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2011年9月29日 (木)

1911年 銀座尾張町。

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現在の銀座四丁目交差点、百年ほど前の写真です。服部時計店の擬洋風な姿が日本的でありますし、イギリス直輸入の路面電車が不思議と銀座街の環境と溶け合って、この町の優雅さがいっそう引き立っています。

電信柱も凄まじい様相ですが、この町の商売の景気のよさを現していますね。歩行者ものんびりしていた頃ですから、堂々と中央通を横断しています。

すでに多くの老舗が繁盛し、維新に乗じて京都から出店してきた店も多かったのですが、江戸っ子の店との折り合いも付かず、「東京」とは「京都の東」の意味とはしゃらくせえ・・・とばかり、徳川瓦解を嘆く江戸老舗の旦那の多くが「とうきょう」とは言わず、「とうけい」と言っていた時代です。この「とうけい」という言い方はあくまでローカルルールかと思っていたのですが、一部の外交公文書にもTOKYOではなくTOKEIと記載されていたようで、反維新派の小技な反抗というのも、なかなか腹の据わった手口をみせていました。 ついでに、銀座の大店の旦那衆はいまだにこの交差点を尾張町と呼び、日本の中心地点と誇りにしているのですが、実際は道路元標のある日本橋が日本の中心地点であります。しかし銀座の旦那のすごいところは、銀座尾張町が銀座の中心、銀座の中心は東京の中心、東京の中心は日本の中心という誇りをもっていることであります。

現在揺れ動く銀座の街並も気がかりではありますが、この発想の続く限り、クラシックな町は永遠なのであります。

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