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2011年1月23日 (日)

1971 神田川 久我山二丁目

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未整理中の箱から突然見つかり、「 出てくるのが遅いぞ!」と叫んでしまった、1971年久我山の神田川の岸辺を、家の北側の崖に下りて撮った写真です。

確か1970年から神田川護岸工事の測量が始まり、1972年頃には現在観られる姿に成り下ってしましましたが、この写真には、江戸時代からほぼ変らない神田川の穏やかな光景が記録されています。神田川は川の水位と地面との差が少なく、独特の風景を醸し出していましたし、川辺に広い平坦地があって、そこでは釣り人も多く、愉しんでいました。何と、川下の高井戸では鰻も獲れていたのですから。

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1950年代までは、神田川を渡るには、丸太二本を荒縄で縛りつけただけのスリリングな橋を渡らなければならず、子供時分は、相当な覚悟を以って渡らなければ、一面の田圃には行けなかったですし、崖地には楢の雑木林が続き、この光景は井の頭公園まで続いていました。太平洋戦争末期に、近くにあった高射砲陣地で撃墜されたB-29の残骸が散乱していて、ジュラルミンの金属片はこの近辺の家に、記念品的感覚なのか、必ずといってよいほどあったものでした。大雨でも昭和30年代前半までは洪水状態にならなかったのですが、神田川周辺の宅地造成が顕著となって、神田川に流れ込む下水も増え、その結果、雨となれば水位が上がり、やがて田圃も全滅ということなりました。この写真でも田圃の土手は形状が認識できるものの、田畑の跡形は無くなって、一面の草ぼうぼうであります。

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コメント

はじめまして。
実家が永福で、このような神田川でよくザリガニ捕りをしました。その頃はもう、河は汚く、臭いのを我慢してとるほどでした・・。
水害にも良く遭って、台風の時は心配で畳を何度も確認しながら寝ていた覚えがあります。
懐かしいです。

投稿: yukiko | 2011年1月23日 (日) 午前 09時12分

井の頭公園からボートが流れて来たのが昭和31年でした。この年は大きな亀も流され、私の家の北側の崖を這い上がって来ました。alpshima

投稿: yukikoさま。 | 2011年1月23日 (日) 午前 10時55分

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