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2011年9月 8日 (木)

広重・回向院元柳橋

067 この相撲の櫓はいうまでもなく両国回向院を象徴するもので、回向院そのものを描かず、それを象徴するものを描く広重一流の行き方である。櫓には幔幕が張り巡らされ、太鼓が置かれている。また、二本の竹棹から下がる「出し幣(だしっぺい)」も描かれていて場所が始まっていることがわかる。この絵について、一番太鼓をすでに打ち終わったところなのか、それとも今から打ち始めるのかという詮索をする向きもあるが、それは無用の詮索というものだろう。櫓も太鼓も象徴として描かれているわけである。すなわち、櫓の上に呼び出しが坐っていないから、太鼓の音が今鳴り渡っていないという風に考える必要はない。第一、呼び出しをこの櫓の上に坐らせるなら、絵はぶちこわしである。太鼓を描けば撥の音が響き渡っていると解釈していいのではないか。

 名所江戸百景では気象条件の表現に相当の注意が払われていることはどこかで触れたが、本図なども一月の日本晴れの早朝の雰囲気がよくでている。江戸の街は未だ眠りから覚めやらず薄墨一色で処理されている。早朝といっても、おそらく、夜明け少し前、空の色が刻々明るさを増すそんな時刻ではないだろうか。

(森川和夫・広重風景版画の研究)

回向院http://www.ekoin.or.jp/history.htmlから薬研堀に架かる元柳橋と富士山、そして早朝の町並という構図はなかなかのグラフィックデザイナー的構成に満ちています。広重ならではの、主題を見せずにその場所を暗示させる手法は数多く登場いたしますが、その中でも美しさから云えばこの作品が、万人にも納得できる一枚でしょう。

この時代(安政四年・1857年)の柳橋は現在の東日本橋二丁目二十一番地に在ったといわれ、その後、現在の神田川河口に移転したために元をつけた呼称となっています。

相撲の興行も文政年間以降、回向院境内で年二回執り行われたそうですから、当時は正に神事にかかわる興行だったからこそ、昨今のような不祥事など考えられなかったわけであります。明治42年(1909)、旧両国国技館の竣工に伴い、回向院での相撲興業は終わりを告げましたが、回向院と相撲との縁は今も深いそうで、境内にある「力塚」は新弟子たちの力を授かる祈願碑ともなっています。

尚、絶妙な位置にレイアウトされた白地の梵天は本日の晴天興行を知らせているサインだそうであります。

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