1958 アジア競技大会 聖火が吉祥寺を。
アジア競技大会・聖火が五日市通りを走ってくるというわけで、1958年5月22日、学園前には小学生徒が歓迎しました。このときの興奮ぶりは物凄かったのですが、聖火の煙も物凄かったのです。走っている武蔵野市長は真っ赤な顔でいかにも高血圧顔然としていて、脚も上らず、歓迎する方も内心ハラハラしていました。先導も武蔵野市役所の職員なのか、まだまだパトカーなどもいない長閑な街のビッグイベントでした。
左隅に見える三共ベーカリーはこの学園の創立者と関係あるご家族が生徒のために営業しているといっても過言でないほど賑わったお店で、名物の『ラスク』にはバターと蜂蜜がたっぷりと塗られていて、子供にはずいぶんと高級な印象をもっていました。この店で『原田の小母さん』とよばれていた御方は、いかにも明治生まれの立派なお顔立ちで、大きく澄んだ目の奥からは、「しっかりお勉強されて、立派なお方になりなさい」などと暗黙のプレッシャーを受けるようなオーラがありました。
道路には白ペイントの標示もなく、ガードレールも見られず、いかにも、のんびりとしていますね。
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