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2011年7月28日 (木)

1934年 銀座

1934_9 昭和9年の陽射しも強烈な夏の午後といった頃でしょうか。此処は銀座の表通り。帽子といえば昔も今も『トラヤ』と決まっているのであります。時季的に、そして世界の帽子の流行としてパナマ帽が大流行の頃ですから、この時代のサラリーマンの画像や映像を観ていると圧倒的に町中がパナマ帽の洪水なのです。男性諸氏が帽子を被っていた時代は、結果的に明るい時代が少ないのですが、パナマ帽の氾濫する街の風俗は、視覚的にも涼感を呼ぶマナーさえ感じさせる景色でありました。

帽子の風俗は戦後も長く続き、私の子供時代の記憶にも鮮明でしたが、パナマ帽が街から消えてしまったのはそれなりの理由があったのか、一般的には整髪科の嗜好変化などといわれてますが、あるときからピタッと消えてしまったような印象があって、何となく気持ちの悪いものでした。

最近はレトロブーム、あるいは、だらけた風俗の反作用なのか、クラシックな帽子からトレンディな被り物までが街を跋扈していますが、自由な時代としては結構な光景でありますが、皆同じような格好をし、秩序と統制を尊ぶ過ぎし日の情景も景色だけ観ていれば美しいと、つい思ってしまうのであります。http://www.youtube.com/watch?v=dCWxEeL9eEo

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コメント

はじめまして。
「今」はともかく、銀座の帽子屋は「昔」はトラヤだけではありませんよ。
何軒もあったそうですが、特に古く、また長く続けておられた店が「大徳」でした。明治初期の唐物屋時代から続いていた超老舗帽子店でした。
口の悪い言い方をするならトラヤは外様(大正6年神田創業)、しかも銀座への出店は昭和5年になってからという新参ぶりです。
大徳は平成に入った頃に廃業になったのは残念でした。私も訪問は叶いませんでした。銀座8丁目、博品館の右隣だったみたいです。
銀座1丁目時代の戦前のトラヤ店頭の写真は貴重です。よいものを拝見させて頂きありがとうございます。この写真は書籍などに載っていないオリジナルなのですか?

投稿: 阪田 | 2015年8月28日 (金) 午前 06時14分

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