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2011年2月28日 (月)

THE GENTLEMEN at Rocky Top

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年を重ねる毎に、音楽の嗜好も変化し、ハードでドライブのかかったブルーグラスにも縁遠いこととなってしばらくなりますが、26日の夜は、高校演劇部の後輩である双津さんが、40年来のブルーグラス友達である、須貝重太さん・本間正敏さんらとThe Gentlemenというその名のとおり、ご本家・Country Gentlemen  http://www.youtube.com/watch?v=bJ5W_xzz65U のそっくりさんバンドを演奏するということで、出かけました。

場所は銀座のRocky Topですからギンギンのアメリカン料理のオンパレードということもあって、食事を避けたいこともあり、開演一時間前に『よし田』の暖簾を潜り、焼酎蕎麦割り・卵焼き・鰊の棒煮・若鶏竜田揚げ・コロッケ(鳥しんじょ)蕎麦というヘルシー豪華な宴会を高校の同級生、大河原啓右さん夫妻・演劇部の大女優であった浮田まりさんらと開きました。蕎麦屋ながらちょっとした小料理が素晴らしいこの店は、平日の夜とはうってかわり静かですから、銀座の大店の風情と余韻も堪能できました。

7時半に開演、先ずはThe Gentlemenの前に若手のHoney Cookiesが演奏。http://sunnyvillage.lolipop.jp/honeycookies/

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レトロながらモダンなアレンジのスイングする演奏は優しい時代を求める気分と重なって、又、これから始まる超絶・高速演奏に息も出来なくなりそうな観客のために、程よく心を休めてくれます。

いよいよ、The Gentlemenの登場。一曲目からいきなり暴走する本間さんのフラットマンドリンのスピードと、今尚、驚くほどのハイテナーに店内も唖然と爆笑が合体し、一曲終るごとに、バンドの皆さんは疲れきった指・腕のストレッチに励むのであります。バンジョー・バリトンの双津さん、ギター・リードヴォーカルの須貝さん、ベースの手島さんという凄腕職人集団ですから、ハイスピードであってもリズム・メロディにためらい遅れや間違いもなく、その姿を観ているだけで聴く方も緊張してしまいます。

日頃、忘れかけていたブルーグラスのスリリングな醍醐味を堪能して、少々呑みすぎたこともあり、年甲斐もなくハイな気分となって帰路に着いたのです。

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2011年2月27日 (日)

量産的デザイン。

Rimg29175 太平洋戦争が終り、アメリカにおける本格的な大量生産時代がやってきた。イームズは家具や軍用のギブス製作を通して研究してきた合板によるモダンデザインを追求し、量産化に成功。時代を象徴するオブジェとなった。チャールズ・イームズこそ戦後の戦勝国としての経済的成長を謳歌するアメリカの問題解決者として、才能の発露を驚異的に拡大していった人である。一連の家具デザインに始まり、住宅・ショールーム・博覧会パビリオンからドキュメンタリー映画・マルチメディアを先取りしたスライドショーなど、膨大な作品を残していった。(深谷哲夫)

昨今のコンピューター制御によるプロダクトデザインの生産は、均一性を越え、自由なまるで作家の作品のようなものまで量産できるようになり、ひとつのラインの中でも違ったスタイルを製造することが可能に至り、1970年代までのインダストリアルデザインの秩序思想的な概念は、消し飛んでしまった感があります。逆読みすればムッソリーニのプロパガンダとしての建築・都市計画などが近代デザインの象徴でもあるといわれる位ですから、今日の個個自由気ままな姿の方が健全であるというのもひとつの見解であります。

さて、ハーマンミラー社のメガヒット商品が一列に並んだ写真にも、何となく一切の乱れも許さない規範的感覚に満ちている、量産商品のあるべき姿が写されています。「より多くのモノを・より安く・より多くの人々に」といったアメリカ戦後成長の具体的姿には、プロパガンダの影などなく、掛け値なしでインターナショナルなアノニマス感あふれた美しさを伴っています。

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2011年2月26日 (土)

226事件の日・表参道

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雪が積もり、泥んこ道となってしまった景色を観ていると、子どもの頃、久我山の美しく静寂な雰囲気とはかけ離れた、交通の便や食材の配送の遅れなど、生活に支障をきたしたできごとが思いだされます。昭和32年頃、大雪が降り、久我山駅に向かう道もまだ舗装されず、急で狭い坂道を上り下りする通勤通学の人々があっちでスッテン、こっちでスッテンと、まるでマンガのような光景が展開していました。

