1912 新大橋 渡り初め
1912年http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1912.html(明治45年)7月19日、新大橋の架橋完成の渡り初めの様子です。何だかこの様子も時代風俗が推測されて面白いですね。きちんと並んだ芳町(正式には葭町)芸者衆は江戸から続くプライドの塊のような皆さんで、幕末の志士らも手こずったといわれる面々のDNAが引き継がれ、その風貌にも表れていますね。薩長の功なり名を挙げた 皆さんでさえ、通い詰めたにも関わらず、お座敷をすっぽかすなどなど、当たり前。ここはまだまだ明治維新ではなく、徳川瓦解の世界だったそうです。日本橋・人形町・浜町の旦那衆がお得意さまであった芳町芸者衆にとっては田舎臭い明治の要人等は場所柄、新橋・赤坂に任せていたのでしょう。
片や、似合うに会わないは別として、芳町芸者衆にとってお好きでない東京府の要人や地元の名士らによる渡り初めの姿もバラエティたっぷりで飽きませんね。右奥の妙に洒落込んだ伊達男などまるで華麗なるギャッビーの映画から飛び出した雰囲気です。これが明治45年のセレブでしょうか・・・。
さてこの新大橋ですが、今では大動脈として機能してはいるものの、アールヌーボーの美しさなど一掃され、その名残は明治村に一部が保存されているだけです。
さて、お知らせですが、このブログのディスク容量がオーバーとなる、本年12月12日をもって、alpshima は毎日連載の記事が完了いたします。現在、記事のストックがいっぱいとなり、 alpshima にタイムリーな記事を書き込みできなくなりましたので、今からでも新らしいアドレス http://alpensmile.cocolog-nifty.com/ のブログを、併読ください。
タイトルも alpshima 2 といたしました。タイムリーなできごと・散策日記などを書き込みますので、時々クリックしてみてください。何とか、ほぼ毎日の書き込みをしたいと思います。12月12日までの alpshima と併読していただけますよう、宜しくお願いいたします。(このお知らせは、今後のブログで随時記載いたします。)
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