駿河町に戻してほしい。
日本橋三越界隈を徘徊していてこの場所に立ち、自動車のないスカーンと抜けた先を見れば日本ビルヂングが威容を誇ってますが、此処はその昔、富士山の雄大な姿を望めたことから富士山の地元、駿河の国・・・、駿河町と呼ばれ、江戸・東京でも大賑わいの名所中の名所であったところです。
江戸時代は各所から富士山を望む絶景スポットが数多くありましたが、その中でも正横綱格がこの場所であったのです。此処から早朝の富士山を拝み、日本橋を渡って一路東海道へ・・・。これが江戸っ子の京都観光・お伊勢詣りなどのスタートの儀式であったのです。
今は富士山など見えず、邪魔な日本ビルヂングにどいて貰いたいものですが、その先にはJR,その先には丸の内オフィス街があり、無理な話は承知であるものの、江戸時代にタイムトリップしたくなる場所であるのです。来年4月3日は日本橋開橋100年式典で大賑わいとなるのでしょうが、旧町名の復活もこの界隈の文化を継承する上で、避けて通れないでしょうね・・・。
というわけですが、だいじな一枚を忘れていました。広重さんの駿河町の省略望遠パノラマです。源氏雲の画面における比率が高いのですが、江戸時代の皆さんはこの版画を見て、わざわざ駿河町角に出かけた人も多かったといわれています。
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