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2011年9月27日 (火)

こんな記憶もありました。

1972219 私の家に白黒テレビが来たのが1957年(昭和32年)の夏でした。テレビを買えば家族中、見入ってしまい本も読まなくなるし、勉強も覚束なくなるから、子供には良いことなど何もない・・・、と言っていた父が、それまで一日中没頭していた編纂の仕事を切り上げ、夜7時からの巨人戦の野球中継に夢中になってしまったのが今となっては笑い話であります。

テレビが来て以来、家の中に夜の静けさというものが無くなり、それまでラジオを聴いて想像しながら話の世界を目に浮ばせていたことも無くなり、家族がひたすらブラウン管に一点集中していました。

さて、まだテレビのない頃、子供の寝る時間は遅くとも9時というのが私世代のお約束だったと思いますが、それは静かなものでした。住んでいた久我山の家は北側が神田川・田圃・井の頭線という順番に並んでいて、秋ともなれば虫の音・長閑な電車の音がいかにも郊外の叙情そのものでした。案外虫の音は大きいもので聴いていると寝付かれず、じーっと蒲団の中で眠くなるのを待つのですが、電車の音も聴こえなくなった深夜、突然、一軒の家から犬の遠吠えが聴こえたかと思うと、連鎖反応なのか、輪唱のように至るところで吼え始め、それは決して気分の良いものではありませんでした。

谷内六郎さんのこの絵は、正に、そのときとおなじ記憶をシュールに描いた一作ですが、イマジネーションが秀逸ですね・・・。犬は影に怯える習性があるといわれてますが、この絵は、電球のついた明るい部屋が、犬の吠える不気味さを打ち消したい子供の心理を的確に捉えています。

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コメント

子供の頃の夜は何となく恐い物が沢山あったような気がします。
この絵をみて町を流す按摩さんのことを思い出しました。
暗くなると、ピーと笛を鳴らして町を流して来るのです。
父親がまだ40歳位だったと思いますが、何度か家に呼んだ記憶があります、
按摩さんは盲目で2階に案内する役を
二三度経験したのですが、子供が大人の手を引くのが
何となく気恥ずかしい感じでしたし、少し恐かった。

夜中はよく犬の遠吠が聞こえました、一匹がなくとまた別な方角から違う
犬の遠吠えが聞こえました狼のような吠えかたでした。

投稿: JP | 2011年9月27日 (火) 午後 03時50分

この頃、町は静かで暗かったですね。それでも家々からこぼれる障子越しの笑い声など生活感がありましたね。alpshima

投稿: JPさん。 | 2011年9月27日 (火) 午後 05時14分

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