この写真は、あの226事件の日、表参道・同潤会アパートから撮影された一枚ですが、右のベランダが写っていることにより、スクープ写真、または、必死の覚悟で撮影された・・・、などとキャプションのひとつも付いてよさそうな画面構成になっています。反乱軍が写っているわけでもないのですが、日本史にのこる大事件の日に見合った記録写真として、去年春頃から神宮前信号角にパネルとして展示してありました。

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2011年2月25日 (金)

1970年代 雑貨デザイン

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1970年代中頃から、百貨店の自主ブランド化に基づく商品開発がにわかに活発化しはじめたものの、これを受ける産地や良質メーカーは限られていたため、出張などで出向けば、守秘義務などアバウトな時代でもあったので、競争相手の百貨店の企画商品が棚に丸見えといったことも、日常茶飯事だったのです。

この頃から、問屋には悉皆屋(しっかいや)のような相互調整力がなくなり始め、販売価格決定権は顧客に最も近い小売業が掌握するようになりました。

この写真は、伊勢丹のオリジナル家庭雑貨グループの中でも、販売実績のある木製品に焦点を定め、栃木県日光市・今市市の優れた建具メーカー・木皿メーカーに製造していただいた、テーブルウエアとしての木製品シリーズです。ルーターマシン・塗料などが飛躍的に進歩し始め、生産方式に左右されない、自由なスケッチだけでサンプリングできたのには、感動的でもありました。

カジュアルでヘルシーなライフスタイルが台頭し、ジーンズ売上が百貨店でも馬鹿に出来なくなりだした時代であり、ファッションは無論のこと、食品から生活用品まで、カジュアル指向の影響は延々と今日まで繋がっています。

悉皆屋(しっかいや)とは

「悉皆」とは「これ皆」という意味です。
古くから呉服業界にある職種で、呉服屋や顧客と染物屋、仕立屋、染み抜き、洗いなどの様々な行程のプロデューサー兼コーディネーターです。
広範囲にわたる人脈や知識とセンス、それに注文主の意向を汲み取る理解力が必要です。

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2011年2月24日 (木)

父のスケッチ 1922年 川端画学校時代

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太陽を受け光り眩しい部分と影の部分を鉛筆一本で画き分けるのは慣れてしまえば簡単ですが、初歩の頃はハードルの高い訓練であります。

私もデザインを専攻していた学生時代、デッサンは必須のようなものであり、それも彫刻家・佐藤忠良先生の直接指導でありましたから、ひたむきに生徒の持ち味を引き出してくれる佐藤先生の優しい指導振りに、些細な事も聞き漏らすまいと食らい付いていたのです。

しかし、父が川端画学校で訓練された大正後期は、佐藤先生のような優しさなど皆無で、殆ど体育会の腹筋練習のように一定のレベルに達しなければダメだしの連続で、OKが出るまで帰ることの出来ない厳しい仕打ちだったそうです。そのような厳しい修業の過程を通し、父のデッサンやスケッチが日ごとに上達していくのを遺された数十枚の中に見出すことが出来ますが、このスケッチなどはセザンヌの教則本のようなきちんとした仕上がりとなっています。14歳にしてはませた画風ですが、おそらく川端画学校のあった小石川・春日町あたりの景色かも知れません。春風に揺れる林の様子を子どもながらに的確に掴んでいます。

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2011年2月23日 (水)

The Parking Antiques Market

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東京の街が其処彼処で面白くなってきているポイントのひとつに裏通りのマニアックな店が台頭していることがあるように思え、先週土曜日に表参道を降りて、乾燥しきった寒風の中、元気が続く限り出たとこ勝負で歩き周りました。モノが溢れ尽きたこの時代は、先端技術を駆使した製品以外は、却って50年以上前の人間がコツコツと作っていた製品に新鮮さを求めている方々が世代を超えて多いのに気付きます。世田谷のボロ市も今や海外でも人気の催しとなっていて、上町のただでさえ狭い通りが異常なまでの人で溢れ、外人客の比率も何とはなしに多い感じがします。

さて、此処は骨董通りから一歩入った一角の駐車場でありますが、地味ながら出店されてる皆さんのノリのよさからして、この道数十年の歴戦の有志らしさを感じるのであります。この気配に嫌いでない私とニールズヤードhttp://www.nealsyard.co.jp/の梶原建二さんは、しばしこの小さなイリュージョン界にはまり込み脱出できなくなってしまいました。 この日の出店のひとつ、下北沢・TIME MACHINE http://www.time-machine.org/ の無造作に樫のケースに放り込まれた高額な銀食器を観察していると、イギリスの骨董市で買付けしていた1980年代が思い出され、ちょいと懐かしい気分になりました。VALCANIZE LONDON http://www.vulcanize-lon.com/ がプロデュースするこのイベントは、毎週土曜日毎に業者も入れ替わり開催されているそうですから、一度お出かけあれ。場所は骨董通りにあるVALCANIZE LONDONの裏になります。

