1944 桂林作戦
戦時中、父が報道班員・従軍画家として取材した桂林作戦は「恐ろしかったの一言だ」と、生前話していました。
父の遺した当時の写真は、桂林の有名な奇山に向って進攻する日本軍ですが、奇山には八路軍が銃口を構え、狙い撃ちにされたそうです。運の強い父は生き延びて、長閑な桂林のスケッチを遺しましたが、このスケッチ以外に60枚ほどのスケッチ・デッサンがあり、これらは名取機関に委託された陸軍プロパガンダの一環でありましたが、戦意高揚のかけらもなく没となり、終戦後の引き揚げの際、裏ルートを使ったのか定かではありませんが、全て日本に持ち帰ることが出来ました。戦後も発表することもなく、久我山のアトリエにひっそりとロール状に保管されていました。
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