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2011年9月17日 (土)

明治44年 馬場先門先

44 1911年(明治44年)の馬場先門の北側から日比谷通りを撮影したものです。空の解放感が気持ちよいですし、学校に通う尋常小学校生徒の姿も初々しいですね。この界隈の写真は建物中心にたいへん多いのですが、この写真は時代の空気を感じ、私の知る中では一番の素晴らしい写真です。

丸の内が原と呼ばれた陸軍練兵場を払い下げで購入した三菱社の象徴のビル群が異彩を放っています。明治生命・東京商工会議所など設計したコンドル博士の好き放題、その後どんどんと倫敦化が進み、一丁倫敦と呼ばれる界隈となりました。日露戦争の勝利以降、馬場先門から鍛冶橋までは凱旋道路とも呼ばれ、様々なイベントも開催されて、多くの見物人で賑わったところです。

さて、ちょんまげ時代から44年、西南戦争から34年・・・、凄まじかったでしょうね、この界隈の変貌振りは・・・。維新前は徳川家に従順な家臣の上屋敷ばかりでしたが、そこに暮らした武士の多くは勝海舟のグッドアイディアで静岡でお茶の栽培を始めるなど、徳川瓦解と考える皆さんも、その時代転換に即対応し、柔軟な転向ぶりがみごとでありました。しかし、徳川家に仕えた家臣の家系の皆さんは、今でも東京會舘などを使うことがないそうであります。

一丁倫敦の推移
明治23年に陸軍省練兵場を購入した三菱社はジョサイア・コンドルの設計、曾禰達蔵の現場指揮の元、煉瓦組積造三階建で,明治27年(1894)三菱一号館が竣工、馬場先門前に明治28年(1895)三菱二号館が竣工,一号館の対面に明治29年(1895)三菱三号館が竣工した。
明治32年(1899)妻木 頼黄の設計により馬場先門前に東京商業会議所が竣工。
明治37年(1904)曾禰達蔵の設計により一号館に隣接して三菱四号館、翌年五号館が竣工する。
明治40年代になり保岡勝也の担当により十二号館、44年
に十三号館が竣工して馬場先門通りに連なる[一丁倫敦]と言われる煉瓦街が完成した。

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