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2011年2月22日 (火)

チャーリーさんとロニーさん。

Rimg34609 1960年代から70年代初期、日本の学生を虜にした、ブルーグラスバンド『カントリージェントルメン』http://www.youtube.com/watch?v=xjQRzH-S_JM&playnext=1&list=PL8A075489F75719EEのリーダー、チャーリー・ウォーラーさんhttp://www.charliewaller.net/とロニー・ディノさんhttp://www.ronniereno.com/video.phpの1990年代のデュオがYou Tubeから聴こえてくるとは嬉しいではありませんか。それも1970年代のロックの名曲「Teach Your Children」なのですから。http://www.youtube.com/watch?v=1ifTfRvNFlg

この曲はクロスビースティル&ナッシュで大ヒットしたのですが、排他的だったブルーグラス界にあって他ジャンルの曲を積極的に採り入れたチャーリーさんの歌いっぷりは、映像と共に懐かしさがてんこ盛りであります。チャーリーさんとロニーさんという職人同士のデュエットは数多く誕生した兄弟デュオとは違うものの、渋さの中に少しの超絶技術を忍ばせて、聴こえるだけでもマニアには堪らないのであります。この映像はロニーさんのOLD TIME MUSIC SHOWという番組の一連ですが、音質の秀逸さが半端でなく、弦楽器の繊細な音を拾い、ギター・マンドリンのリズム教則としても極めて上等なものです。

ところで、日本でチャーリーさんの歌いっぷりを自分のものに昇華した須貝重太さん達が、60年代のカントリージェントルマンのそっくりさんを洒落で演奏するライブが26日の土曜日に銀座・ロッキートップでありますよ。名人芸が楽しめるライブですから、久しぶりに懐かしいカントリージェントルマンの空想世界に酔いしれては如何ですか。

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2011年2月21日 (月)

スーパーマーケットの一面。

Rimg34554 東京にあるスーパーマーケットは元々が米国駐留軍ないし、各国大使館御用達からスタートしたものが殆どでしたから、今もその名残というか、東京に居ながら海外の薫りを感じることが多いのであります。残念なことにこの世界にも吸収合併など栄枯盛衰が顕著で、いまだに外国の生活感の薫りが伝わってくるのは、此処、広尾にある麻布ナショナルマーケットhttp://www.national-azabu.com/しかないといっても過言ではありません。

さて、日本はこの数年の間に個人情報ナンタラカンヤラで、住所・電話などをパブリックスペースに晒すなどご法度のようでありますが、ここでは人材募集情報から売りたい・買いたいなどなど、日々の生活に密着した情報がいつもと変らず、たっぷり・ぎっしりと張り込まれています。この雑然とした中にもある種の整然さを感じるのは、その殆どが表音文字であることから、グラフィックとして認識してしまうのに他なりませんが、皆さんパソコンを駆使しながらもきれいにまとめています。麻布ナショナルマーケット・広尾にあるこのボードは、生活と美と表現が適度なセンスで表れていて、和んでしまいます。

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2011年2月20日 (日)

広重の雪景 飛鳥山

Photo 昭和30年代前半までは、東京のどこも本瓦屋根の住まいが圧倒的に多く、大雪の翌日、眩しい朝の光の中、ちょっと高台に出て眼下の街並を見回すとそのモノトーンの素晴らしい光景が展開していた・・・、などということは当たり前でした。

街中にカラフルな看板やイルミネーションもなかった頃なので、雪に覆われた静かな町は普段と違い、とても、古風に観えた記憶があります。

さて、広重の江戸近郊八景の中に飛鳥山の雪景色があります。コントラストを利用して白い雪景色を表現し、松の姿も見事な、雪景色にしては比較的軽やかな印象があります。今ではなかなか見ることのできない姿ですが、皇居界隈の大雪の光景に、かなり近似した世界を見出すことがあります。

今年の寒さはなかなかですが、陽射しにも春の予兆が感じられ、あと一月もすれば春爛漫となるのですね・・・。

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2011年2月19日 (土)

東北 広田町 1955年

195511jpg 父の遺した東北旅行日記や葉書きなどから推測し、1955年の5月の陸前高田市広田町の様子と思われます。

父がライカⅢfを肩にぶら下げ、広田町の佐々木旅館の主の案内で町内を歩き周り撮影した中の一枚ながら、構図が映画監督のこだわりを知りぬいたロケ班のアングルみたいなリアリズムに満ちています。撮影日時は5月ですが、東北はまだ寒い時期で、その雰囲気がモノクロフィルムだからこそ、いっそう伝わってきます。犬の位置など、これ以上後でも先でもNGが出てしまいます。父は写真のことなどまったくわからず、譲られた名機を四六時中離さず、撮りまくってましたが、若い時代の石膏デッサンや人体デッサンから野外スケッチなど厳しい修業のおかげで、写真にもその構成力が充分表れています。

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2011年2月18日 (金)

スクラッチモデルに興奮してしまった。

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Rimg34562_2 気になっている店舗をリサーチと称して、観て回ったものの、何処も閑散としているのにびっくりであります。とくに自前のコンセプトを放棄してしまったテナントに頼った商業施設の凋落振りは如何ともしがたい状況であります。とくに衣料品・雑貨関連の店は一部のブランド以外は低価格・スピードチェンジ・ノーメッセージというマスコミ好みの深みにはまり脱出さえ出来そうにもありません。凡そ30年前から築いてきた小売業の志と進取の気質とヴァイタリティーももはや皆無。そうなればこのような業界とはいち早く決別し、作り手が自ら場を通してメッセージを発信する絶好の時代でもあるのです。

ズバリ、素晴らしい職人さんの技術とセンス、そして時代感覚に出くわすことこそが、都市の面白さであり、それらがこちらの想定を超えたときに、感動が生まれるのかも知れません。

六本木AXISで17日まで開催されたスクラッチモデラー・高梨廣孝さんの仕事http://www.axisjiku.com/jp/uchuu/ もこの感動領域でしょう。実物の1/9スケールの美しさもさることながら、部材の全てをゼロから生み出す世界は、簡便さしか興味のない俗人には分かり得ぬ境地の分野ですが、美しいという世界は捨てたものではないということを認識できただけでハッピーなのです。ヴィンテージバイクに興味のない私ですが、自転車と共通した各部品の連動機構を観ているだけでも、至福のひとときなのでありました。

高梨廣孝さん

1963年

3月 東京藝術大学美術学部金属工芸科鍛金専攻卒業
1963年 4月  日本楽器製造(株)(現ヤマハ(株))入社
1973年 4月 同 技術部意匠課長
1981年 7月 同 家具事業部副部長(営業担当)
1984年 8月 同 デザイン研究室長
1992年 2月 同 デザイン研究所長
1992年 6月 同 取締役就任(デザイン研究所長)
1996年 4月 同 取締役スポーツ事業部長
1997年 6月 同 顧問
1999年 8月 大学設置・学校法人審議会の教員組織審査において静岡文化芸術大学デザイン学部技術造形学科専任教授
「デザインマネジメント」「企業・行政実習」「「技術造形技法」「技術造形基礎演習」「技術造形総合演習Ⅰ」「技術造形総合演習Ⅱ」「卒業研究・制作」の資格有りと判定
2000年 4月 静岡文化芸術大学デザイン学部技術造形学科教授に就任
現在に至る

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2011年2月17日 (木)

ボストンは良い街だ。

Boston_harvard_square_12 横断歩道の標示が路上に特殊塗料で描かれた出したのは、いつ頃からなのでしょうか。

ボストン・ハーバードスクェアの交差点にはまだ描かれてないですから、街の視覚環境も落ち着いていますね。当時の自動車の先端、ストリームラインデザインとこの街のトラッドな風情とがミスマッチでありますが、学生のファッションも嬉しいほどのトラッドです。ビルの窓にもエアコンの室外機が飛び出さない頃ですから1950年代の典型的風俗として、映画のワンシーンを観ているようです。

さて、最近の路上に書かれた道交法に基づく規制の標識・標示類を観ていると、認識するまで時間がかかってしまいそうなほど、情報量が多すぎであります。更に、交差点からいきなり始まる駐停車禁止を示すベンガラ色の塗料は、少しでも濡れていると自転車では転倒しやすく、規制機能はあるものの、安全性に総合的な観点からいかがなものか・・・、自転車乗りには避けて通るべき要注意箇所の筆頭であります。http://www.car-road.net/

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2011年2月16日 (水)

辻まことが石の湯の主を描く

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桃源郷のようなスキー場だった志賀高原・石の湯スキー場はリフトの設置も遅く、私が初めて訪れた1964年頃は、すべて徒歩でなくては何ごとも始まらず、そのおかげで足腰の鍛錬は人一倍させていただきました。

