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2011年6月12日 (日)

1954年 日劇 秋の踊りフィナーレ衣裳で屋上から。

1954

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ご健在であれば、優に80歳を超されているのでしょう。昭和29年、私が小学校に入学した年、有楽町日劇の屋上から一人の踊り子が度胸満点、縁に上って日比谷方面を望んでいます。

この写真は、日劇の裏方さんが趣味の写真を活かして撮った貴重な写真の中の一枚です。当時の銀座の写真は数多くあるものの、人間が主役で、街の環境が脇役の写真など、映画を除けば貴重なものです。

私が記憶している森永の屋上広告塔、松屋辺りから登るアドバルーンなどなど、戦後復興もようやく軌道に乗り始めたものの、1954年はビキニ環礁で第五福流丸被爆・近江絹糸労働争議などなど事件もあり、まだまだ混乱期から離陸したわけでもありませんでした。

ですから、屈託のない笑いとキッチリしたプロポーションのラインダンスを求め、丸の内サラリーマンを中心に、大いに賑わったのが日劇です。戦前も多くのスターを輩出し、伝説のステージも限りなかったこの舞台も、4年後にはロックンロールが特化、炸裂。ウエスタン・カーニバルが集客の一位となり、時代の変遷をまともに被るようになりました。

ところで、日劇の隣にあった、朝日新聞社は灰色外観のイメージした残っていなかったのですが、それは空襲を避けるためのカムフラージュだったそうで、実は1927年、出来た当時は鮮やかなイエローオーカーだったのです。戦後になっても、戦争の証を固守したのか、築地に移転するまで灰色そのままだったような気がします。

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