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2011年4月 1日 (金)

妙な絵を描きだした頃。1958頃

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突然、それまでの描き方から豹変し、あるときは和紙に黒インク・・・、あるときは模写三昧・・・、と中学に近づくにつれ、父のアトリエにあった和洋の画集を引っ張り出しては、勝手し放題に画趣を愉しんでいた頃の一枚です。記憶は飛んでいて定かでありませんが、武者小路実篤か熊谷守一か・・・、彼等の作品の模写と思います。

数ある世界の名画からでなく、このような渋いモチーフを選んだ動機も分かりませんし、おそらく、原画と全く異なるであろう色彩の調子などなど、悩み多き早熟な子供であったことが、自分ながら分かります。画材は父の愛用していたペンテル社の専門家用クレパスですが、正方形の断面をもったこのクレパスは油の含有量が多く、その分、べたつきやすく画用紙もすぐ汚れてしまうなど、色の綺麗さとは裏腹な扱いにくい画材でありました。

さて、お知らせですが、このブログのディスク容量がオーバーとなる、本年12月12日をもって、alpshima毎日連載の記事が完了いたします。現在、記事のストックがいっぱいとなり、 alpshima にタイムリーな記事を書き込みできなくなりましたので、今からでも新らしいアドレス http://alpensmile.cocolog-nifty.com/ のブログを、併読ください。

タイトルも alpshima 2 といたしました。タイムリーなできごと・散策日記などを書き込みますので、時々クリックしてみてください。何とか、ほぼ毎日の書き込みをしたいと思います。12月12日までの alpshima と併読していただけますよう、宜しくお願いいたします。(このお知らせは、今後のブログで随時記載いたします。)

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