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2011年5月21日 (土)

1912年 廣瀬中佐と杉野兵曹長像 

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以前の交通博物館のあった場所が1912年(明治45年) http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1912.html 4月1日開業の万世橋駅の跡地です。翌年、東京駅が開業すると、交通の中心はやがて万世橋から東京駅へと移行してしまいますが、それ以前、東京の交通の要所は日本初の駅前広場をもった万世橋であり、須田町界隈は東京でも賑い盛んな町でありました。左奥のニコライ堂そっくりさんは神田郵便局で、日露戦争の記念切手を販売するとき、この界隈は大勢の民衆で埋め尽くされたそうです。辰野金吾設計による駅舎は関東大震災で消滅しますが、この外観とほぼ同じものは東京駅に残っていますし、霞ヶ関・法務省も外壁の意匠が同じ様式です。

日露戦争の名誉の戦死で、軍神化した廣瀬中佐http://www.youtube.com/watch?v=RlWMfRydU28と杉野兵曹長の像は明治43年に建立、その素晴らしい姿は、此処で戦後まで民衆を見守ってきたものの、昭和22年、GHQの命令により撤去されましたが、その後行方不明という情報管理のお粗末さ・・・。この絵葉書からも軍威高揚を度外視すれば、ランドマークとしての素晴らしさが偲ばれますね。

靖国通り・中央通り・昌平橋通りに囲まれたこの跡地界隈の現況は、松屋・薮蕎麦・竹むらなどの美味しいお店を除き、混雑しない空虚な気配が漂ってます。富国強兵の時代に戻ってはならないものの、帝国首都の威容をバーチャルでも感じてみたいと、思わないわけではありません。自転車で上野御徒町のアウトドアーショップに出かけるときはこの広場跡を経由して抜けますが、この絵葉書の印象を頭に焼き付けているとはいえ、現実の環境を目の前にする哀しさからか、残像がまったくイメージ出来ないのであります・・・。

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コメント

今年、万世橋駅がショッピング街になり、友達(10歳以上下)と、その話をしていた中で広瀬中佐の像の話をしました。そしたら友達曰く「学校で教わりましたか?」と、いやいや自分も戦後生まれなので、教わっていないと否定しました。

広瀬中佐を知っていたのは、こちらにも貼り付けてある唄のせいなんです。懐古趣味なのでこの唄は好きなのですが、カラオケが意外と無いのが残念です。

投稿: やま | 2013年11月13日 (水) 午前 11時08分

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