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2011年1月24日 (月)

1892年(明治25年)雪の御茶ノ水

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総武線など走っていない時代の御茶ノ水は、神田川を挟んで湯島台と駿河台の土手からの景観がみごとであったのです。眼下に昌平橋・万世橋を望み、その先には上野・浅草を・・・、南方面を向けば富士山まで見渡せるその眺望絶佳は、江戸から続くパノラマ展望のメッカでもありました。

時代は明治となり、武家屋敷の敷地はそのまま御一新に貢献した公家・元勲など叙勲した方々のステータスアドレスに変り、擬洋風建築が所々咲き出して、それまでの光景も一変していくこととなります。さらに近代国家として土木力を発揮するために東京の橋も急激に一変していきます。

重厚感溢れた石積橋や装飾を施した情緒的鉄橋が新規に作られる中、この御茶ノ水橋はトラス構造を魅せ、今と較べてもそのシンプルモダンな軽量感覚が洒落ていますね。この頃、物流は相変わらず掘割中心であったものの、徐々に、橋・鉄道のネットワーク化などで川から陸へと移行していきます。

この写真は遠くに見えるニコライ堂が出来て1年後ですから、まだまだ周囲の環境との調和も無視し、ミスマッチも甚だしいと揶揄されたのでしょうが、ニコライ堂そのものは西洋建築となまこ壁を混交させるなど、日本人お得意の折衷表現ですからさほど酷評されなかったのでは・・・。雪景ならではの墨絵並みのモノトーンの素晴らしさが堪りませんし、モノトーンと色彩の対比こそ誇るべき日本美だとすれば、この写真などもその代表ですね。

橋のたもとで見物している皆さんもそろそろ冷え切っているでしょうから、近場のしゃも鍋か蕎麦でもいただきに出かける頃合になりました・・・、と、いいたくなるような雰囲気の写真でありますが、現在は風光明媚なパノラマは期待出来ず、鉄道マニアの「お決まり写真」の定番ポジションとなっています。

なお、下の写真は22年後、1914年(大正3年)の撮影です。この写真から想定すると、御茶の水橋は、神田川から見える眺望を重視したデザインがなされたと思われますね・・・。

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