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2011年4月10日 (日)

絶景だった高幡不動 1956

19563

通っていた小学校は野外学習を重要視していて、遠足から社会科見学にいたるまで、よく私たちに楽しく学ぶ考えを浸透させてくれました。高度成長時代前の、長閑な武蔵野・多摩地区の自然環境を謳歌できた影響は、今日までも繋がっていて、自転車徘走などはまったく、その例そのものであります。

今や、分譲地としてベッドタウン化した高幡不動ですが、55年前は多摩川から立川方面をこのように望むことができました。春の桜も開花する少し前でしたが、山全体が芽吹く蕾で柔らかい雰囲気になっていたのを、初めて体験した遠足です。

当時から、お弁当の人気は『おにぎり』が一番でした。この頃は、大きなおにぎりが一般的でしたが、水筒は意外と小さなアルマイト製でしたから、お昼ご飯が終ってしまうと、水筒を空っぽにした男子生徒はお不動さんの社務所に寄って、ありがたい『お水』をいただいたのです。

さて、お知らせですが、このブログのディスク容量がオーバーとなる、本年12月12日をもって、alpshima毎日連載の記事が完了いたします。現在、記事のストックがいっぱいとなり、 alpshima にタイムリーな記事を書き込みできなくなりましたので、今からでも新らしいアドレス http://alpensmile.cocolog-nifty.com/ のブログを、併読ください。

タイトルも alpshima 2 といたしました。タイムリーなできごと・散策日記などを書き込みますので、時々クリックしてみてください。何とか、ほぼ毎日の書き込みをしたいと思います。12月12日までの alpshima と併読していただけますよう、宜しくお願いいたします。(このお知らせは、今後のブログで随時記載いたします。)

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コメント

高幡不動には子供のころ何度か行った記憶がある、顧客の問屋の旦那が講元で、自社の社員はもとより下請けの家族職人をひっくるめて弘善講と称し、高幡不動にバスで出向き護摩を焚いてもらい、身体健全 商売繁盛を祈りつつ食事をいただく、講は宗教と言うよりも一つのリクリエーションでした。
当時は多くの人が参加したが、この20年は流石に下請けの家族、社員まで喜んで参加する例は希薄で、講を引き継いだ2代目さんはある意味大変です。

其れにつけても不動前の饅頭屋は何時の時代もお土産を買う人で景気が良さそうです。

投稿: JP | 2011年4月11日 (月) 午後 04時54分

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