ゲレンデは自然の丘陵を活かし、丸池のようなきれいなゲレンデではなかったものの、冬以外に、夏も秋も志賀の自然を満喫できる草木の生い茂る山でありました。

このゲレンデを取り仕切っていたのがヤマウラ・タカアキさん。スキー学校で教わった技術をことごとくけなしては、「山のスキーはそんなに甘いもんじゃねえ」と一喝され、翌日の早朝、深雪のパウダースノーの中を自由自在に泳ぐように滑りまくるのを、石の湯ロッジのベランダから見ていました。得意そうにゲレンデから帰ってくると「どんなもんじゃい」と言わんばかりの、やんちゃな小父さんでありました。

辻まことさんがヤマウラ・タカアキさんを描いた一枚には、その深雪を泳ぐように滑る感じがよく捉えられています。やや北斜面な石の湯ゲレンデの立地も影響あるのですが、粉雪は本当に粉のようで、スキーシーズンを通し、よほどの強風悪天候以外、セーター一枚で快適でありました。

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2011年2月15日 (火)

地元喫茶 頑張ってます。

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昭和30年代半ばになると経済も安定しだし、喫茶店ブームが蔓延して、東京などは住宅街の中にもドキッとするほどセンスに満ちた喫茶店が増えたものの、残念ながら、今ではほとんど消滅してしまった感があります。

それでも、偶然出くわしたその懐旧の情景は、ついカメラを取り出してスナップしてしまう衝動に駆られてしまうのです。此処は、世田谷・馬事公苑と目黒通りに繋がる用賀・中町通りの一角にあるカワイイ喫茶店とケーキ屋さんですが、この窓の凝ったデザインは正に1960年代のパリ風であります。店名もいいですねえ・・・。王冠もどきのデザインもバランスの秀逸さが嬉しくなります。植木鉢の統一感のなさ・段ボールが丸見えというあたりなどは、不特定多数が往来して一人でも多く入っていただきたいという気持ちとは対極な、地元住民との親しさがあるから故の、和みの姿でしょうか。

隣は大人気の焼肉レストランがあるなど、この界隈も徐々に、時の流れに身を委ねばならない気配が濃厚となってきましたが、ほぼ50年近くこの姿を晒しているこの喫茶店に、和み好きな草食系若者世代が嗅ぎ付けて、たまに満席ということもあるようです。

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2011年2月14日 (月)

父の挿絵・1936年『改造』

19362 1933年にドイツから帰った父は、本気で画家として生活していこうと考えていたのか、自分でもわからずじまいで悶々と日々を過ごしていたようですが、1920年代半ばから、当時の新潮流としての左翼運動の一端を担いでいたことも事実であり、戦前はほぼ左よりのスタンスで文筆・絵筆の両筆遣いを続けていました。

この挿絵は父が1936年2月、あの2.26事件の勃発する月に、雑誌『改造』に<在獨日本青年素描>として短文と一緒に掲載されたものです。1936年http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1936.htmlはベルリンオリンピックの開催された年でもあり、http://www.youtube.com/watch?v=XXIe5GbLSUs&feature=search今から9年前、当時、一橋大学社会学部教授・加藤哲郎氏からいただいたコピーです。

この頃父は『改造』『戦旗』などの、国家治安維持監視者からすれば極めて厄介な雑誌メディアに、挿絵・コラムの類を発表してましたが、それは祖父への反抗が根っこにあってのことで、1938年頃には、祖父の支援と錚々たる執筆陣で雑誌『新風土』を発行しますが、経営者感覚皆無なこともあり、一年ほどで自ら責任放棄となってしまいました。

この挿絵、当時の風俗が盛り込まれているようですが、ヒットラーそっくりの仮面を被った女性と思しき独りが、今となっては、暗示的であります。

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2011年2月13日 (日)

そよぐ風に気持ちよさそうな家。

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Edward Hopperさんにしては輪郭線が太い作品ですが、海岸線に近い建物を、「極めて風雨に強い物件であります・・・」と、言わんばかりに描かれています。とは言うものの、左奥には、家らしきものが傾いてますから、やはりこの場所は、厳しい風雨に晒されているようです。

全体に肌のきめが細かいような趣きですが、これはあくまでも、吸い込みの少ないカートリッジペーパーのような紙をつかったからで、この紙のタイプは色の発色が秀逸で、滲みはほとんどないものの、シャープな画趣の好きな日曜画家に長い間人気があります。

白い余白を最初に意識して描かれた青空が爽やかで、春を待ちこがれているバルコニー越しの家の主が、今にもこちらに向かって出てきそうです。

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2011年2月12日 (土)

