« 1962年6月3日 朝日新聞『サザエさん』より。 | トップページ | 1887年 市ヶ谷陸軍士官学校 »

2011年6月 4日 (土)

明治中期から昭和初期までの九段坂の変貌。

1892251

191245

193510

写真:明治・大正・昭和写真大集成

神保町から信号が青で繋がっていれば、自転車を加速して一気上がりで靖国神社上まで上れますが、九段下で止まってしまうと、さほどでないように見える勾配も厳しいものであり、トレーニングを怠っている脚力では目眩を起しそうなほどなのです。信号待ちで左手を見れば、菊竹清訓の設計になる昭和館を、一見巨大な通気孔としか観ていない輩も多く、たしかにその姿は隣接する歴史の証人たる旧軍人会館との格差はいかんともしがたく、建築公害の典型であり、むりやり、モダンさをこのような環境化で主張する時代は、もう終りにしてもらいたいものです。

というわけで、三枚の九段坂の写真は、夫々、1892年(明治29年)・1912年(明治45年)・1935年(昭和10年)の撮影です。明治中期に建てられたニコライ堂の威容が浮き上がっていますが、これほどのコントラストであれば却って、都市のダイナミズムと云う建築評論の文脈として絶好のネタであったでしょう。その後の、路面電車、自動車の普及に因り、都市の景観が如実に変貌していくのが明快ですね。明治中期と後期の変化も想像以上ですが、やはり1923年の関東大震災の瓦解が景観を一変させてしまった様子があらためて分かります。

これが現在の九段坂です。

Rimg32038

|

« 1962年6月3日 朝日新聞『サザエさん』より。 | トップページ | 1887年 市ヶ谷陸軍士官学校 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/29019/37233459

この記事へのトラックバック一覧です: 明治中期から昭和初期までの九段坂の変貌。:

« 1962年6月3日 朝日新聞『サザエさん』より。 | トップページ | 1887年 市ヶ谷陸軍士官学校 »