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2011年8月27日 (土)

1957 父のクロッキー

19574 1957年、小学校4年生の夏に父が木炭で描いたクロッキーが、手付かずの荷物から出て来ました。

板張りのリビングにあったソファーは、戦後の混沌としていた時代に荻窪の旧家が家財道具を売るということとなり、その話を聞きつけた久我山の地主さん父も出向いて購入したというものです。構造は楢材の木組のためたいへんな重さで、知り合いの材木屋に頼んでトラックで運んで貰ったとのことでした。この場所に鎮座して以来、ほぼ40以上、一度も移動しなかったつわものです。

紆余曲折していた戦前と違い、戦後間もなく出版編纂の仕事が始まり、徐々に多忙となり、自分で本業と考えていた絵を描くことが覚束なくなり、手の運動を鈍らせまいと、頻繁に手じかのもののスケッチの類を書き溜めていたのです。それでも、生涯に私を描いたのはたったの一枚、それも、簡単なクロッキーだけというのも、妙なはなしではあります。

出版編纂から解放され、父が本格的に絵を描くようになるのは1970年頃ですから、その間はひたすらスケッチと雑誌のスクラップ、そして自分の芸術探求模索の手立てとして、芸術・哲学・世相などを日記に付けていたのです。

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コメント

少年は、父親に言われたのか顔をやや左側に向けている。
画家は息子の顔を描く事を何故に避けたのか?

少年自身が自分を父親が書いたスケッチであると記憶
しているから、絵の少年が誰か解るがその記憶が無ければ誰であるかも解らない。

少年が父親に似ていることは良くあることだ、画家は少年の顔を描くと自画像を
あたかも描くことに似た心境になり、敢えて横顔にした。

画家はたとえ我が子でも少年のスケッチをすることは、少年の未来や希望を自分が
吸収して仕舞うような恐れや気配を感じたのか?

父親とは不思議な存在である、母親からは勇気を父親からは愛を授かると西洋では言うらしい。

1枚しか無いスケッチは父親の愛なのだろう。

投稿: JP | 2011年8月29日 (月) 午後 04時02分

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受信: 2011年8月27日 (土) 午前 05時09分

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