剛毅な鉄瓶

Rimg24496 この力強さこそ、今、忘れてしまった全ての物象の象徴かも知れません。

鉄瓶にも様々なカタチと装飾を施したもの数多くあれど、この縄文系の感性を受け継いだ鉄瓶こそ、生活道具の王者の貫禄です。力量感と繊細性を併せ持ち、1960年代から70年代の日本のかたちの代表例として多くの雑誌・専門誌に登場してましたが、今では、その製法伝承も途絶えてしまったのか、見かけることさえありません。

所謂、民芸系に属するこの鉄瓶のごつごつした力量感たっぷりな姿や蓋、口から煮え立つ湯気が吹いている様子などは、釜戸や炉辺の自在鍵があってこその、そして炎に照らされた美しさを想定してるのでしょうから、この姿カタチだけ眺めていれば、単なるオブジェとして、山野草の投げ入れにぴったりな器に応用するしかありませんね。真っ白な漆喰空間の中にぽつんと存在しているだけでも、そのコントラストの美しさは飛びぬけていると想像できます。

今宵は深々と降る雪を雪見障子越しに眺め、鉄瓶の湯気など見ながら、熱燗とおでんが嬉しいセッティングでありますね・・・。それと、ラジオ深夜便ですか・・・。

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2011年2月11日 (金)

1889 憲法発布式大祭 江戸橋

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1889年(明治22年)2月11日Chi05_39411 、維新後の国内のいざこざも何とか治まり、憲法発布にたどり着いた明治新政府の大イベントを祝う江戸橋の華やかさが伝わってきます。三菱の岩崎弥太郎や渋沢栄一が挙って物流倉庫を作り、潤い始めた明治の経済の繁栄振りもうかがえそうな華やかな画面ですね。

現在も倉庫のあった界隈の面影は僅かながら残ってますが、首都高速が邪魔で、江戸橋から日本橋・常盤橋まですっきりとしてもらいたい願いが日本橋を中心に活動が顕著になってます。首都高速道路の劣化も場所によっては相当なもので、あの美しいレモンイエローのタイルも剥離してしまった比率が高く、みすぼらしさも半端でありません。それと、旧掘割を活かして高速道路に転用した築地から江戸橋にいたる車幅の狭さの怖さなど・・・、地中化、それともヨーロッパのように都心への自動車乗入禁止にともなう路面電車の復活などなど、ヒューマンスケールの街の再生を願いたいものです。

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2011年2月10日 (木)

 京成曳船駅 1953

1953 私の小学校入学の頃の写真は、京成・曳船駅の様子です。もう長閑そのまんまといった雰囲気がいいですね。

私の通っていた京王井の頭線・久我山駅の駅舎もこれとうりふたつで、何年かに一度のコールタールやオイルステインで塗られた柵の匂いが、鼻をつくほどの強さで印象的でした。曳船駅もそうだったのでしょうが、久我山駅の改札員は穏やかな人が多く、定期券を示さなくても、フリーパスがまかり通っていましたし、プラットフォームにじかによじ登っても、御とがめなしといった、おおらかな時代でありました。

さて、公共の環境が消防法絡みなのか、木造が消えていきますが、先日、東急大井街線・等々力駅手前で携帯が鳴り、止む終えず降り、相手と話しつつ駅舎の天井を見ると、白いペンキに塗られた材木が健在でした。

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2011年2月 9日 (水)

1970年代 デザイン

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洋風化の波が一気にリビングの世界にも波及し、和風の暮らしをダサイとまで決め付けてしまった感があった1970年代は、洋風化でもモダンナチュラルな北欧系とロマンチックエレガンスなフランスロココ調が人気を二分し、伊勢丹は得意とするスカンジナビアテーストを家具から食器に至るまで、海外買付けを中心に焦点を当てていました。イタリアモダンの世界も勢いがついていたものの、自動車同様、欠陥品も多く、日本の厳しいJIS規格をクリアーする商品は、さほど多くなかったのです。

その頃、日本の住環境の洋風化に相応しいベッドを開発しようと研究し、腰掛けやすい高さの低いベッドを開発することとなりました。当時のベッドはハリウッド女優が寝ていそうな豪華なヘッドボードの商品が主流で、シンプルな商品など皆無でありました。開発が進むにつれ、研究熱心な販売部長の音頭とりで、ベッドだけでなく収納も一緒にデザインすることとなったのですが、当時はベッドと収納をトータルに製造するところなどなく、ベッドは小石川、収納は寄居に分散し、素材供給も問屋の都合で統一できず、ごらんのようにベッドは無垢材、収納は合板と、その表情もピンとキリが合体してしまったようなトホホな有様です。ヘッドボードには、流行し出したラジカセ、単行本などを載せられるように、小技の効いた収納機能が満載されてます。ここでゴロゴロしていられるような環境を考えての力作で、三年間程、某建築家の口コミもあり、ベッドだけが洒落た住まいの顧客に販売することができました。

