1910年(明治43年) 吾妻橋
100年前の写真ですが、日本近代化の象徴であった橋梁・吾妻橋は鉄骨として日本初めての姿を世間に見せ、噂は全国に届いて、多くの見物客でごったがえしたそうですが、その雰囲気がよく捉えられています。橋からこちらに向かってくる皆さんは当然ながら、和服比率が高く、洋服は庶民にはまだまだ縁のないものだったのです。
洋風の吾妻橋・奥に見えるサッポロビール工場などこれまでの江戸風情も少なくなり、日清・日露戦争での勝利など、将来は花盛りと信じて疑わない庶民のいきいきした様子が記録されています。
奥のサッポロビール工場もその後アサヒビールとなり、バブル時期にフィリップ・スタルクの斬新過ぎて笑える姿に変貌し、当初その空気を読めないKYデザインの代表として、三面記事のネタになりましたが、経年変化で屋上の不思議造形も輝きにマットが被り、ようやく落ち着きました。と、思っていたところ、あれよあれよという間に東京スカイツリーが顔を出してしまい、ここから眺める公共的物件の混沌さがまた笑える景観となりました・・・。
| 固定リンク
コメント