明治22年 ニコライ堂建設中の足場からの絶景。
写真:明治・大正・昭和写真大集成
この写真の所有者というか、依頼者であったといわれる三菱・岩崎彌之助邸が左手前に見えていて、このアングルも素晴らしい絶景ですね。もちろん現在とは道路位置なども違いますが、江戸時代の名残がしっかりと残っています。それでも富国強兵・欧化政策に便乗して財を成した皆さんの邸宅と思しき姿も点在していて、この時代の和洋混交状態も捨てがたい光景です。神田川沿いの昌平河岸から万世橋にかけてのスケールの大きな空間は当時にしては破格あったでしょう。右写真の中央やや上の更地が現在の秋葉原駅周辺で、この界隈の慌ただしい変貌振りの経過が記録されています。
万世橋の広い界隈は明治45年に日本発のターミナル駅として誕生し、大いに賑わったものの、2年後に出来た東京駅にあっという間にお株を取られ、地元の実力者達は支援した政治家をつるし上げにしたなどという後日談も残っていて、交通インフラにかかわるいざこざの種は尽きないのは今も同じですね。今は殺風景な環境となり、唯一、哀しげなアーチ型赤煉瓦が往時を偲ばせてくれます。
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