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2011年2月 8日 (火)

1935年 札の辻の店

193517昭和30年代中頃までは、一般の母親のお出かけ姿といえば、圧倒的に着物姿でした。通っていた学校の父兄参観日や父母会などに出席する同級生のお母さんの姿は殆どと言って良いほど、和服姿でしたが、私の母親は大正11年生まれながら167センチという大女で、女子高時代はバレーボール選手でしたから、私の小学校時代から洋服一本やりで、優雅な周囲の母親姿とかけ離れた外人風が、子供心にも気になっていました。

そういう時代ですから、どんな小さな町にも複数軒の和装屋さんがあり、主は町会長を務めたりと、郵便局とともに名士の店であることも多かったようです。ところが、高度成長時期と重なり合うのか、徐々に東京オリンピックを境に洋風化が暮しの中心になりだし、一気に町の風俗が長閑な人の動きから、活発なものになりかわります。

さて、1935年(昭和10年)、この港区三田・札の辻の桜田通りに面したお店は、染物屋さんでしょうか。東京湾からの風が涼しげで、町に風の抜ける様子が伝わり、艶やかな柄の浴衣なのか、風にたなびいていて町に自然の動きが生まれています。この界隈も今や様相が一変し、湾沿いの高層ビルのあおりで、ヒートアイランド、ど真ん中といった場所に成り下がりました。

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2011年2月 7日 (月)

雪景色が全面展開 広重。

Photo 浮世絵版画の寸法は概ね決まっているようですが、稀に、広角寸法もあって、古書店などで見つけた時はドキッとするほど嬉しいものです。

隅田川の雪景色を描いた広重の作品も、気持ちよい空気が漂ってきます。川端で散策する皆さんも思わず首をすくめて、風の冷たさに耐えています。この場所がどこかは分かりませんが、海のような広い川幅は広重特有のアドリブ誇張なのかも知れません。積もった雪に歩きづらそうな皆さんの困った表情がみごとですが、明日は快晴となってさぞ、眩しい世界が展開すること間違いなしです。

今では、都心で降った大雪の景色をパノラマで堪能するにも絶景スポットが少ないですが、竹橋から半蔵門に抜ける地域が美しさではベストでしょうか。都心の殆どは高層ビルの風によって積もるべき雪も舞い飛ばされ、無機的なモノトーンの世界が廃墟のように観えるだけです。

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2011年2月 6日 (日)

『槍梅』 乾山作

Photo 「舌先三寸」という意味は(口先だけの巧みな弁舌)と、良い意味では使われませんが、それでは、このあざやかな筆さばきなどは、さしずめ「筆先天空」とでも言いましょうか・・・、筆使い次第でかくもスケールの大きな世界を表すことが出来るのですから。

尾形乾山の作陶は、絵付けにその妙ありと言われますが、この『槍梅』はその中の最高峰といわれ続ける名品中の名品です。手の中に納まるほどの寸法の中で、スケールの大きな宇宙が展開されるとは、恐れ入りました・・・という以外の何ものでもありませんね。

槍梅とは琳派の創りあげた呼び方で「真っ直ぐ伸びた枝に咲き誇る豊かな梅の香しさは、吉祥の様子である」というおめでたい意味があるようです。墨痕の幽玄さは「色が無くとも色がある」と伝えられ、多くの数寄者等を狂喜させた逸話もあるほどです。幹・枝部分が鉄釉、蕾は呉須と分からないほどに使い分け、その微妙な差が遠近感をいっそう深みのあるものにしています。

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2011年2月 5日 (土)

父のスクラップ帖 1960年代

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父のスクラップ帖の中でも、同じディテールを平面画法と立像の違いでまとめてあるものはこのページのみでした。

1960年代後半と思われるこのスクラップ帖には、戦後からほぼ20年以上、出版編纂・全集監理に終われていて、そろそろ区切りがつく見通しも立ち、自分のやろうとしている絵の世界の準備を密かにしている思惑が窺えます。

父は几帳面で整理整頓ノウハウに長け、祖父の遺した資料から、私の子供時分のがらくたまで、分類も怠りなく小まめにしていたので、遺品として出てきたときも、かなり正確に時系列が読み取れました。

スクラップ帖は総計、50冊ほどになり、その中身もアート関連は当然ですが、映画のパンフレットからデパートのちらし、食堂のメニューなどなど、凡そ、これは!と思ったものならば何でもあり・・・といった状態で、意図不可解・意味不明のオンパレードであります。

