1955 信州の大工さんが作った犬舎。
久我山に住んでいた頃は、家の北側は急な崖地で笹薮が欝蒼と茂っていましたし、クヌギの雑木林が子供にとっては絶好の遊び場でした。この崖地を下り、神田川に行く細い道があって、そこは切通しが赤土むき出しになっているなど、野趣に溢れた武蔵野風景でありました。家の北側半分近くはアトリエで、アトリエ独特の大きなガラスを開くと、遠くに久我山五丁目の台地が展望でき、手前に井の頭線が走り、田圃が広がり稲の刈り取り時期になると、多くの人出で歌など歌いながら、稲を刈っていました。
この犬小屋はずいぶん立派ですが、その筈で、1953年に増改築した際の廃材で信州から来た大工さんが、作ってくれたものです。私が中に入って寝ころぶこともできる広さでしたから、よくこの中で遊んでいました。
犬は雑種の大型でしたが、よくなついてくれて、私が何処にいく時も付いて来てくれました。放し飼いなど自由な時代でしたから、久我山の町まで父のタバコのお使いにも一緒に来るし、往きの通学にも久我山駅近くの雑木林まで送ってくれました。町に出る道まで来ると、さっと振り向き走って家に帰る姿は今も覚えていて、時々、その頃を懐旧します。家から町に出るまで畑も多く、戦前からの大きな別荘のような建物があるなど、独特な雰囲気が薫る界隈でしたが、今はどうなっているのか分かりません。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント