自信満々であったものの、このような変形なカタチがある程度鑑賞に耐えられるレベルに行き着くまで、惨憺たる失敗の連続であったのです。

後に、このメーカーが、大女優となるN野R子さんの実家であることを知ったのでした。

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