牧野富太郎
小学校時代、昭和29年から35年にかけて、夏休みの宿題といえば植物観察記録が定番で、高学年になると自由研究のひとつとなったものの、低学年では『朝顔』を筆頭に毎日の成長記録を絵と日誌として残すのがノルマでありました。そんなとき、何といっても力強かったのが牧野富太郎博士 http://www.makino.or.jp/dr_makino/frame/f_makino.html の植物図鑑でした。子供でも分かり易い解説と博士自筆の図は、植物そのもの以上に、その性質を捉えているかの如く、一目瞭然でありました。
はじめて博士の写真を見たのは1956年の新聞記事で「天皇陛下からアイスクリームを賜る」という記事が妙に記憶に残っています。亡くなる一年前の写真からは「ものすごいおじいちゃん」の印象しかありませんでした。今こうして、1936年木村伊兵衛氏の撮影による姿のトラッド然とした研究者の風貌は、あまりにみごとな身なりからか、予想外でしたが、学者の魁としての品格に相応しい、身のしまる思いがします。
牧野博士に限らず、明治・大正・昭和の教育・研究に没頭した方々の肖像写真などを見るに付け、昨今のカジュアル指向な学究の徒と対極な「きちんとした」オーラには、一礼せざるをえないのです。
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コメント
牧野富太郎博士に偶然に何処かで行交うことがあれば
自然とお辞儀をしている自分の姿が想像できる。
オーラと言われるものか知らん。
投稿: JP | 2011年8月16日 (火) 午後 01時06分
昔は年上には自然と挨拶したものですね。牧野博士のような方でしたら緊張して挨拶を忘れてしまいそうです。alpshima
投稿: JPさん。 | 2011年8月17日 (水) 午後 09時06分