ワシントハイツ 1949
東京オリンピックでほぼ姿を消した代々木・ワシントンハイツですが、1949年の写真には、日本とアメリカの国力の差を見せ付けられたと言っていた父の友人の言葉どおり、子供の着ているものにもそれが見てとれます。久我山で生まれ育った私は何故か代々木方面に出かけることもなかったのですが、小学校高学年になってPXに納品していた会社の息子と野球チームで一緒になり、よく彼から大リーグの野球カードやしっかりした綿のT・Shirtsを貰いうけましたが、正に横流しの横流しであったわけです。下の写真を観てのとおり、広大なスケールが米軍家族のために開放され、代々木は米国といわれていたことが嘘ではなかったことを物語っています。
代々木公園・オリンピック競技場などが作られた今の姿からは想像もつかない素晴らしい居住空間であったのです。このまま、遺してくれれば、などと不遜なこともいいたくなるほどの超一等地であったことは、当然ですよね・・・。
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