1872年 御茶ノ水から昌平橋を望む。
写真:明治・大正・昭和写真大集成
江戸から東京と言う名前に変わり、明治初期の御茶ノ水界隈は大名屋敷が維新に貢献した皆さんの住まいに変りつつあるものの、周囲は御覧のような絶景スポットであったのです。
この土手など現存していれば、間違いなく最高の昼寝場所でしょうね。神田川の向こうには昌平河岸が観え、活き活きした生活の様子が垣間見れます。この土手は現在の聖橋辺りですが、高さはまったく違います。この界隈の近代化以前の長閑さの証写真は意外と少なく、この写真など稀少な一枚です。
自転車でこの界隈を走っていても絶景スポットなど皆無に近く、和洋中華ファストフード・楽器店などが賑やかな呼び込みを連呼し、「生まれてくるのが遅かった・・・」、と思わざるを得ないのであります。
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