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2011年2月 4日 (金)

『花椿』 赤坂・塩野

Rimg34312 久しぶりに、赤坂近辺まで出かけたので、『塩野』まで脚を伸ばし、春の和菓子の意匠を堪能してきました。赤坂の花柳界が全盛だった頃、即ち、夜の政治・経済の根回しが盛んだった頃からの大店ですから、今もその時代の艶やかな姿は他店を寄せ付けないのでありますが、艶やかとはいっても、京都の老舗のような可愛らしさはなく、見識ある大人に相応しい、折り目正しさを前面に出してますから、男衆にも人気があるのです。

この時季は冬の意匠も重なり合い、間もなく春の麗らかさが店頭を飾り始めますが、この『花椿』の意匠が堂々としていたので買い求めてみました。手の込んだデフォルメと優しい色彩ですから、これに見合う器を何点か出して合わせてみたのですが、やはり氷結風な鉄釉皿が時季的にも「決まり」でありました。

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2011年2月 3日 (木)

父のスクラップ帖 1970年代

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何でもかんでも、ピンと来たものを脈絡なく貼り込んでいた父のスクラップ帖は、凡そ、50冊近くあり、その内容も、巨人の野球試合観戦コメントから絵画の作品までと、他人が観ればその謎解きのような展開が、面白いのであります。殆どが、一ページ一枚というスクラップの原則を固執しているものの、中には、意図的と思われるこのような編集コラージュもどきもあって、嬉しくなります。ミロ・梅原龍三郎・青木繁などなどの響き合いは何を意識したのか計り知れない不思議さだけが残ります。

この一枚を観ていて、ハタと気付いたのですが、杉浦茂の傑作『猿飛佐助』に登場するキャラクターのイメージの元はミロなのではないかと疑ってしまうほど、酷似してますね・・・。

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2011年2月 2日 (水)

親父の小言・靴らしい靴はどこに。

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いつ頃からかでしょう。あの、カラフルなプラスチック系のサンダル、それも足先を覆うカバーが鍋のようなタイプが街の道路を席捲し出したのは・・・。一時期の隆盛は衰えたものの、午後のスーパーマーケットなどでは老若男女、まだまだいらっしゃいます。町の環境が幼稚になっているように観えるのは、ハードな建築に絡むジャンルのみならず、人の立振舞いから言葉遣い、その身につけるモノなどなどが相互に関連していて、極論すると、現在はこの50年近くの風俗の中で幼稚さという点では、最悪な状況と言えるかも知れません。

ついでに、昨年夏の猛暑の中、地下鉄半蔵門線に飛び込めば、周りは小父さんのT・Shirts姿、それも首筋からトロトロ流れる汗姿が気になり、横を向けば、邪魔なザックを背負った若世代が立正佼成会の信者のような太鼓打つ角度で携帯三昧、その内容よりベタ付けのおまけバッグで売上を稼ぐ宝島出版の雑誌を読む10歳世代と変らない格好の女学生などなど、比較的上質な客層の多いといわれた半蔵門線でさえこの有様。

そんなわけで、帰宅して記憶の中にある靴らしい靴を即興で描いたところ、ローファーかゴルフタイプしか手が動かず、私もかなりイメージの蛇口が硬直しています。

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2011年2月 1日 (火)

梅を描く・・・。

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既に満開となっている所もある梅でありますが、新年となり、いち早く香しい花を咲かせる吉祥のシンボルとして、永く愛されている春のキャラクターです。Rimg33841_3 桜のような潔い散り方はせず、開花から散るまで比較的長い期間楽しめるのも、この拙速な時代にはピッタリでもあります。

さて、梅の絵柄というと、尾形光琳の描く光琳梅という、ほっこりしたいかにも春麗に満ちたカタチが有名ですが、私もこのカタチを模写していてハタ!と気づいたことがありました。

それは、梅と相性の良い松の輪郭を描き、その下に、やや内向きに花びらを二枚描くと、光琳らしいバランスと構成になるという勝手な理屈なのです。それまでは、梅の輪郭の収まりがきれいにまとまってイマイチ、洒落てなかったのですが、このことに閃いて以来、先ずは松の三つの山を描くことを隠し味にしているという自己満足が愉快なのであります。

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ということは、竹はなくとも梅の中に松が忍んでいるという松竹梅もどきでありますか・・・。

さて、水彩絵具でスピーディーにおおまかな構図と色を描き、乾き切る前に、クレヨン・ペンシル型修正液で大胆に重ねていくと、面白いように絵そのものが生きてきます。一度、お試しあれ・・・。

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