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2011年6月 3日 (金)

1962年6月3日 朝日新聞『サザエさん』より。

3763 以前住んでいた久我山の家に、電気掃除機がやってきたのは1961年の春でした。家電が日本経済の牽引の一翼を担い、まだ当時唯一のデンキ屋「久我山デンキ」も掛売りのような約束手形券で、地元に家電を浸透すべく営業を躍起となっていた頃です。http://www.nipponstyle.jp/column/nttr/column_12.html

「久我山デンキ」はナショナルのチェーン店でしたが、掃除機の人気は東芝がダントツでした。ナショナルこと松下電器のスポンサー・テレビ番組では泉大助とアシスタントの現・加山雄三夫人、松本めぐみの存在が新製品の宣伝係として影響も大きかったのですが、久我山の主婦層は東芝の地味なセンスに軍配を挙げていたのであります。やがて、主婦のパワーに折れたのか、東芝製品も扱うようになるという、当時としては、ややイレギュラーなナショナルチェーンの店でした。

私の家は、殆どが板張りの床でしたから、掃除機の振動音が増幅して、騒音がガラス戸にも鳴渡り、そのうるささは尋常ではありませんでした。掃除機には日本の特殊な家屋事情に対応した細かな部品が幾つもあり、畳部屋の隅の埃を吸い取るパーツやらを母が小まめに使い分けていたのですが、飼っていた犬がどうしてなのか、この掃除機を敵対する動物とでも思ったのか、近くに行くと聞いたこともない無い大声で吠えるのでした。それが治まるまで数ヶ月掛かりましたが、今でも愉快な記憶として鮮明であります。

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