ボストン 1965年。
夜ともなればシャッターが下りて、各お店は真っ暗となれば、散歩の愉しみ・ウインドーショッピングも間々ならず、賑やかな人の出入りはコンビニばかり・・・、といった光景が目に入ってくる昨今の商店街ですが、それでも昭和40年代までは、全国、活気のあった商店街に溢れていたのです・・・。
昭和30年代中頃から、若い世代にとって欲しいものが街にあふれだし、それを求めようとする同好の仲間が集まり、その輪がさらに広がって、街を飛び出して週末の宴となっていった景気の右肩上がりは、もう、遠い記憶の彼方へと消え去ろうとしているのです。先日、仕事の関連で日本近代の風俗史を調べているうち、この20年間の閉塞感はおおきなものを失ってしまったことが明快になりました。ひとことで『志の喪失』です。国家も個人も地域も、目先の処理にばかり追われるうちに、大義・道理・勝算のバランスさえ捨て、何しろ自分だけのことしか思考回路が回らなくなり、実態は水没中であります。生活面では、買いまわりが恥ずかしいように揶揄され、最小アイテムの最大効果といわんばかりに、組合せ編集力が消費者に求められるようになってしまいましたから、売れる数そのもののパイが小さくなってしまったのです。
1965年のボストンの街中のスナップを見ていると、消費は美徳であった時代の、元気に明るい社会の健康さが読めるようです。
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