水道橋は華麗な装飾に。
1911年(明治44年)に完成した水道橋は、江戸時代から続く木造橋を撤去し、装飾も美しい鉄素材に変りました。橋を支える土台の煉瓦作りと同様な姿は四谷橋に今も残されていますが、鉄と煉瓦とのコントラストも華やかさで一杯だったのでしょう。水道橋を右に行くと現在は後楽園のエンターテイメントゾーンですが、この時代は東京砲兵工廠がその威容を放っていました。
その姿は大正時代の帝都東京名所絵葉書にも印刷されてますが、さいかち坂から望むパノラマは、富国強兵の象徴のようなゾーンだったのですね・・・。1923年、関東大震災で被害甚大となり、1935年に九州小倉工廠に移転しますが、此処では小銃などの小型兵器製造を専らとしていました。その資財物流の運搬荷揚げとして機能したのが水道橋というわけです。
武器製造の場所から一転して、後楽園遊園地・東京ドームに変身するこのアイデンティティーを無視するような変わり身の潔さこそ、いい悪いは別として、ニッポンの活力の源泉かも知れませんね。
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