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2011年3月30日 (水)

1854年・御殿山の絶景花見。

1854_2 

1854年の広重の版画は、品川沖と御殿山の桜の場面が五分五分構成となっていて、イマイチな感じもしますが、1853年に続く黒船再来航・横浜村で日米和親条約(神奈川条約)調印など、日本が開国したこの年は、さらに全国各地で大地震もあり、正に大揺れの年でありましたが、そんな事関係ないといわんばかりか、春爛漫の桜を楽しむ江戸町人などで賑わっています。

既に品川沖には万が一のリスクヘッジとなるべきお台場が出来、品川宿の至近距離に『御殿山下御枹台場』が一月に着工中なのですが、全く画かれていないのは、御殿山を削った土のおかげで出来たようなお台場など不愉快千万と云わんばかりに、公儀に対し、何か意図的なことでもあるのでしょうか・・・。

その後、25年ほど経過した明治20年頃のモノクロ写真を観ると、(お台場に供給した土のせいか)御殿山がいかにスーパーフラットな地形であったが窺えます(この写真は都合により画像として載せられません)。地形はすっかり変わっても流石に江戸から続く桜の絶景スポットですから、飲食店舗も本格的です。竹さおを骨組とし、そこにムシロを屋根代わりにしたこの設えは、仮設店舗以外にも、夏の納涼映画会などでも昭和30年代前半まで全国に浸透していた姿で、私も1955年の茨城県・五浦での夏休み、『高田浩吉の股旅物映画』を観ていたの会場がおなじ設えでした。品川沖からの浜風に当たりながら桜三昧の宴は、悪酔いもすることなかったでしょうが、酔っ払えば、急坂を下る際、脚がもつれて大怪我した輩も多かったに違いなさそうですね。

現在、この素晴らしかった絶景エリアの面影は完璧になくなっていますが、目黒川の居木橋をミャンマー大使館に向う坂道には、ささやかながら懐旧の気配が漂っています。

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